春の盾へとつながる24年目での初優勝
文/編集部
武豊騎手が
87年のデビュー以来、24年連続でのJRA重賞制覇を達成した。通算では262勝目で、その中には、8回勝っている阪神大賞典や7回の京都大賞典、6回の天皇賞・春や弥生賞、ローズSなど、複数回の優勝を誇るレースが数多く存在する。
ところが、今回の
ダイヤモンドSは、初めての優勝となった。
これには理由があって、武豊騎手は88年以降の22年間で、
きさらぎ賞に20回出場しているのだ。
きさらぎ賞とダイヤモンドSは、かつては同日の開催ではなかったが、00年以降は同日に行われ、武豊騎手はその多くをきさらぎ賞参戦に当ててきた。
ダイヤモンドSでの騎乗は過去に一度だけで、それが今回の初優勝の要因であるのだろう。
武豊騎手は、きさらぎ賞に参戦した20回のうち、1~3番人気の馬に騎乗した回数が18回を数える。それだけ、3歳クラシックを睨んだ若駒に騎乗するのがこの時期の習わしになっているわけだが、今年は違った。今年は
フォゲッタブルという存在がいたからだろう。
フォゲッタブルは、1勝目、2勝目を武豊騎手で挙げている。しかし、昨夏の新潟遠征とともに手を離れ、川田騎手(阿賀野川特別②着)、吉田隼騎手(セントライト記念③着、菊花賞②着)、スミヨン騎手(ステイヤーズS①着)、ルメール騎手(有馬記念④着)がその鞍上を務めてきた。武豊騎手が騎乗するのは6戦ぶり。これを意気に感じないはずがない。
ただ、
フォゲッタブル自身にとっては、今回は簡単ではない条件だったようにも思う。ステイヤーズSや有馬記念は古馬相手での3歳馬という立場もあり、斤量が55kgだった。それが
今回はハンデ57kgを課せられ、東京コースも初めてだった。
レースも、その結果を見ると分かることだが、
フォゲッタブルを除く⑨着までの馬がすべて1~5枠という、
内枠有利な流れでもあった。
武豊騎手はレース後に
「3400mのスタート地点での外枠は不利」と話していたようだが、それでも馬場の外から追い込みを決めた。1馬身以上の差で突き抜けてみせたのだから、本命だった人も軽視していた人も、これは賞賛するしかないだろう。
86年以降のダイヤモンドSで③着以内に入った馬は、天皇賞・春での成績が[1.4.4.46]となっている。優勝したのは、03年のダイヤモンドS①着で翌年の天皇賞・春を逃げ切ったイングランディーレだけで、決して好相性の関係とは言えない。
それでも、今年は違うのではないかと思わずにはいられない。勝ったのは誰あろう、天皇賞・春の最多勝記録を持つジョッキーである。
レース同士の相性よりも、騎手の相性が勝るのではないかと思わせられる。
フォゲッタブルを管理する
池江泰郎調教師は、来年の2月末で定年を迎える。今年の3月以降の重賞は、それぞれ
「ラスト」となるわけで、それには
天皇賞・春も含まれる。
天皇賞・春での最多勝ジョッキーは武豊騎手だが、最多勝トレーナーは4勝の尾形藤吉氏と藤本冨良氏。池江泰郎調教師は、
メジロマックイーン(2勝)と
ディープインパクトで勝っていて、現時点で3勝となっている。
天皇賞・春の最多勝ジョッキーが最多勝トレーナーをもうひとり増やす形となるだろうか。今年の天皇賞・春は、2ヶ月半後の5月2日になる。