『障害騎手は平地に乗っている騎手よりも下という見方はやめてほしい』という蓑島騎手の言葉は、僕自身の願いでもあります
2011.2.24
以前、対談に出ていただいた小野次郎先生が、来週の火曜日から調教師として厩舎を開業します。
トレセンで会うのですが、いろいろと準備などに追われて、騎手の時とはまた違った忙しさがあるようです。
馬やスタッフ、あるいは馬具だけではなく、雑用も多岐に渡り、それこそ印鑑ひとつ自分で押さなければならないわけで、尾関厩舎の庶務課長を自任している僕としてはその大変さがよく分かったりするわけですよ。
でも、次郎さんならやってくれるはずですし、陰ながら応援させていただきたいと思っています。
ぜひ、読者の皆さんにも、小野次郎厩舎を応援していただければと思います。また機会がありましたら、今度は調教師としてこのコーナーにも登場していただきましょう。
さて、バシケーン優勝おめでとう企画として続けてきた対談も、蓑島騎手との今回分で最終回となります。それではどうぞ。
西塚信人調教助手(以下、西)蓑島は騎手を目指して、北海道門別にある天羽禮治牧場にいたわけだけど、その時に障害とかを飛んだりしていたの?
蓑島靖典騎手(以下、蓑)してません。牧場にいましたが、あまり馬には乗っていませんでした。だからと言うわけではありませんが、馬乗りは抜けて下手ですからね(笑)。
[西]うははは(笑)。
[蓑]運は最強ですけどね。
[西]競馬学校を受験した頃は、競馬ブームで受験者数も多かったでしょう?
[蓑]はい。たぶん僕たちの前後がいちばん多かったんじゃないですか。僕たちの時で600人とか700人とか言われていたはずですから。
[西]そこを合格して騎手になって、G1も勝ったんだから凄いって。
[蓑]名前だけは残せたという感じですけどね(笑)。
[西](横山)義行さんも年齢を重ねていく障害界で、『蓑島時代』というのはどう?
[蓑]いや、ありえないから。五十嵐さんですよ。
[西]でも、そこで蓑島というのがあってもいいんじゃないかと思うわけですよ。
[蓑]いや、みんな本当に上手いですから。僕以外は本当に上手い。一緒に乗っていて、真剣にそう思いますから(笑)。
[西]うははは(笑)。
[蓑]障害に乗っているからと言って、馬乗りが下手なわけじゃないですからね。これだけは言いたいのですが、障害に乗って、むしろ技術は向上していますので、本当に上手い。
[西]運動神経も良いよね。
[蓑]そうなんですよ。普通の人間じゃあり得ないという部分が多いのです。体の柔らかさも凄いですし、個人的には運動神経はとても大切だと思います。いや、本当に、障害に乗っているから下手、と思われるのは悔しい。みんな馬に乗るのが上手いのですよ。僕以外はね。
[西]うははは、「俺は別として」ね(笑)。
[蓑]平地の乗鞍に恵まれなくて障害に乗っていくという傾向は確かにありますが、決して技術の差ではないのですよ。馬のことを理解していなければ、飛ばすことはできないわけですし、扶助ということではむしろ障害を飛んでいるからこそ分かっている部分もあるのです。だから、『障害騎手は平地に乗っている騎手よりも下』という見方をするのは、本当にやめていただきたいと思うのです。
[西]確かに、そういう傾向はあるよね。一緒に乗っていると本当に凄いと思わせられる。
[蓑]僕以外の人たちは、本当に上手いですよ。義行さん、浜野谷さん、五十嵐さんを筆頭にみんな凄いんですよ。バランスとか尋常じゃないですから。あのアブミの短さで障害を飛ぶだけでも凄いのに、ブレることがない。僕の中でもあり得ないことですから。
[西]そうだね。
[蓑]俺はいいから、そういう偏見みたいな見方をするのはやめていただきたいのです。
[西]俺はいいんだ?(笑)
[蓑]俺はいいですよ。下手ですから。でも、伸びしろは半端じゃありませんから(笑)。
[西]うははは(笑)。ここから上手くなる可能性は秘めているということだよね。
[蓑]そう言って、いつもウチの先生(後藤調教師)に怒られているわけですよ(笑)。
[西]えっ、後藤先生に?
[蓑]そうです。
[西]そういえば、運ということで言えば、後藤先生に面倒をみてもらったことも幸運だったんじゃないの?
[蓑]もしウチの先生に面倒をみてもらっていなかったら、早い時期に向上心がなくなってしまって、騎手を辞めていたと思いますよ。競馬では、考えて乗るというよりも感覚で乗ってしまう方なのですが、先生はひとつひとつ理論的に話をしてくれるのです。
[西]後藤先生はそういう先生だよね。
[蓑]だから、今度はこう乗ってみようとか、こうしたいと考えることができているのですよ。いまでも、一緒になって話をしてくれるのです。本当に感謝しています。
[西]人に恵まれているよね。
[蓑]運だけはあるなと思っていたのですが、今回は運がまだ残っていたんだと思います。
[西]なるほどね(笑)。
[蓑]いや、天羽牧場に行ったのも運ですから。
[西]そもそもなんで騎手になろうと思ったの? 実家が牧場だったとかじゃないでしょう。
[蓑]牧場は牧場でも牛専門です。乳牛を扱っている牧場です。
[西]周りに馬とかはいなかったの?
[蓑]いなかったですね。あっ、ばんえい競馬を走るような大きい馬はいたけど。
[西]そこから騎手になりたいと思ったんだ。
[蓑]動物が身近にいることは当たり前でしたし、騎手は格好良いと思ったんですよね。ちょうどその頃に兄貴が受験で、「お前はどうするんだ?」ということになったのです。そこで「騎手になりたい」と言ったんですよね。そうしたら、ちょうどテレビで天羽禮治牧場が取り上げられていたらしく、父親が番号を調べて電話をしたのですよ。
[西]へえ、そうだったんだ。
[蓑]それがきっかけとなって、中学3年生になる春休みに牧場に行くことになったのです。
[西]春休みの体験みたいな感じだったんだ?
[蓑]そうだったんですが、行った初日に(天羽禮治)社長から『本気なら、ウチに来い』と言われたんですよ。「お願いします」と言いましたけど……だって『そこまで本気じゃない』とは言えないじゃないですか。
[西]うははは(笑)。そりゃそうだ。
[蓑]正直、そこまで本気かと言われればそうじゃありませんでしたから。ただ、真剣に言ってくれていましたので、ここでお世話になれば騎手になれるんだろうなという甘い考えもありました(笑)。
[西]それで転校までしてしまうんだよね。
[蓑]そうです。
[西]転校して、つまりは住み込んだということだよね。どういう生活だったの。
[蓑]最初は馬に乗せてもらいました。でも、学校が始まると時間がないですし、従業員さんたちは馬に乗る以外に世話をしているわけですよ。学校行く前に放牧したり、世話をして、帰ってきてからだと馬に乗る時間は終わっていますので、社長と筋トレタイムという感じでした。なので、牧場に住んでいても、馬に乗っていたということではないのですよね。
[西]辛くなかった?
[蓑]1回もそう思ったことはありませんでしたね。たまに、種付けに行く時に社長が学校に来て、連れて行ってくれたりもしました。ナリタブライアンの種付けに行ったことがあります。時期的に出産も経験することができました。社長が眠ることなく、モニターで観察している姿も見ることができたのですよね。牛は基本的に出産に関してはそこまで神経質ではなかったので、『凄い』と思った記憶があります。
[西]それにしても、凄い生活だよね。騎手なるためとは言え、牧場に住み込んで、種付けを見て、出産にも立ち会えたんだから。
[蓑]アイルランドにも連れて行ってもらいました。
[西]えっ!? マジかよ。天羽の社長と一緒にアイルランドへ行ったの?
[蓑]そうですね。連れて行ってもらって、その時に馬に乗せてもらって、一緒になったのがJ・スペンサーだったのです。
[西]いまイギリスでリーディングの上位に頑張っているじゃない。どんな感じだった?
[蓑]人間とは思えない感覚でした。そんなに年齢に差がないのに、颯爽と馬に乗っていたのですよ。ただただ、凄いと思いましたよね。
[西]いやぁ、なかなかできることじゃないよ。他人の子どもをアイルランドまで連れて行くなんて。
[蓑]それくらい僕たちのことを考えてくれていたんですよね。本当に感謝しています。
[西]大障害を勝って良かったなぁ。レースの後、(天羽禮治)社長に電話をしたら喜んでいたけど、そりゃ喜ぶって。ハーツクライの種付け料とか払ってあげろよ(笑)。
[蓑]本当に感謝しています。(笑)
[西]そりゃ、運あるわ。天羽の社長に足を向けて眠れないね。
[蓑]本当にそうです。牧場に行ってなければ騎手を目指していなかったですし、社長じゃなければ帰っていたはずだし、いまの僕があるのは間違いなく天羽の社長と出会えたからですよ。
[西]西塚厩舎に馬を預けてくれた時にも、『靖典に乗せてやってくれ』と電話してくるんだよ。いまだから言えるけど、他の調教師たちは気を遣って、いい騎手を乗せる話になるらしいんだ。でも、『攻め馬も靖典に乗せて、競馬も乗せてやってくれ』って預けてくれた馬もいた。そんな人いないよ。あんな人いないから。
[蓑]言葉では言い表せないくらい感謝しています。
[西]そういう人と出会えたのは、間違いなく蓑島の持つ運だよ。
[蓑]怒られるかもしれないけど、自分自身で努力したと思うことってそこまでないんですよ。でも、社長とウチの先生に出会えて、いまの自分があるんです。社長から電話があって『しっかりやれ』と言われ、先生から『こうやって乗れないのか』と言われて。それらがないと、いまの自分はありません。
[西]そういう意味では高橋(義博)先生もかわいがってくれているじゃない。
[蓑]本当に感謝しています。僕自身のフォームは見てくれが酷くて、ビデオを見ていて、「何でもっと上手く乗れないかな」と思うんです。そんな僕が騎乗できるのは、応援してくれる、後押ししてくれる皆さんがいるからでしかないのですよ。
[西]そういう人たちに恩返しするために、頑張っているんだろうけど、もっと頑張ってよ。
[蓑]はい、頑張ります。こんなことを言ったらバシケーンに怒られてしまうかもしれませんが、バシケーンと自分は似ているなぁと思う部分があるのですよ。出会った時も、バシケーンは平地に見切りをつけられた時で、僕自身もダメだったんですよ。障害でも0勝でしたから。あの時は、正直、潮時なのかなぁとも思いましたよ。それでいながら、落馬が10回を超えてしまっていて…。ただ、当時はいまと投票システムが違っていたので、どん底なのに毎週のように騎乗馬がある状況だったのですよね。
[西]そうだったね。
[蓑]運があったのかなと思うのですが、『辞めんじゃねぇぞ』と、くじけないようにということだったのかなぁと今は思うのですよね。もし、間が空いたら、怖くて乗れなかったでしょうからね。
[西]勝てないし、落ちてばかりいるしでは、そういう気持ちにもなるよね。
[蓑]本当に恵まれていると思いますし、すべてに感謝しています。本当に苦しい時に、馬に助けられているのですよね。それも忘れないように頑張ります。
[西]いやぁ、いい話をありがとう。最後に、天羽の社長から「早く結婚しろ」って伝言をあずかってます(笑)。
[蓑]相手がいれば(笑)。
[西]また機会があったら、頼みます。ほんと、これからも頑張って。ありがとうございました。
[蓑]いえ、こちらこそ、ありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。今回の対談で蓑島騎手が、『障害騎手は平地に乗っている騎手よりも下という見方をするのはやめていただきたい』と繰り返し口にしていましたが、僕自身も同じ思いですし、本当にその通りなのですよ。
平地の騎乗に恵まれずに障害へという傾向はあります。しかし、決して騎手としての技術が劣るからということではありません。
トレセンのなかでも、障害騎手は障害騎手という意識で捉える傾向はあるのですが、障害騎手の方々でも、平地でも素晴らしい技術を駆使して上手に乗る方々もいますし、本当に上手だと感じさせられることが多いのですよ。技術ではなく、機会に恵まれなかったなど他の理由がそこにはあるということなのです。
蓑島騎手が口にした『障害騎手は平地に乗っている騎手よりも下という見方をするのはやめてほしい』という言葉は、僕自身の願いでもあります。
ぜひ皆さんにも、障害を主戦とされている騎手たちが決して技術が劣っているわけではないこと、むしろ上手い騎手がいることを知っていただければと思います。
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