小野次郎先生に、騎手時代と調教師になってからの違いを伺いました
2012.11.1
先週にお話をさせていただいたラストウィッシュが、なんとまさかのブービーとなってしまいました…。
ブッチャけさせていただきますと、いやぁ、馬は本当にわからない。結果が良くないときというのは、たいてい、「いつもと何かが違うなぁ」、「良いんだけど、何か雰囲気が違う」というように、きざしというか、予感があったりするものなのです。それが、今回のラストウィッシュについては思い当たらないんですよ。
休み明けといわれれば休み明けですので(半年ぶり)、そのぶんと言われれば、それはあったかもしれません。でも、手応えとしては問題なく、良い状態でありましたし、予感はまったくしませんでした。
まだ2回目の競馬、しかもモマれるような厳しい展開となったこともあったのかもしれませんが、それにしても負け過ぎですよ。いやぁ、何があってもあそこまで負けることは、想像できませんでした。
とにかく、次に向けてできることをやって、もう一度、ひとつひとつを確かめながら、調整していきたいと思います。
ラストウィッシュと同日の新潟では、ノボプロジェクトも復帰しました。4コーナーではあわや勝つかと思わせるレースぶりをみせてくれて、2年半ぶりの競馬だったのに、改めて能力の高さを感じさせてくれました。
屈腱炎によって休養を余儀なくされたのですが、もし無事だったらと思わせられますし、相当上のクラスで活躍していたと思います。少なくとも、下のクラスにいる馬ではありません。
今後も脚元の関係がありますので、簡単ではない面も残りますが、次以降がとても楽しみです。
さて、今週は、小野次郎先生との対談2回目となります。それではどうぞ。
西塚信人調教助手(以下、西)厩舎の経営ということに関しては、開業して2年が過ぎる頃ですが、いかがですか?
小野次郎調教師(以下、小)うちは個人の馬主さんたちからの預託が多いのですが、本当に良い馬主の方々に恵まれています。苦しいこともありますが、仕事をしていて楽しいですよ。苦しいと感じることもあるから頑張れますし、乗り越えた時に、大きい喜びとして感じさせられます。1勝の重みが乗り役時代とはまったくと言っていいほど違いますね。
[西]そうですか。
[小]昔は、ローカル開催などでは騎手が調教に乗って、調整して競馬に向かうケースがとても多かった。特に自厩舎の馬たちは、自分で乗って、イメージを持って調整することができたのです。それで勝っていく楽しさがありました。“馬をつくっていく”ということに対して、やってみたいという思いは、その頃からあったのです。
[西]なるほど。
[小]いまとは違って、中1週で競馬に出走できましたから、調教から競馬まで乗って、その馬について体に感覚が備わっていたのですよ。例えば、「ここで動いたら、この馬は最後に脚がなくなってしまう」という感覚があったとします。ペースとしては「それでもここで動くべき」と感じても、動かないことでハマッて最後に差し切れることもあるのです。もちろん、そこで2~3着ということもあるのですが、調教から競馬とつながっていて、そのレースではなくても、次、あるいはその次で、その馬の力を発揮することができていたんですよね。
[西]騎手の方はそのような感覚だったのですね。
[小]もちろん、全部が全部、勝てるわけではありませんよ。ただ、そういう感覚を、調教から競馬まで自分で感じながら仕事ができたのです。でも、いまは良く仕上げるだけです。競馬は人に任せなければならないわけですよ。そう考えると、騎手の時の方が馬に力があれば勝てたとも思います。
[西]競馬は人に託すわけですからね。
[小]もどかしさを感じることがあります。でも、乗せたのは自分ですし、お願いしたのは自分なのです。いまは、ひとつ勝つのがすごく大変なことだと痛感しています。
[西]そう感じるんですね。
[小]現役時代、よく最後までやってくる(追ってくる)と言われましたが、正直なところ、8着までに入らない馬たちに対しては、無理することを控えたこともありました。お金を稼げないところで、無理をしても仕方がない、と思っていたのです。でも、調教師になってからは、たとえ8着に入らなくても最後までやってきてほしい、と思うようになりました。
[西]あっ、そうですか。
[小]いや、騎手のままの感覚で調教師はできません。職種が違うということなのですが、調教師として馬主の方々から求められることがあり、それは騎手とは違ったりするんですよ。正直、(追うのを)やめられてしまうと、次以降にも繋がらないこともありますし、やはり最後まで頑張らせてきてほしいと思います。
[西]そうですか。
[小]競馬が集大成なわけですよね。調教は良い成績を残すための過程であって、たとえ最下位であっても最後まで一生懸命走るんだということを競馬で教えてもらわないと困ります。調教で最後まで頑張るんだぞ、と教えているのに、集大成の競馬でやめられてしまうと、馬も走らなくていいと思ってしまいかねない。そう思うようになりました。
[西]騎手時代には、8着(以内)に来ないのであれば、あえて無理する必要はないと思っていたわけですよね。
[小]そうですね。でも、調教師になってみて、調教から競馬に向かっていくなかで、たとえそのレースでは最下位であっても、次以降に向けて頑張らせることがつながっていく面があることを知りました。調教師と騎手という立場と言いますか、職種の違いなのですが、そこは考えが変わりました。
[西]なるほど。競馬に向かう時の感覚とかも、違ったりしていますか?
[小]調教師になってからドキドキする、高鳴りを感じますね。
[西]あっ、そうですか。
[小]自分では何もできないで、観ているだけですからね。騎手だったら、上手く乗っても、下手に乗っても、自分です。でも、調教師は騎手に任せて、その結果として上手に乗って負けても、下手に乗って負けても、自分の責任なわけですよ。ドキドキしますね。
[西]僕は、小野次郎がドキドキしていることに、ドキドキします(笑)。
[小]乗り役の時には、そのドキドキ感が楽しめたんですよ。でも、調教師はまた違いますね。勝ったレースだけは、何度観ても良いものです。
[西]そういうものなんですね。
[小]でも、嬉しいというよりは、ホッとする感覚ですね。騎手の時には「やったぁ」という感覚だったのに(笑)。
[西]いやぁ、意外です(笑)。
[小]騎手の時には、「上手く乗ってもらってありがとう」という言葉を何度もかけていただきました。でも、調教師になり、「先生、上手く仕上げてくれてありがとう」と言われたことはありません。馬主さんたちは、自分の馬は勝てる、走る、と期待しているからなのでしょうね。
[西]そう言われれば、調教師に対して、そういう言葉を聞くことってあまりないかもしれませんね。いやぁ、深い。でも、様子を拝見していると、楽しそうですよね。
[小]周囲から見れば、勝っていないとか、大変そうだとか思われるかもしれません。確かに、もっと勝たなければと思いますが、楽しさを感じていますよ。良い馬主さんに恵まれて、充実した毎日を送らせていただいています。
今週はここまでとさせていただきます。
現在、持ち乗り助手として担当させていただいているファンアットコートが、今週、新設重賞となるアルテミスSに出走を予定していたのですが、残念ながらフレグモーネを発症してしまいました。
状態がすこぶる良く、松岡の感触も悪くないということで、あとは抽選を潜り抜けてゲートインすることができるように願っていただけに、本当に残念です。
馬と一緒に暮らしていると、良いことと悔しいことを一緒に味わったり、あるいは悪いことが続く経験をするものですが、それもこの仕事の魅力と言えるのかもしれません。これにめげず、これからも頑張りたいと思います。
ということで、最後はいつも通り「あなたのワンクリックがこのコーナーの存続を決めるのです。どうぞよろしくお願いいたします」。