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笹倉先生が調教師勇退の事情を話してくださいました
2011.5.5

アンタレスSを勝ち、初重賞制覇を達成した田辺君へ、「おめでとう」メールをたくさんいただきました。読者の方の中に、田辺フリークの方々が多くいることに少し驚きます(笑)。

近いうちにご飯を食べに行こうと話しているので、メールを見せるとともに、本人に伝えさせていただきます。

(小林)久晃さんも、田辺はきっかけさえ掴めれば、GIを勝ってしまうという話をされていました。今回の勝利がそうなってくれればと思うとともに、何かのきっかけひとつでブレイクする騎手というのがいるんだと痛感させられました。

上手いとか、下手だとかいろいろ言われますが、そういうことでなく、馬、あるいはその時のコンディションによる部分も大きいのでしょうね。もちろん、そのきっかけを掴めるか、掴めないかということもあるのでしょうが、田辺にはこのままの勢いで頑張っちゃってほしいです。

それでは笹倉先生との対談の3回目をお送りします。どうぞ。

西塚信人調教助手(以下、西)笹倉先生が騎手を辞めて調教師になられた頃はどういう状況だったんでしょうか。

笹倉武久元調教師(以下、笹)あの頃は良かったね。俺らが(調教師に)なった頃が、いちばん良かったかもしれない。正直に言えば、調教師試験に合格した瞬間に、70歳まで左団扇で過ごせると思ったからね。

[西]そういう時代だったんですね。

[笹]実際、牧場へ行くと『飲んでください、食べてください』って、至れり尽くせりでしたよ。


[西]経済そのものがバブルの好景気でしたからね。

[笹]いまとはまったく違う環境だった。

[西]いまは、70歳までできるかどうかわからない状況だけど頑張る、という感覚ですよ。

[笹]調教師試験を受ける受験者数そのものが減っていることからも分かるように、面白味やうま味がなくなっているんだよね。それをみんなが分かってきたんだろう。俺たちの頃はいまの数倍、何百人っていた。

[西]合格者はそのうちの4、5人ですからね。狭き門ですよ。でも、あの当時、二次試験で落ちてしまっていた人いたちがいま受験したら、合格しているんじゃないでしょうか。


[笹]それはどうか分からないが、いまの若い人たちは偉いと思う。いまの厳しい環境のなかで、頑張っているんだから。

[西]かつては、それこそ、馬が溢れていたんですよね?

[笹]本当にそうだった。馬を探そうと思って、近隣の牧場を30分回ったら、馬が集まったんだ。馬房を埋めるだけなら困ることはなかった。4000万円、5000万円という馬の売買が電話1本で決まってしまっていたんだから。

[西]そうだったんですね。

[笹]あるサンデーサイレンス産駒で5000万円だと言われてね。もうその頃は、サンデーと言えば5000万円という時代だった。結局、馬を見に行ってダメだと思ったからやめたけど、そういう話が珍しくなかったんだよね。

[西]たぶん、多くの調教師の方々は、10年、15年と順調に経営されてきていたはずですよね。でも、ある時から、そうじゃなくなって…。ブッチゃけ、ガラッと変わった瞬間というのはありましたか?

[笹]やはり、バブル経済の崩壊というのは、きっかけのひとつだろうね。それによって、馬主を取り巻く環境が変わっていったから。そこに、JRAを取り巻く環境が変わり、売上のダウンに拍車が掛かる形となり、間接的にではあるけれど、影響は少なくなかったんだろうね。

[西]4兆円近く売り上げていた時代があったわけですからね。しかも、そこから売上が下がっていく中で、他の娯楽も増えたわけですし。

[笹]4兆円に迫る売上を記録していた時代、本当は地方競馬の方がもっと売れていたという話もあるくらいだったんだ。

[西]あの頃、競馬にとってすべてが上手くいっていたという部分もありましたよね。

[笹]それは大きかったよね。オグリキャップに、(武)豊(騎手)が出てきたからね。豊というのは、競馬の世界におけるサラブレッドであり、あの雰囲気、話術には間違いなくスター性がある。

[西]メリット制などのシステムについてはどうですか?

[笹]優勝劣敗の世界では自然淘汰が理想だよ。ただ、優先出走など投票制度が変わったことは大きな分岐点になったね。

[西]60頭枠というのはどうですか?

[笹]それは上位の厩舎にとっては良い。馬をたくさん預かって、入れ替えをしながら出走させていくことができるから。でも、少ない厩舎はそうはいかない。オーナーに放牧と言われれば、出さなければいけない。そうなると、馬房は空き、厩務員の給料は調教師が負担しなければならないわけだ。だからと言って置いておけば、馬主経済という観点から言えば「牧場の方が金額は安く済むのに」と言われ、反対をすれば転厩ということになってしまう。でも、それは経営能力だから、文句は言えない。60頭枠というルールが作られたことは、大きな分岐点になったと言えるかもしれないね。

[西]僕は、とても大きいように思うんです。

[笹]みなが同じ条件で戦っているわけだし、60頭を入れ替えながら、調教、出走をさせるというのは経営能力ですよ。ただ、それが(調教師を)辞めることを決めた要因のひとつだったりするんだ。

[西]やはり魅力がなくなっていったんですか。

[笹]営利目的となっていく中で、馬主さんたちからの要求、さらには命令が増えてくる。そうなると、じゃあ調教師は何をすれば良いんだということになるんだよ。ただ営業をしていればいい、とさえ言われるようになって、かつて求められた技術はいらなくなっていく。馬を育て、人を育て、苦手な営業もやって、ということは、やれないなぁと思ったんだ。営業の勉強も自分なりにはしたけれど、やはり無理だったんだよ。

[西]そう思ったことがあったんですね。

[笹]話し方ひとつにしても、どうするべきか考え、馬を預かるために自ら営業へ出向く。でも、俺も含め他の数人の調教師は、向こうから仕事が来るのを待ってしまう傾向があった。いまの時代は営業ができなければダメ。もちろんそれは分かっていたが、俺にはそれができなかった。営業というのは技術ではない。良いか悪いかは別にして、俺はそういう考え方なんだ。

[西]先生が引退される少し前に、グランリーオという馬がいましたよね。若手のエリートたちが良血馬を出走させて勝つという時代の中で、笹倉厩舎から重賞勝ち馬が出る現実を見ていて、いまの言葉に表れているんじゃないかと思いました。

[笹]調教師は営業マンの前に技術屋でなければならないというのが俺の考え方。そして、馬主がすべてを任せてくれた。それが結果として実を結んだということ。でも、技術だけではご飯が食べられない時代になった。現実は分かっている。だから、ヘソより下に頭を下げなければならない。でも、俺にはできなかった。

[西]そういうことなのでしょうか。

[笹]ただ、頭を下げて頑張っている若い人たちは、そうしなければ生き残れないんだから、それが正解なんだよ。頑張ってもらいたいと本当に思う。

[西]技術ということで言えば、低下しているという意見もありますよね。

[笹]教える人間が減っているのは間違いないだろうね。騎手で言えば、主戦がいて、調教でも一緒に乗っていて『こうしろ』、『このように乗れ』と言ってくれたり、併せ馬でも『我慢しろ』と言われて、その通りに乗せられたりしたんだ。でも、そういうこともなくなっている。あとは、施設もあるかもしれない。

[西]施設ですか?

[笹]例えば、坂路。長い期間使用すれば効果はある。しかも、坂路での調教は乗り手の高度な技術を問わない。それに対して、コースはそうはいかないよ。コーナーがあるから、手前を替えたり、その他いろいろな技術が求められるでしょう。1周すれば、4回手前を替えさせるチャンスがあることになるわけだしね。

今週はここまでさせていただきます。

田辺へのメール以外に、メジロ牧場解散というニュースについてのメールも多くいただきました。

僕自身は、尾関厩舎に所属するまで直接的な関わりはなかったのですが、今回のことは他人事ではないですし、このコーナーでも再三にわたって『このままではヤバイ』言ってきたことが現実になっていると痛感させられます。

直接お話を聞いたわけではありませんが、僕が想像するに、数年先、何十年先のことも見据えての決断だったのではないでしょうか。つまり、このまま競馬の世界でオーナーブリーダーとしてやっていった時、明るい未来を描けなかったということなんじゃないかと想像するんです。

たかが1人の調教助手で、決められたルールの中で頑張っていくしかできないのですが、5年後、10年後、いやその先について、考えて、生きていかなければならないと思っています。今回のニュースについては、改めてそんなことを思わせられました。

これからも、様々な人たちとの対談の中で、競馬の現状と将来についても話していきたいと思います。また長くなってしまいまして、どうもすみません。

ということで、最後はいつもの通り『あなたのワンクリックがこのコーナーの存続を決めるのです。どうかよろしくお願いいたします』。