コナユキから始まり、レガーロを経て、アワーズに至った
文/鈴木正(スポーツニッポン)、写真/稲葉訓也
「この勝ちっぷりですからね。僕の想像より、はるかに強くなっています」お立ち台でそう語った
酒井学騎手の言葉を聞き、思わずテレビに向かって
「そうだよなあ」と、つぶやいていた。テレビ相手に独り言を言うのは老化の証拠らしいが、正直な気持ちだから仕方ない。
過去の重賞3勝はすべて地方競馬場での
交流レース。阪神での重賞は昨年の
JCダートが⑨着、今年の
アンタレスSが⑤着と、勝ち負けに加われなかった。
「砂の深い地方競馬場専用」。いつしか、そんなレッテルを貼っていたが、それを力強く吹き飛ばす快勝だった。
好スタートを切った
エスポワールシチーが軽快に飛ばして1000m通過は59秒8。4コーナーを3番手で回った
ニホンピロアワーズ。1番人気
ローマンレジェンドの鞍上、
ミルコ・デムーロ騎手の手綱が激しく動くのとは対照的に、
酒井騎手の手は動かない。
馬なりのまま200mを切り、
ホッコータルマエを交わして先頭。ここからの12秒間は、
酒井騎手にとって、至福の時間だったことだろう。左ムチに応えて突き放す。
ホッコーに代わって、
ワンダーアキュートが伸びてきたが、
ニホンピロの影を踏むには至らない。後続の脚音が聞こえないことを確認し、ゴール10m手前から早々と左腕を天に突き上げた
酒井騎手。
単勝19.9倍の6番人気、
ダークホース評価を敢然と覆す圧勝劇だ。
完全に結果論だが、いま思えば、驚異の逆転劇を予感させる事象が前走・
みやこS②着の中に、いくつか潜んでいた。
まず、58キロを背負いながら直線で先頭に立ち、57キロの
ローマンレジェンドをクビ差まで苦しめたこと。同斤量の今回、もっと接近できるという計算は成り立つ。
そして、前述の通り、地方の重い砂が得意なこの馬が、軽い京都のダートで強さを見せた点だ。今春に
東海S②着はあるが、
みやこSの方がメンバーは強力。同じ②着でも中身は違うと認識すべきだったのだ。
もう1点付け加えるなら、②着に敗れた
酒井騎手が馬上で猛烈に悔しがっていたこと。これをどう捉えるかは、人それぞれだろうが、少なくとも
ローマンレジェンドに対してまったく気後れしておらず、俺が負かしてやるんだという
気概があったことは確認できる。その気持ちは、続くG1でも活きるはず。そう解釈すべきだったのだろう。
酒井騎手は15年目、32歳。
記者への対応も丁寧な
好漢だ。デビューした98年は25勝と順調なスタートを切ったが、その後は年を追うごとに白星が減り、06年は1勝。さすがにこの時は現役を続けられるかどうか、悩んだだろう。
だが、その年の暮れに
ニホンピロコナユキで同年の初勝利を挙げると、同馬が所属する
服部厩舎と
「ニホンピロ」から信頼を得るようになり、調教に参加するようになった。
騎手人生を決定的に上向かせたのは
ニホンピロレガーロ。気難しく、レースを途中で投げ出す癖があった同馬に調教、レースで徹底的にまたがり、
10年小倉記念Vへと導いた。この重賞制覇で、
「ニホンピロ」小林百太郎オーナーの信頼を確実なものにした。
ニホンピロコナユキから始まり、ニホンピロレガーロを経て、今回のニホンピロアワーズに至った。
騎手たる者、
ひとつの未勝利戦も、おそろかにするべきではないということがよく分かる。基本的な業務にこそ魂を込めろという意味では、我々にも共通する教訓だろう。
②着は
ワンダーアキュート。
JBCクラシック(①着)が21キロ減で、今回が21キロ増。前走が究極の出来であったことを思えば、よく頑張っている。
東京大賞典に出てくるのであれば、当然、有力の1頭だろう。
ローマンレジェンド(④着)の敗因は、正直つかみかねている。
岩田騎手の
騎乗停止が、やはり痛かったということだろうか。にしても、4コーナーであれほどに手が動くとは。
最後にひとつ付け加えたい。
JCダートのパドックは、まるで超一流美術館のようだった。どの馬も毛ヅヤ抜群で、トモはムッチリと膨らんでいた。これを見るだけでも関西の
競馬ファンは競馬場に足を運ぶ価値がある。外国馬がいなくても、十分に堪能できたダートG1だった。