笹倉先生は「いまは『ありがとう』がなくなってしまった」と話されました
2011.4.28
先週から東京で開催が始まりまして、いよいよ競馬が戻ってきた感覚を覚えました。
馬も輸送が短い分は負担が少ないでしょうし、我々人間側も、正直なところ、すべての面においてやりやすかったりします。
そんな先週に、関西(アンタレスS)で田辺が初重賞制覇を達成しました! いやぁ、不覚にも涙してしまいました(笑)。
田辺が勝つと、以前は条件を問わずメールを送っていたのです。でも、最近は田辺がよく勝つので、面倒になってメインを勝った時だけになっていたんですよね。
今回で言えば『ナベブリッツ』という感じで、田辺の名前と馬の名前を合わせて、絵文字でVサインを入れて送るのが恒例なのですが、今回は本人からブリッツとVサインのメールがリメールされてきました。
田辺がひとつずつ成長していくというか、階段を登っていっているところを見てきていましたし、僕自身はずっとチャンスさえあればやってくれると思っていました。本当に良かったです。素直に嬉しいですし、自分自身のことのような感覚も覚えました。
さて、今週は、笹倉先生との対談の2回目となります。それではどうぞ。
西塚信人調教助手(以下、西)笹倉先生が騎手だった頃、スターと言えばどなただったんですか?
笹倉武久元調教師(以下、笹)野平の祐ちゃんをはじめとして、丸目さん、加賀さんなどかな。ただ、当時は東京と中山に分かれていたからね。野平の祐ちゃんは中山で、丸目さんや加賀さんは東京だった。あの人たちは、厩務員の人たちが『この乗り役さんに乗ってもらったらありがたい』と言われた人たちだった。
[西]いまとは違いますね。
[笹]時代の流れと言ってしまえばそうなんだけれど、いまは謙虚さが希薄になってきているような気がするな。
[西]そうですか。
[笹]昔は道楽で馬主をやっている人が多かったが、いまは営利目的で馬主をやっている人が多いというのが実情でしょう。昔の話をすると笑われるかもしれないけど、ジョッキーも少なかったんだが、馬も少なかった。だから、下乗り時代は1日に何頭競馬に騎乗したかではなく、1日に何頭調教に乗ったかという数を争ったんだよ。
[西]えっ、攻め馬の騎乗した数ですか?
[笹]そう。『今日は、何頭攻め馬に乗ったんだ』、『いいなぁ』というような会話をしては自慢し合っていたよ。
[西]その当時は厩舎はいくつくらいあったんですか。
[笹]いまは美浦で120厩舎くらいかな。
[西]そうですね。
[笹]それが東京と中山に分かれていた感じだったと思う。
[西]馬房はいまのように20とか決まりはなかったわけですよね?
[笹]自由だった。多いところで、30~40頭という感じだったかな。
[西]それが東京、中山に分かれていたわけですから、いまからすれば少なかったのでしょうね。
[笹]それで、調教師たちは弟子を持っていたんだ。少なくても3人、主戦・見習い騎手・騎手見習いというように、各厩舎に騎手がいた。当時は、各厩舎に主戦ジョッキーというのがいたんだよ。
[西]騎手見習いというのは、俗に「下乗り」と言われる存在ですよね。
[笹]いまでいう、競馬学校生だね。
[西]昔は、下乗りから騎手になれずに、調教助手になったという方も少なくありませんよね。
[笹]そうだね。厩舎で調教師と一緒に正座をして、同じご飯を食べるんだ。そこから学校へ行った人もいた。
[西]高校ですか。
[笹]いや、中学校だよ。中学生から住み込んでいた人たちもいたんだ。
[西]そういう意味では、いまは恵まれているんですかね。
[笹]いや、いまの時代は最悪だよ。この前、ある人と話をした時に「お金を残しておけ」っていう話をしたんだ。この世界にいる人間は潰しが利かない。それをよく覚えておけという話をした。潰しが利くならいい。例えば、大学を出て、この世界に入ってきていて、もしダメでも他のことでもやれるのであれば問題ない。でも、そうじゃない奴もいるんだ。治外法権的な社会のなかで生きていて、一般社会に出てやれるかと言えば、そうそう簡単ではない。そういう意味で、いまはかわいそうだと思う。
[西]人に対する部分では、昔の方が良かったのかもしれませんね。
[笹]人間味があったと思うね。師弟関係ひとつをとっても、馬主からクレームをつけられても、調教師は自分の弟子を乗せていた。
[西]そういう意味では、各厩舎に主戦騎手がいるというのは凄いなぁと思います。その厩舎からダービーに出走する馬がいると、その主戦騎手が乗るわけですからね。それは凄いことだと思います。でも、なぜそういう関係がなくなってしまったのですかね。
[笹]弟子制度そのものがなくなったからなんだけど、個人的には、騎手のフリー化と、進上金を現金で渡さなくなったことにあると思っているんだ。
[西]いまは振り込みですからね。昔は現金だったんだぁ。
[笹]そこで調教師に対して『ありがとうございます』という言葉が出たんだ。そして、そのお金を持って、厩務員や調教助手というスタッフたちと一緒に飲んだりするんだが、振り込みになったことでそういう場も一緒に消えていってしまった。騎手は、普段、馬を世話をしている人間たちに「ありがとう」ということだし、スタッフたちは御馳走になり、「ありがとう」ということになっていた。それらすべての「ありがとう」がなくなってしまったんだ。
[西]昔は、レースが終わると、賞金を現金で取りに行ったらしいですよね。
[笹]騎乗料は印鑑を持っていくと、すぐにもらえた。
[西]進上金はどうだったんですか。
[笹]進上金は調教師から受け取っていた。ただ、ローカルの時などは、馬主の代理である調教師の代理として賞金を受け取りに行ったんだ。さすがに300万円くらいになると、ドキドキしたもんだ(笑)。
[西]やはり、そうだったんですね。
[笹]大きい声では言えないけど、それを使ってしまった人間もいたよ。それを取り返すために、乗せた調教師もいた(笑)。
[西]うははは。そういう人もいたんですね。
[笹]進上金以外にも、お金を渡されて、出張旅費とかも計算して厩務員たちに渡さなければならなかったんだよ。
[西]そこまでやっていたんですね。また昔は、福島も滞在でしたからね。福島で遊んだという話を聞きますが、いまは通いなので、そういう話は聞かないですよ。
[笹]長期滞在もなくなっているし、それこそ現金で渡されることもないから、遊ばなくなってきているんだろうね。でも、騎手の時には、厩務員さんにずいぶん助けられたよ。下手に乗った時に、上がってきて、『アンチャン、先生に言っておくからもう1回頑張って乗れ』って言ってくれるんだ。そうすれば、『今夜、行きましょう』ということになるでしょう。それも現金だったから、そうなるんだよ。
[西]いまはそういう話はずいぶんなくなってきていますよね。
[笹]ある時、ひと開催で12~13勝したことがあって、進上金で300万円くらいもらったんだけど、持って帰ってきたのはわずか5万円だけだったということがあったよ(笑)。
[西]それ凄いですね(笑)。
[笹]2ヶ月の開催が終わって帰ると、調教師に「稼いだお金を持ってこい」と言われたんだけど、5万円しかないんだから、仕方がないよ。まあ、若かったからできたということもあるのかもしれないけどね。
[西]いまの時代は、出張旅費も振り込みですから。
[笹]あっ、そう。それは初めて聞いたね。俺が調教師の時代は現金で手渡しだったから。
[西]でも、「振り込んでおいた」と言われるのと、「頑張ってきてくれ」というのでは、やはり違いますよね。
[笹]自分のお小遣いにならないから、大変だよな。
[西]そうなんですよ。ですから、ウチの先生には「絶対に振り込みはやめてください」って言っているんです。あっ、言っちゃった(笑)。
[笹]結婚しているとそうだよな(笑)。 でも、当時は手渡しが当たり前だったんだよ。それで、見習い騎手時代は、自厩舎の場合はそのまま手渡しでもらえたのだが、他の厩舎で騎乗した場合は、その当該調教師に対して進上金の二分を返したんだ。
[西]えっ、どういうことですか?
[笹]乗せてもらったんだから、二分はお返ししなさい、ということなんだよ。自分の厩舎の分は全部もらえたけど、他の厩舎はそうするように教えられていた。
[西]いまでは、あり得ない話ですね。
[笹]でも、自厩舎のお金は現金で渡してもらえず、師匠に預金しておかれるんだよ。
今週はここまでとさせていただきます。
そう言えば、先週から「WIN5」という新しい馬券が発売されましたね。みなさんいかがですか?
僕たちは馬券は購入できないので、まったく無責任な発言になってしまいますが、イケそうな気がする~と思うんですよね。面白そうだなぁと思いながら眺めています。
それと、先週まではミホノブルボン、今週はメジロマックイーンのCMが流れていますね。評判が良いようですが、初心者の人が見たら、今年の皐月賞にミホノブルボンという馬が走ると思ってしまうんじゃないかとも感じたんですよね。
確かに1981年と言っていますし、映像も古いので分かるとは思いますが、でも、もう少しわかりやすい方が初心者の方々には親切だってことはないんですかね?
そのあたりについて、みなさんの意見をお聞きしたいので、メールをお待ちしております。
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