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“騎手・田中勝春”をつくった子供時代の経験
2013.11.14
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田中勝春騎手…以下[田]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]ブッチャけて聞いてしまいますが、多くのことを経験したことでマイナスに働くというか、経験が邪魔をするということってありますか?

[田]そういうこともあるよ。経験を積んだことがマイナスに働くこともある。

[西]こういう言い方を僕なんぞがするのは失礼なんですが、勝春さんは騎手のなかでも、馬乗りが上手いと言われています。うちの死んだ親父は、「馬を追えるのは勝春だ」とよく言っていました。その要因として、子供の頃から馬に乗っていたからだと言われています。ちなみに何歳から乗っていたんですか?


[田]本気で乗せられたのは、小学生になる前くらいかな。

[西]道産子に乗ったりしたんですか。

[田]乗ったね。

[西]道産子って走るんですか?

[田]走るんだよ(笑)。

[西]ははは。マジですか。放牧地とか走ったんですか?

[田]放牧地も走ったね。

[西]凄いですね。毎日乗っていたんですか。

[田]毎日乗っていたよ。近くに馬がたくさんいたからね。近くの牧場のオジさんがいて、毎日馬に鞍付けて、迎えに来るんだよ。

[西]うはははは。えっ、学校から帰ったら、カバンを投げて馬乗ってくるぞという感じではなかったんですか。

[田]違う、違う。

[西]馬乗るのが楽しくて、という感じじゃなかったんですか。

[田]馬乗るのは楽しくなかった。いまでも楽しくはないよ。

[西]えっ、意外です。

[田]何でこんなに大変なことをやっているんだろうと思うよ。

[西]意外です。馬を自由に操って、軽く乗っているイメージなんですけど。

[田]全然そんなことはない。

[西]子供のときに、ポニーの競馬に乗って勝っていたと聞きますが、快感を覚えたりしなかったんですか。

[田]ただ、必死にしがみ付いていただけだよ。

[西]あ、少し話が逸れてしまいますが、よく“草競馬”という言葉を聞きますが、どういうものなのか説明していただいてもよろしいでしょうか。

[田]北海道の話をすると、当時は新冠と浦河で年に2回ずつ、牧場で働いている人たちが主になって、競馬が行われていたんだ。それこそ、自分の牧場にいる馬たちを連れてきて、レースをして、勝つと賞品をもらえるんだよ。

[西]その馬たちは当て馬とかだったりするんですか?

[田]当て馬もいたし、種類もいろいろだった。サラブレッドのレースもあって、道営からわざわざ馬をさげてきて、レースをさせたりもしていた。

[西]そういう馬がやっぱり勝つんですか。

[田]あの頃ね、ハシストーム(※)という強い馬がいたんだよ。確か、中央下がりで、当て馬だったんじゃないかと思うんだけど、毎回ブッチ切りで勝つんだよ。

※70年生。父シンザン。75年日経新春杯、中京記念でともに2着。後に障害OPも勝利した。

[西]ははは。勝春さんはハシストームには騎乗しなかったんですか(笑)。

[田]谷川牧場さんの馬だったから、乗ったことはなかった。乗っていたのは、いま小笠厩舎で調教助手をしている山口さんで、当時は谷川牧場さんで働いていたんだよ。

[西]あ、山口さん、いらっしゃいますね。ハシストームの主戦だったわけですね。でも、そうやって競馬をやるというのも楽しそうですよ。

[田]競馬は楽しかったよ。でも、馬に乗るのは楽しくはなかった。

[西]でも、毎日近所のオジさんが待っているわけですよね(笑)。

[田]そうだよ(笑)。しかも、小学校3年生くらいからは、育成の手伝いで、乗り馴らしをやらされたんだ。

[西]えっ、マジですか。小学生ですよね? よく怪我しませんでしたね。

[田]体重も軽いから、落ちても怪我しなかったんだろうね。でも、よく落とされたよ。

[西]そうですよね。乗り馴らしって、本当に大変じゃないですか。その頃からもうジョッキーになろうと思っていらっしゃったんですか?

[田]そんなもの、親父(※)の洗脳だね(笑)。

※田中勝春騎手の父は生産者の田中春美氏。

[西]ははは。「ジョッキーになるんだぞ」という感じですか(笑)。

[田]近所も牧場がズラリという環境だったし、うちの親父に乗っかるように、「ジョッキーになるんだぞ」という雰囲気だった。もうなるしかない、って感じだったかな(笑)。

[西]もう町全体で、騎手になるんだぞ的な雰囲気だったということですか(笑)。

[田]もうなるしかない雰囲気だったね(笑)。それに大きくなったらなりようがないということもあった。

[西]その小ささを保つために何かされたことはあったんですか?

[田]うーん、特に何かをしたということはなかったね。

[西]元々、小さかったんですか?

[田]背の順で並ぶといつも一番前だったよ。

[西]聞くところによると、運動神経は抜群だったということなんですけど。

[田]自分でもそうだったと思う。

[西]良さそうですもんね。競馬学校に入って、周囲の方々のなかには乗馬経験者の方もいらっしゃったのでしょうが、勝春さんほど乗っていた方はいなかったでしょうね。

[田]俺たちの頃は、全員が乗馬未経験者ばかりだった。

[西]あっ、そうですか。じゃあ、アドバンテージを感じたんじゃないですか。

[田]いや、感じなかったよ。馬は乗っていたけど、乗馬というものをやったことがなかった。それまで短い鐙で乗ってきていたのに、長くして乗らなければならない。いやぁ、長い鐙で乗ることができなくてね。まず、正反動がとれなかった。


[西]草競馬や牧場で乗っている頃から、いきなり短い鐙だったんですか。

[田]そう。もう最初から短い、短い。

[西]じゃあ、本当に『勝春、落ちないようにつかまってろ』という感じから始まったんですね(笑)。脚を使ってとか、輪乗りとか、そういうことからではなかったわけですね。

[田]止めることから始まったんだよ。『どうやったら、止まるんだよぉ』、『曲がらないぃぃ』と叫んでた(笑)。

[西](笑)。乗り馴らしならばなおさらそうでしょうね。

[田]いやいや、乗り馴らしはそれじゃ済まない。もう乗った瞬間、いきなりロデオ状態だった。

[西]馬、怖く感じたりしないんですか。

[田]怖いと思うよ。

[西]最初にそういう経験をしているからこそ、怖さを知っているというか、そう思うんじゃないですか。

[田]メチャ、怖いよ。

[西]でも、僕からみると、全くそうは感じないんですよね。

[田]トラウマだったりもするかな。

[西]じゃあ、2歳に乗るときとか気を遣いますか。

[田]できれば遠慮させてもらいたいね(笑)。

[西]マジですか。何か違う意味で衝撃です。

[田]いまの時代は育成牧場の技術が向上して、馬も調教されてきているので、そこまで酷い馬に出会うことは少ないけど、トレセンに入った頃は凄い馬たちがいた。

[西]検疫所から跨がって、そのまま角馬場で乗り馴らしをしていた時代ですか。

[田]そうだよ。しかも、アンチャンだったわけだから、もう真っ先に役目が回ってくるんだ。嫌だったもんな。本心から嫌だと思ったね。

[西]時代と言えば、時代なのでしょうが、いまはそういう光景を観かけることはありませんからね。いまみたいな感じになったのは、ここ10数年くらいですかね。

[田]ここ10年くらいで、育成牧場も一気にレベルアップしてきたよね。

[西]やはり、そう感じますか。

[田]感じるよ。まだ最初の頃だったかな、あまりにも入ってくる馬の調教のレベルが低いと感じて、育成場やろうかなぁと思ったことがあった。

[西]そんな感じだったんですね。

[田]それが技術のレベルが上がってきて、しっかりと調教されるようになってきた。ここ10年でそう感じさせられるようになったね。

[西]先輩の助手さんたちと話をすると、10数年前までは検疫から角馬場に行って馬を放していたと聞きます。

[田]そうだったね。

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