人事を尽くした無欲の挑戦によってもたらされた“有終の美”
文/吉田竜作(大阪スポーツ)、写真/川井博
二兎を追うものは大抵一兎も捕まえることができないもの。競馬の世界ではそのことわざが顕著に結果として出る。
「欲をかいたらろくなことがない」はこの世界で誰もが口にし、耳にするフレーズだ。では、
ジェンティルドンナの
有馬記念参戦はどうだったのか?
下半期初戦の
天皇賞(秋)は
スピルバーグの強襲にあったものの、休養明けとしては上々の内容。もともと使って上向くタイプで、誰もが知ってのとおり、大目標としていたのは
JC3連覇。夢はあと一歩で達成できるところまできていた。
それを後押しするように、3度目の
JCでも
ファンは1番人気に支持。鞍上は現在世界一と言われる
ライアン・ムーア。もはや負けるところがない…そう思っていた人も少なくはないはずだ。
しかし、そうはうまくいかないのが競馬の難しいところ。もしくは欲をかいた人間が多かったのかもしれない。これまでの東京では考えられないような
「のめってバランスを崩していた」(
ムーア)という走りで
ジェンティルは④着に敗れてしまう。
もともとこのレースを
ラストランと考えていた
石坂調教師。母としての役目も控えているとあって、プランどおりに繁殖に上げる考えもあったことだろう。
しかし、それを翻して
グランプリ参戦を表明した。その原動力となったのは決して
「欲」ではない。
「前回のJCではジェンティルらしい走りができなかった。今年の中山は馬場もいいし、最後にこの馬らしい走りをさせてあげたい」。
ジェンティルにとっても、送り出す
ホースマンとしても悔いを残して終えたくない。本当の
ジェンティルの姿を
ファンに見てもらいたい――
純粋な思いが
ジェンティルと
石坂調教師の背中を押したのだろう。
無欲の挑戦には
幸運の女神が微笑むもの。今年初めて採用された枠順の希望選択制度。抽選のクジを引いたヤンキースの
田中将大選手が真っ先に名前を読みあげたのは
麗しき貴婦人の名前だった。
そこで
石坂調教師が即座に選んだのが「2枠4番」の絶好枠。即座にこたえたように、
トレーナーには何か予感らしきものがあったのだろう。
「マー君が最初に呼んでくれると期待していた。希望通りの枠」と満面の笑顔でこたえた。
戸崎騎手にとっても願ってもない枠。
「ここならいろいろと考えずに乗れる」と自信を深めたようだ。レースは見た目以上に難しいものとなったはずだ。しかし、やはり最後の決め手となったのはこの好枠にあったとも言えるだろう。
大方の予想通りハナを切ったのは
ヴィルシーナ。その後ろを2番人気の
エピファネイアが追走。最初の5ハロン通過が63秒程度。
「最後の瞬発力勝負になる。いいと思った」と
石坂調教師は振り返ったが、3番手の
ジェンティルにレースの流れとして求められるのはこの2頭を捕まえに行く役目。どの馬も
ジェンティルの動きに合わせて動くとなれば、後方の切れる馬たちの存在が怖いところ。それでも戦前の言葉通りに
戸崎騎手に迷いはなかった。
道中は折り合いをつけてスムーズに追走すると、4コーナーであがって行くタイミングもこれ以上ない絶妙なもの。激しい2着争いを尻目に
ラストランを美しく締めくくってみせた。
「枠も良かったし、イメージどおり。先行して渋太さを活かそうと思っていた。前に壁が作れずに気負うところもあったが、我慢してくれたし、いいリズムで走れた。最高の名牝といっていい。力のある、名誉ある馬です」と
戸崎騎手。枠順などの
“雑念”がなかったからこそ、この迷いのないレース運びとなったはずだ。
そして、それを認めるのは
石坂調教師。
「ジェンティルはこんなものじゃないと思っていたので(前走の後に)有馬記念へ参戦することを決めた。勝つための条件は全部揃っていたし、勝てなかったらそれが馬の力かな、と。そして、勝つべき条件の中でも枠順が最大の条件でした」と振り返った。
人事を尽くしたところにしか
幸運は微笑まない。他の15頭ももちろん懸命に勝利を目指してきたはずだ。しかし、そのすべてを上回ったというのはこの結果が証明していると言っていいだろう。そして、やり切ったものにだけ許される
“有終の美”。歓喜の輪に包まれて、G1・7勝の
名牝は北へと還る。