“片鱗”にとどまっていた怪物的な強さが甦ったと考えるべき
文/石田敏徳、写真/川井博
「
ベルシャザールVS
ホッコータルマエ」の図式が描かれた今年の
フェブラリーSで、
ベルシャザールのほうが1番人気に支持されたことが私には意外だった。
確かに昨年の
ジャパンCダートでは
ベルシャザールの後塵を拝して③着に敗れた
ホッコータルマエだが、あのときは
「早めに抜け出す形になって、馬がソラをつかってしまった」(
幸英明騎手)ものと、敗因ははっきりしている。
早めにペースが上がったタフな展開を前々で運んだ中身の濃さを考えあわせれば、
敗れてなお強しの内容といえた。まったく危なげがなかった昨年の
かしわ記念の勝ちっぷりから、「左回りの1マイル」という舞台は
不安材料とならず、中央のダート適性だって好タイム(1分49秒7)で快勝した
アンタレスSで証明済み。
それでもG1(Jpn1)を5勝と実績面では断然の存在といえた
ホッコータルマエが、1番人気の座を
ベルシャザール(単勝2.7倍)に譲って2番人気(3.6倍)の評価に甘んじたのは、やはり
「中央のG1では一枚割引くべき」と考えた人が多かったためか。
かくして、
ホッコータルマエを①着に、
ベルシャザールを②、③着に固定した3連単をあれこれと買い漁って臨んだレース。2頭の“順番”は私が睨んだ通りだった。しかし当たったのはそこだけ。まさかまさか、最低人気の伏兵
コパノリッキーに
大金星を献上するとは……。
宣言通りに先手を奪った
エーシントップに無理に競りかける馬はなく、レースは緩やかな流れで進行。特に4、5ハロン目に刻まれたラップ(12秒5―12秒6)はかなり遅く、先行有利の形勢が次第にできあがっていく。
「ゲートの出が甘かった」(
C・デムーロ騎手)うえ、スタート直後の芝で行き脚がつかず、後方追走から馬群の外々を回って追い上げる形を余儀なくされた
ベルシャザールにとってはまさに
最悪の展開。一方、好位の外めでスムーズに流れに乗った
ホッコータルマエにとっては、おあつらえ向きの形と映った。
そして直線。マイペースの逃げに持ち込んだものの、
「いい頃の気迫が感じられなかった」(
内田博幸騎手)という
エーシントップは早々に失速し、かわって2番手を進んできた
コパノリッキーが先頭に立つ。
満を持してこれをかわしにかかった
ホッコータルマエだが、
コパノリッキーも実にしぶとい粘り腰を発揮して応戦。懸命に追いすがる王者を半馬身差で振り切って、
でっかい金星を手にした。
「パドックでオーナー(ドクター・コパの愛称で親しまれる小林祥晃氏)からは、“ホッコータルマエを見る形で運んでほしい”と言われたんですが、それは無視しちゃいました。有力馬が牽制しあっているうちに、ヒョイヒョイ行っちゃいたいという気持ちがあったんで」
いつものように飄々とした口調でレースを振り返ったのは、この勝利がG1初制覇となった
田辺裕信騎手。これに、
「まさかあの馬(コパノリッキー)がここまで粘るとはね。あれを早めにつかまえにいって、後ろから差されたのならともかく、幸は完璧に乗ってくれた」(
ホッコータルマエ・
西浦勝一調教師)というコメントを重ねあわせれば、人気薄の先行馬が展開を味方につけて波乱を演じたというレースの一面が浮かびあがる。
ところがその
幸騎手は
「後ろの馬を意識してレースを運んだのは確かですが、たとえコパノリッキーを意識していたとしてもかわせたかどうか。向こうは最後まで伸びていましたから、今日は勝ち馬を褒めるべきでしょう」とコメント。
これに
「骨折明け後の2戦(霜月S⑩着、フェアウェルS⑨着)では、調教の量が不足していたように感じたので、この中間は坂路中心の調教からCWコースで長めの距離を乗るメニューに切り替え、強い負荷をかけてきたんです」という
村山明調教師のコメントを重ねると、また別の一面が見えてくる。
昨年5月の
兵庫チャンピオンシップでは
ベストウォーリアを6馬身差ちぎる圧勝劇を演じ、
「3歳ダート路線の最強馬」との声もあがった
コパノリッキー。
その後、骨折が判明して休養に入り、復帰後の2戦では見せ場もつくれない
大敗を繰り返したため、この日の単勝オッズは実に
272.1倍と評価ががた落ちしたなかで迎えたレースだが、調教内容を強化されたことで
3歳時は“片鱗”を示す段にとどまった怪物的な強さが甦ったと考えるべきだろう。
さてそうなると、気になるのは今後の予定。レース後の共同会見で
村山調教師に
「ドバイ遠征というプランはありますか?」と尋ねてみたら、こんな答えが返ってきた。
「ドバイやブリーダーズクラシックという話はオーナーともしていますが、現時点では未定ですね。方位のこととかもありますんで(笑)」
ううむ、さすがは
ドクター・コパ氏。しかしどんな“方位”へ進むとしても、今回の勝利をフロック視すべきではないということだけは確かだ。