小島茂厩舎の斎藤隆介助手を迎えての対談がスタートです!
2010.12.16
先週は、おめでたいことがふたつありました。
ひとつは、日曜日の中山6レース(芝2000m)をユウセンが勝ち、我が尾関厩舎にとって初となる新馬勝ちを収めることができたのです。
ちなみに、僕はこの馬に跨ったことがないのですが(苦笑)、先輩の助手さんたちは能力を感じると口にしていた存在でした。
まだ随所に若さを残しているので、これからなのですが、まずは新馬戦を勝ってくれたことは何よりですし、やはり嬉しいです。
もうひとつは、(小野)次郎さんが調教師試験に合格したことです。ここ数年、競馬、調教に騎乗しながら勉強して、頑張っている姿を見ていましたので、本当に良かったなぁと思います。
いつから「小野先生」と呼ぶべきなのか、考えちゃいますよね(笑)。今度は調教師として対談に出てもらえるように、お願いしてみます。
さて、今週からは小島茂之厩舎所属の斎藤隆介調教助手との対談がスタートします。同期なのですが、今回は特に僕自身が勉強になるなぁと感じましたので、みなさんにも面白いと思っていただけるかと思います。それでは第1回目をどうぞ。
西塚信人調教助手(以下、西)今回は、小島茂之厩舎所属の斎藤隆介調教助手に登場をお願いしました。よろしくお願いいたします。
斎藤隆介調教助手(以下、斎)こちらこそ、よろしくお願いいたします。
[西]「斎藤隆介さん」と呼ぶのもヘンなので、普段通り「隆ちゃん」でいかせていただきます(笑)。読者の方に説明しますと、隆ちゃんは年齢がひとつ上で、競馬学校の同期でした。僕とは違って優秀だったので、「3短生」だったですけどね。
[斎]いやいや、そんなことはないですよ。
[西]読者の方々に「3短生」という言葉を説明しますと、当時は、一般的に6ヶ月で行う過程を、騎乗技術かつ学業において優秀な方々は3ヶ月で卒業できるというシステムが存在したのです。後半の3ヶ月を一緒に過ごしたんですよね。
[斎]そうですね。「3短生」というシステムは、いまはもうなくなってしまいました。
[西]隆ちゃんは、最初から小島茂之厩舎ではなかったよね?
[斎]僕は卒業して、一旦「待機」になったんですよ。待機といってもいまのシステムとは違って、期間は分からないけど、いずれは順番が回ってきて声が掛かるということでした。
[西]待機の間はどうしていたの?
[斎]藤沢先生を紹介していただく機会があって、ミホ牧場を紹介していただいて働いたのですよ。
[西]どのくらい?
[斎]それが2日目か3日目に、調教師会から「明日から働けますから」という電話があったんですよ。
[西]斎藤隆介のミホ牧場勤務は、わずか3日間だったんだ(笑)。
[斎]そうでしたね。
[西]それでどこに入ったの?
[斎]古賀一隆厩舎、(古賀)慎明先生のお父さんのところでお世話になったのです。
[西]えっ、コガピン厩舎にいた?
[斎]いましたよ。よく考えれば、その当時から僕の出張浸けの日々が始まっていたんだぁ。
[西]読者に皆さまには後ほどたっぷりとお話をしますが、「美浦にいちばんいない調教助手」なのですよ、斎藤さんは(笑)。
[斎]7月に入ったんだけど、2週間くらいで北海道に行ったんですよ。
[西]あっ、そうだったんだ。
[斎]しかも、新馬2頭だったんだよね(笑)。
[西]なかなか厳しいですね(笑)。
[斎]確か1頭は持ち替えの馬だったのですが、2頭を同じレースに出走させることになって、結局、勝っちゃったんだよ。
[西]それは凄いよ。ブッチャけちゃいますが、あの当時のコガピン厩舎と言えば、もう店じまいする直前で、西塚厩舎と同じような状態だったからね。そこで新馬勝ちするんだから。
[斎]他の厩舎の厩務員さんたちから、「お前、凄いな。コガピンだろ」って言われましたよ。新馬勝ちしたのが何年ぶりとかだったらしくて、先輩の厩務員さんたちも驚いていました。
[西]それは言うよ(笑)。でも、入って2週間程度で北海道ということは、それこそ調教の乗り方や飼い葉のことなども含めて、分からないまま行かされたわけですよね。
[斎]だいぶ先輩の厩務員さんが先に行っていたので、助かりました。
[西]あ、まったくの一人ではなかったんだ。最初は、調教でどのように行けばどこのコースに辿りつくのかということさえも分からなかったりしたよね。
[斎]それこそ初日に、新馬の片方を馬場で乗ったら、止めがけにクルっと回られて、落馬してしまったんですよね(笑)。古賀厩舎では、3ヶ月お世話になったのかな。
[西]その後に小島茂之厩舎に入ることになるわけだけど、声が掛かったりしたからなの?
[斎]実は、その後、一度は岩戸先生のところにお世話になってから、ウチの厩舎(小島茂厩舎)に入っているんですよ。
[西]あっ、そうなんだ。
[斎]当時、助手へ職変する時にズレがあって、調教厩務員として岩戸厩舎に1ヶ月いさせていただいて、助手の更新の時にウチ(小島茂厩舎)へということだったのです。また、その1ヶ月しかいなかった岩戸厩舎でも、門別の交流レースに行って勝たせてもらったんですよ。
[西]それは凄い。普通、勝たないって(笑)。その後に、小島茂先生から声がかかったんだ?
[斎]ウチの先生とは、アイルランドで会っていたこともあって、話もさせてもらっていたんですよ。他にも、声をかけてくださった方がいたのですが、何しろトレセンという場所で働いたことがないどころか、見ていない部分もあるし、よく分からなかったので、どこの厩舎とかではなく、どのようにしていいのか、迷った部分がありました。
[西]いくつかの厩舎から声が掛かっていたなんて、やっぱり隆ちゃんは凄いんだよ。俺なんか、いま、「面倒をみてください」と冗談とかで言うと、真剣に「来なくていいから」としか言われないからね(笑)。小島茂先生とアイルランドで会ったというのは?
[斎]僕が働いていたJ・オックス厩舎に研修に来ていたのですよ。
[西]それも何かの縁だよね。
[斎]そういう縁も感じたので、お世話になることにしたのです。とにかく入ったばかりで分からないことだらけで、それなら、話したこともあるし、アイルランドで一緒に働いたことがあるウチの先生(小島茂師)にお世話になろうと思ったのです。
[西]隆ちゃんがアイルランドへ行くきっかけって何だったの?
[斎]きっかけというのではないのですが、働いていた牧場がやめることになったんですよね。競馬学校は28歳まで入学できるし、一度は外国へ行ってみたいと思っていて、ここがチャンスかもしれないという思いがありました。とにかく実際に行って、見てみたかったのです。また、ちょうど、エルコンドルパサーが活躍していた時でした。
[西]アメリカとかは考えなかったの?
[斎]映像でしか見たことはありませんし、素人ながらスタイルが違うなぁという感覚程度ではあったのです。ただ、なぜかと言われると、明確な何かがあったわけではないのですよ。強いて挙げるなら、エルコンドルパサーの活躍を見て、とっさに「行くならヨーロッパだ」と思ったことですかね(笑)。
[西]そうだったんだ(笑)。そう言って、3年間も行ってたんだから、凄いよね。こういう言い方は失礼かもしれないけど、いまの時代、外国で働いた経験を持っている人って多いけれど、3年間という長い期間を働いた人はそれほど多くないですよ。
[斎]行く時に、3年をひとつのサイクルだと考えたのです。厩舎で言えば、1歳の秋になって、馴致を始められて、2歳馬になって競馬を走り、3歳の秋になって淘汰をされていくというサイクルの中で、3年ぐらいかけて見てみたいと思ったのですよね。ただ、最初は「前例がない」と言われて、最初の3ヶ月間は競馬学校にお金を払いながら厩舎で研修する形で始めたのです。
[西]へぇ、そんなことがあるんだ。
[斎]アイリッシュたちに、「信じられない。なんで、金を払いながら働くんだ?」って言われました(笑)。結局、3ヶ月の研修を終えたところで、ミスター・オックス(J・オックス師)がワーキングビザを取ってくれることになって、働けることになったのです。
今週はここまでとさせていただきます。
先週に掲載した胃潰瘍について、読者の方から質問をいただきました。
空腹時に胃液が溜まった状態で調教を走ることで、胃全体に行きわたるために胃潰瘍になるのでは?という趣旨の質問をいただいたのです。
おっしゃりたいことはよく分かります。もちろん、そういう要因もあるのでしょうが、ウチの厩舎は調教前に朝飼い葉を与えていますし、トレセンの馬たちの多くは、まったくの空腹で調教を行っているケースはないはずです。
ただ、実際のところ、胃潰瘍の原因として、これだということは分かっていないのが現状です。逆に言えば、ストレスというのも、絶対にそうだとまでは言い切れないということでしょう。
現場で接していると、先週にもお話をしたように、調教の負荷が強くなると、食べられなくなる馬たちがいるのです。そこで検査をすると、胃潰瘍が見つかるケースが多かったりするのです。
でも、なるほどと思いますし、そういう可能性もあるのでしょうね。ぜひ、みなさんも何かありましたら、メールをいただければと思います。
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