俳優ではなく騎手を選んだ理由とは? 菅原隆一騎手に聞きました
2010.9.9
先週の新潟に出走したマレーネは、3着という結果に終わってしまいました。
3着なのでスーパー未勝利への出走権を得て、首の皮一枚つながったということなのですが、普通なら最後のチャンス。しかも、前走で権利を得ていて、ここと決めて出走できるケースなのです。
あくまで個人的な考えですが、今回のようなケースはG1へ出走させる、そういうイメージを持って臨んでいるのですよ。
G1をはじめとする大きいレースは、当然のことながら次の週はないわけで、「1週早かった」ということは通用しませんよね。もっと言えば、今回のようなケースでは、決めるといいますか、勝たなければならないということです。
もちろん競馬ですから、やってみなければ分からないのですが、その気持ちが大切だと思うんですよね。次こそはキッチリと決められるように、厩舎一丸となって頑張っていきます。
では、今週は、菅原騎手との対談の3回目をお送りします。どうぞ。
西塚信人調教助手(以下、西)菅原君と言えば子役さんをやっていましたよね。それはいつ頃から始めていたのですか。
菅原隆一騎手(以下、菅)物心が付いた時には子役をやっていました。小学生になる前は、広告の写真とかに出させていただいていました。
[西]そうなんだ。映画とかは?
[菅]小学校に入ってからですね。そこから卒業まで、仕事を続けました。
[西]中学校に入る時には辞めたのですか?
[菅]中学生になる時に「どちらかにしなさい」と言われて、騎手になることを選びました。
[西]『らせん』にも出演していますが、あれは何年生の時ですか?
[菅]小学1年生の時でしたね。でも、セリフもそれほどあったわけではありませんし、出演していたというほどではありません。
[西]ただ死ぬというだけだっけ?(笑)
[菅]そして、生き返りました(笑)。
[西]そのまま役者さんになろうとは考えなかったの?
[菅]すごくいい世界だと思いましたし、役者さんという存在に魅力は感じました。でも、騎手になりたいという気持ちの方が強かったのです。
[西]「鯉太郎」役で出演していた『釣りバカ日誌』については、何作目に出演しているのですか?
[菅]12、13作目です。鯉太郎が生まれて、小学生になったあたりですね。
[西]そこでは、セリフがバンバンあったの?
[菅]いえ、そうでもなかったですね。いろいろと撮影をして、セリフもあったりはしたのですが、編集の段階でカットされてしまっていました。
[西]あっ、そうなんだ。映画って、結構多めに撮影してあるもんなんだね。
[菅]そうですね。実際には使われないシーンでも、かなり撮影していました。
[西]でも、スゴイよね。日本の映画史に残る作品ですからね。俳優的に言うと、メジャーデビューしているということですよ。
[菅]いま思うと、凄い映画に出させてもらったと思います。でも、当時は子供で、そういうことが分かっていませんでした。
[西]現場とかは、映像で見る感じと違ったりしましたか?
[菅]いえ、あのままの感じです。役作りとかではなく、みなさん映画がそのままという感じでした。
[西]西田敏行さんとか、いまでも菅原君を覚えていたりするのだろうね。
[菅]どうなのでしょう。
[西]でも、デビューする時に新聞にコメントが載っていたよね。
[菅]よくコメントをしてくださいましたし、取材していただいたと思います。
[西]共演した人に「頑張りなさい」とか応援してもらったりした経験はあるのですか?
[菅](競馬)学校生の時に、東京競馬場で佐藤浩市さんが見えられていたことがあって、個人的に大好きでもあって話かけさせていただきました。
[西]共演したことがあったの?
[菅]『らせん』の時ですね。
[西]あっ、そうか。菅原君だと分かったのかな?
[菅]いえ、最初は分かっていらっしゃらなかったと思います。話をさせていただいて、思い出してもらったという感じでしょう。
[西]そう言えば、陣内孝則さんの所有馬であるキクジロウに騎乗していたよね。あれは、そういうつながりだったりするの?
[菅]いえ、違います。あの時は、高市先生に声を掛けていただきました。
[西]いやぁ、でも、凄いよね。ミーハーになっちゃうけど、オーディションとかって大変なのでしょう?
[菅]そうですね。400~500人の中からひとりという感じです。
[西]菅原君もそこを潜りぬけて出演したりしていたわけだ。
[菅]そうですね。
[西]何か持っているんだよ。
[菅]そうだといいのですが(笑)。
[西]それにしても、思い切った決断だと思うよ。ブッチャけさせていただくと、騎手か俳優かという時に、読んでいる読者の方の中でも、俳優を選ぶ人の方が多いと思うのですよ。
[菅]俳優さんも素晴らしいと思います。でも、オーディションで「将来の夢は?」と聞かれた時に「騎手か俳優です」って言っていましたし、幼稚園の時に書いた将来の夢にも、『騎手』と書いてあったのですよ。
[西]あっ、そうなんだ。遺伝子レベルで組み込まれていたんだね(笑)。
今週はここまでとさせていただきます。
最後に、ノビーズのライヴについてお話をさせていただきたいと思います。
秋から年末に向けて、1~2回ほどライヴを行うことになりそうです。1回はあるイベントで、もう1回は単独ライヴをやるという方向で、毎週、練習に励んでおります。
上の方(松岡騎手)が曲の制作に意欲的で、次々にオリジナルの曲が完成していますので、何曲かは披露させていただけると思います。
来ていただけるみなさんには、何か喜んでもらえるようなサプライズも計画しようと考えていますので、ぜひ足を運んでいただけますよう、よろしくお願いいたします。
ということで、最後はいつもの通り、『あなたのワンクリックがこのコーナーの存続を決めるのです。どうかよろしくお願いいたします』。