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今週からは、元調教師の笹倉武久先生との対談です!
2011.4.21

今週から東京開催が始まるということで、関東に競馬が戻ってきます。震災直後にも話をしましたが、今回はいろいろと考えさせられました。

馬の入れ替えに関することに始まり、変則的な2場開催、さらにはそれによって関東馬に及ぼされた影響など…。もっと言えば、中京競馬場が改修工事中で、開催できる競馬場がなくなり、先々あってほしくはありませんが、同様のケースも想定しておかなければならないと教えられました。

2場開催となり、いつ走れるか分からなくなった中で調教をしていくというのは、馬にも負担ですが、人間側も戸惑ったはずです。いろいろと考えさせられましたが、今週から関東でも競馬が行われますので、これからも競馬をよろしくお願いします。

さて、今週からは元調教師の笹倉武久先生との対談がスタートします。それではどうぞ。

西塚信人調教助手(以下、西)今日は元調教師の笹倉先生をお迎えしました。どうぞよろしくお願いいたします。

笹倉武久元調教師(以下、笹)よろしくお願いいたします。


[西]今回の対談相手がなぜ笹倉先生なのかと思われる方が多いと思うので説明させていただくと、(笹倉)先生は、ウチの亡くなった父親の小学校時代からの先輩なのですよね。年齢は先生の方がひとつ上でいらっしゃいますよね。

[笹]そうだね。

[西]中学校も一緒で、同じ柔道部だったのですか?

[笹]そうだよ。

[西]僕のなかでは、西塚十勝厩舎の隣が先生の厩舎で、お祖父さんの家に遊びに行くと先生のところの犬と遊べた、というイメージが強いんですよね。

[笹]言われてみれば、そうだったね。

[西]親子ともども、本当にお世話になりました。今日は、親父の内緒話もぜひしていただければと思います。

[笹]言えない話もたくさんあるね(笑)。あいつは腹が黒くなくて、駆け引きをするような男じゃなかった。でも、悩みは口に出さないタイプだったよね。


[西]子供の頃は、相当やんちゃでしたか。

[笹]俺はあいつに『いじめられた』といつも言われたなぁ。まったく身に覚えがないんだけどさ(笑)。

[西]思い込みでしょう(笑)。いやぁ、本当にお世話になりました。

[笹]西塚家とは本当に古い付き合いになるね。府中から中山に引っ越した時、十勝先生の厩舎があって、ウチの親父が他の厩舎で厩務員をしていたんだ。当時はカラーテレビが出たばかりで、どこにでもある時代ではなかったんだけど、十勝先生のところにはあった。7時半になると、『テレビを見させてください』ってお邪魔したもんなんだ。正座して見ていると、お姉さん、あなたの叔母さんがお菓子をくれてね。

[西]へっ、そうだったんですね。

[笹]歩いて10分くらいだったかな。特に楽しみだったのはスーパーマンが放映される木曜日の7時半だった(笑)。

[西]そんなことがあったんですか。そう言えば、親父は先生のことを「先生」とは呼ばずに、ずっと「先輩」と呼んでいましたよね。

[笹]笹倉と名前で呼んだことはないんじゃないかな。

[西]先生はというと「安夫」としか呼びませんでしたよね?

[笹]「安夫先生」とは呼べないだろう(笑)。

[西]確かに、呼べませんね(笑)。


[笹]葬式まで「やっちゃん」だったな。

[西]あの時は無理を言いましたが、本当にありがとうございました。先生は、以前は騎手をされていましたよね。

[笹]そう。でも、最初は騎手になる気などなくて、大きくなりたい一心で柔道をやり始めたんだ。ガキ大将にも負けたくないから、そのためにと不純な動機で柔道を始めたんだ。

[西]その後に騎手になられたのはどうしてですか。

[笹]柔道をやっても背が伸びなかったんだ。しかも、親父が厩務員という環境だったからね。乗馬苑の馬を引っ張り出して、隠れて乗ったりはしていたけど、あくまで自己流だったし、教わりながら馬に乗ったことはなかった。

[西]そこから馬事公苑に進んだのですか?

[笹]そうだね。正直に言えば、お金を稼げるという意識はあった。ただ、いまのようにスターというような感覚は誰も持ってなかったな。

[西]あっ、そうだったんですか。

[笹]本当のところを言えば、あそこはまだ吹き溜まり人生などと言われていた時代で、いろいろな人間がいたから。親父が厩務員だったから、子供の頃から『飲む、打つ』というのは全部見てきた。それはひどかったもんだよ。

[西]凄そうですね(笑)。

[笹]そりゃ、凄かったよ。みんなで博打をやっている。そこで寝ていて、終わると『ほら、兄ちゃん』と起こされて、お小遣いを100円もらえるんだ。そうやって貯めて郵便局へ貯金をする。すると、いつの間にかなくなってしまうわけだよ(笑)。

[西]いまからは想像できないです。まさにギャンブルという感じですよね。

[笹]そう、ギャンブルさ。いまの人たちは知らないかもしれないが、自ら命を絶つ人もいた。中山競馬場の桜の下で命を絶ったという話はよくあった。

[西]えっ!? どういうことですか。

[笹]馬券で取られてしまうからだよ。

[西]お客さんがですよね。

[笹]そうだよ。向正面の桜の木の下では、かなりの数の人たちが命を絶っているはずです。

[西]まさに鉄火場ですね。そんな話、初めて聞きました。

[笹]俺たちが子供の頃はそうでしたね。競馬というと、世間からは相手にされなかったというのが事実ですよ。

[西]いまでは考えられないですよね。先生が騎手になった頃はどうだったのですか?

[笹]その頃にはもう、ギャンブル性というのは薄らいできていたよね。ただ、今みたいにスター云々ということではなかった。ウチの宗像(騎手)なんか、デビュー前にサインを覚えたって言うんだ。当時、教官をしていた荻野は同期なんだけれど、『馬にも乗れないのに、サインを先に覚えさせる奴がいるか』って文句を言ったことがあるよ。

[西]あっ、荻野先生は同期なのですか。

[笹]そう。デビュー前にサインを書けるようにさせるというのは、時代の流れなのかもしれないが、俺たちの頃にはあり得ない話だから。デビューして、勝ち鞍を重ねていって、名前が知られてからサインをするようになったんだ。初めてサインをしたのは見習い騎手として勝ち星を挙げいく中でだった。でも、あることがきっかけでサインは一切しなくなった。

[西]えっ、何があったんですか?

[笹]あるパーティーでサインをしてくださいって言われて、色紙にサインしていると、その後ろに参加していた人たちが並び始めた。何人かにサインをしていると、『誰にサインしてもらっているの?』という言葉が聞こえてきたんだ。誰なのか、わかっていないのに、並んでいるわけだよね。

[西]そういうことですよね。

[笹]それ以来、サインをすることはやめてしまったんだ。

[西]そうなんですか。先生は、騎手としての同期というと、どなたがいらっしゃるんですか?

[笹]いちばん有名なのは大崎だね。

[西]レッツゴーターキンで天皇賞を勝った大崎昭一騎手ですね。

[笹]あと、関西では亡くなってしまった安田伊佐夫、それと鹿戸明だね。関東では、小林常泰、あとは競馬学校で教官を務めた荻野も同期なんだ。

[西]そうだったんですね。先生は所属はどこだったんですか?

[笹]最初は田中和夫厩舎だった。当時は作家の吉川英治さんをはじめ、それこそ田中角栄元首相の馬がいたりしたんだ。

[西]凄いですね。

[笹]田中和夫先生が開業して私がお世話になったので、田中和夫調教師の弟子としては第一号かな。先輩も含めて所属騎手が何人かいて、畠山重も一緒だった。

[西]畠山先生とは、どちらが年上なのですか。

[笹]歳は畠山の方が上。でも、(畠山重師は)一度高校に入学してから入ってきたから、この世界に入ったのは俺の方が先。

[西]畠山先生も騎手だったんですよね。

[笹]アイツな、入ってきた時に体が大きかったんだよ。朝食の時に俺たちは普通に食べていたんだけど、畠山は田中和夫先生に『朝はパンで結構です』と言いやがってな。体重を気にしてのことなんだが、俺たちもそれに合わせなきゃならないわけだよ。ただでさえ、腹が減っているのに、余計なことを言ってくれたんだ(笑)。

[西]先生は体重は大丈夫だったのですか?

[笹]いや、365日汗取りをしましたよ。

[西]あっ、そうですか。

[笹]ごめん、正月は休んだかな。

[西]でも、ほぼ毎日汗取りをしていたわけですよね。昔って、体重が軽かったりしたのですか。

[笹]見習い騎手は47キロだった。

[西]それは厳しいですよ。

[笹]でも、47キロで乗ったことはないんだよ。一度倒れてしまったことがあってね。土曜日に48キロで乗っていて、日曜日は出走しないと聞いていたのに、出馬表を見たら47キロで乗ることになってるんだ。そこで慌てて汗取りに風呂に入ったら、ぶっ倒れてしまった。

[西]47キロという斤量があったんですね。

[笹]ある先輩は、サラブレッドのレースにアラブで出走した時に、45キロという斤量で乗ったことがあったよ。

[西]45キロというのは凄いですね。いま45キロに乗れる騎手っていないはずですよ。

[笹]昔は小さい騎手は本当に小さかったからね。

今週はここまでとさせていただきます。

笹倉先生は、これまでの対談ゲストのなかで最高齢となるわけですが、僕たちが知らない時代の競馬についてお話を聞けて、改めて参考になると感じる部分がありました。

来週以降も様々な話が出てきて、それこそいまのJRAにおける現場の現状というものがどうなっているのか、リアルな話も出てきますので、ぜひお読みいただければと思います。

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