アップダウンのきついヨーロッパの競馬について、実体験とともに話してもらいました
2010.12.30
チョンマゲ先生こと、高橋義博先生がバシケーンとともに中山大障害を勝ち、ついにG1制覇を成し遂げましたね。
僕は、当日、競馬場に行っていたのですが、ウチの厩舎が12レースに出走させていて、その装鞍と(簑島)靖典(騎手)が鞍を置くのが一緒で、装鞍所に向かう途中で会って、「どうなんだ?」とか「小さい馬だけど、大きな障害を飛べるのか?」などと話をしていたのです。
そうしたら、靖典が行くのが遅かったようで、高橋先生が迎えにきていました(笑)。とは言っても、時間的に全然余裕があったので、先生も力が入っていたのかもしれませんよね。
パドックでバシケーンを見て、個人的には張りがあって良い状態なのだろうなぁと思っていたのですが、ブッチャけますと、一方で、毎日攻め馬をしている(横山)義行さんが、メルシーエイタイムで勝って障害100勝を達成というストーリーも頭にあったのですよ。
勝った日の翌朝、攻め馬で靖典に会ったので、「泣いただろう?」と声をかけたら、「笑っちゃった」と言っていました(笑)。
高橋先生とはお会いできていないのですよね。他の人が「断髪式をしなければなりませんね」と話を振ったところ、「そうですね」と言われていたそうで、対談で話をしていたことが現実になるかもしれませんね。
そのあたりも含めて、再び登場していただくことも考えておりますので、どうぞお楽しみに。
それでは、今週は、斎藤隆介調教助手との対談の3回目になります。どうぞ。
西塚信人調教助手(以下、西)隆ちゃんは、どうしてこの世界に入ろうと思ったのですか?
斎藤隆介調教助手(以下、斎)憧れですね。小学校の遠足で中山競馬場に来ていたくらい家が競馬場に近くて、競馬場に行く機会はとても多かったですから。
[西]あの周辺の学校とかは、確かに競馬場はいい遠足場所かもしれないですね(笑)。やはり、騎手に憧れたのですか?
[斎]最初は目指していましたね。
[西]乗馬とかやっていたのですか。
[斎]はじめたのは、高校に入ってからです。中山競馬場にある中山乗馬センターで始めました。
[西]その時でも、騎手になりたいという思いはあったのですか。
[斎]最初はそう思っていたのですが、その頃にちょうど体が大きくなってしまって諦めました。でも、一度は受験もしたのですよ。
[西]なるほど。そうなると、次は調教師という感じになったりしたのですか?
[斎]いや、とにかく馬に携われる仕事がしたいと思ったのです。始めた乗馬も楽しくて仕方がありませんでした。平日に学校から帰ると、午後は馬を乗らないのですが、乗馬センターに行ってブラシをかけたり、世話をしていたのです。乗馬を始めるとさらにハマッていってしまって、いろいろ調べ始めました。トレセンがあって、そこに馬がいて、携わる人たちがいる、ということが分かって、そこで働くためには学校があって、入学するためには牧場経験が必要だと。それで、高校を卒業してから4年間、北海道の牧場で働きました。
[西]あっ、そうなんだ。だから、隆ちゃんは、競馬学校に入ったのが遅かったんだ。
[斎]そう。北海道に4年、アイルランドに3年で、7年経ってますからね。
[西]アイルランドでは一人暮らしをしていたのですか?
[斎]いえ、アイリッシュたちと一軒家を借りて、ルームシェアをして暮らしていました。
[西]アイルランドにいる間に、アメリカへ行きたいとかは思わなかったの?
[斎]思いましたよ。実際、2年経った時、「イギリスへ行きたい」とボス(J・オックス調教師)に言って、M・スタウト厩舎を紹介してもらったのです。ただ、スタウトも雇ってくれることになっていたのですが、ワーキングビザを出してもらえず、3年目もオックスで働くことになったのですよね。
[西]ワーキングビザを出してもらえないのには、何か理由があったのですか。
[斎]凄く大変な作業を伴ったのですよね。馬に関するレポートを提出したり、授業を受けたりして、資格みたいなモノを取得しなければならないというルールがあったのです。レポートも書きましたし、学校へ通って、バリカンを使って毛の刈り方を勉強したり、ロンジングについて学んだりもしたのですが、どうにもならず諦めました。そこで、アメリカという話もいただいたのですが、そこまで踏み込めなかったです。
[西]アメリカの馬がヨーロッパに行くことってあまり聞かないですよね。
[斎]ヨーロッパの馬たちはブリーダーズカップに行きますけど、その逆はあまりないですね。行ってドバイまでですかね。
[西]スタイルが違うということなのですかね。
[斎]それだけ求められるスタイルが違うということでしょうし、馬も違うんだと思います。ただ、最近はヨーロッパでは、種牡馬でもアメリカから持ってくる傾向が強くなってきたり、フランスではダービーの距離が短くなるなど、距離感が近くなりつつあるような感じはあります。でも、それ以上にはならない部分はあるんですけどね。
[西]何よりも、競馬そのものが違うでしょう。
[斎]トラック競馬と、アップダウンが激しく、自然の地形をそのまま利用した草原のなかで競馬をしている違いは大きいはずですよ。
[西]松岡も言うんだけど、そのアップダウンというのは、相当きついものなの?
[斎]馬が勝手に鍛えられるような感覚はありますよ。縦横無尽にうねっているなかで、馬場も硬い日ばかりではなくて、緩くなったりもしますし、そういうなかでバランスを取りながら走っているわけですから、自然と鍛えられていくようになると思います。
[西]緩い時というのは、「今日、良くないな」というチップとかの問題じゃない感じなの?
[斎]全然そういうレベルじゃないのですよ。「よくバランスを取ることができるな」と思います。
[西]日本とは全然違うんだね。
[斎]環境の違いだから、それはそれなのですが、日本馬は下を信用して走っているけれど、ヨーロッパの馬たちというのは、疑って走っているという違いは感じます。
[西]そうか、ヨーロッパの馬が馬場を信用して走っていたら、ノメッたり、躓いたりしちゃうよね。
[斎]そういうことですよ。日本では調教で、コースや坂路で勢いよく飛び出していく馬たちを見かけますが、ヨーロッパではほとんど見かけません。そのあたりがいちばん違うと思うところですね。
[西]ヨーロッパの馬は、あの勢いで行けないということなのだろうね。
[斎]競馬を走るうちに、ハミがかりが良くなっていく馬もいるのですが、そういう馬に対してオックス厩舎では、1頭で草原を乗るんですよ。
[西]放牧地でということですか?
[斎]違うんですよね。広大な草原を1頭で乗るのです。羊もいれば、木々もあるなかを走らせるのですよ。そうすると、馬は下を確認しながら走るのです。上に乗っている人間もコンタクトを取りやすくなりますし、ハミ受けの矯正につながるのです。
[西]なるほどね。下を確認しながら走ることをもう一度思い出させるわけですね。そう言えば、角馬場はあったりするの?
[斎]オックス厩舎にはありますよ。馬場へ出て行く前に、ボスが歩様を確認するので、速脚をします。
[西]日本みたいにハッキングとかはやらないの?
[斎]しません。基本ダグで、歩様を確認するのみですね。そこから調教場まで20~30分くらい歩いていくのです。
[西]20~30分というのは遠いですよ。
[斎]結構な距離がありますよ。しかも、アップダウンのある草原のなかですからね。
[西]行くということは、もちろん、帰ってくるわけでしょう?
[斎]そうです。ちょうどそれが良いクーリングダウンになったりするわけですよ。それだけの距離を歩いて帰るということで、よく言われたのが「厩舎に帰っても、汗がひかない馬は何かがおかしいと思え」ということでした。健康というか、健常なら、厩舎に帰ってきた時には汗はひいているはずですから。
[西]なるほど。ということは、うるさい牝馬とかもあまりいないのですか?
[斎]いますよ。そういう時には、調教場から引き馬で帰らせられるわけですよ。
[西]えっ、20~30分の距離を!?
[斎]そうです。
[西]あっ、そういえば、松岡が「引かされた」って言っていたのを思い出しました。
今週はここまでとさせていただきます。
上の方(松岡騎手)の美浦村日記が年内で終了することは、みなさんご存じでしょう。そこでひとつ言わせていただきたい、僕のこのコーナーは終わりません!
僕のコーナーも終わると思っている方がけっこういるようで、元西塚厩舎の田中からも「なんで、やめるんですか?」と言われましたが、やめません(笑)。松岡だけです。
僕は来年以降も、続けさせていただきますので、どうかよろしくお願いいたします。
でも、これで、ゲストに松岡を呼べますね。何度かそのことを考えたのですが、ダブル松岡になってしまうので、くどいかと思って控えていたのです。
来年もさらにパワーアップして、松岡の分まで頑張っていきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
ということで、最後はいつも通り、『あなたのワンクリックがこのコーナーの存続を決めるのです。どうかよろしくお願いいたします』。
それではみなさん、良いお年をお迎えください。
新年は1月13日からを予定しています。どうぞよろしくお願いいたします。