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【対談・井垣調教助手②】大変な時代でも、そこには充実感があった
2016.12.14
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井垣祐太調教助手…以下[井]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]でも、最近思うことは、倒産寸前の厩舎にいた当時の気持ちといまの気持ちは、全く変わっていないんです。

[井]そういうものですか。

[西]確かに、尾関厩舎は当時の西塚厩舎とは比べモノにならないくらい良い馬たちがいます。ただ、馬の差はあっても、1日1日自分がやるべき仕事を懸命に頑張ることは同じなんですよ。良血馬だからとか、そういう思いも正直ありません。いまうちの厩舎にブロードアピールの産駒がいるんですけど、父親と一緒に仔馬の頃からみてきた馬たちが入厩してきた時の方が、「ようやく入ってきたんだ」と思う気持ちと同じですよ。もちろん、僕がトレセンで働いている間に、あのブロードアピールの子供の、しかも初日に乗るということは思ってもみなかったです。先生が考えて番組を組んでそうなったんですけど、ブロードアピールの子供も、西塚厩舎時代に仔馬時代を知っている馬も同じ気持ちなんですよね。

[井]僕自身、攻め専なので、乗る馬たちに対しては、それぞれに思いがあります。

[西]田辺と話をしていると、もちろん今は今で一生懸命頑張っているんですけど、“でも、福島や小倉などローカル回りをしていた頃にいつ戻っても良いと思ってますよ”と言うんですよ。あの頃はあの頃で楽しく、充実していたというんですけど、その気持ちは理解できるんです。僕自身も、あの西塚厩舎の頃に戻らなければならなくなったとしても、それはそれで良いというか……。難しいけど、良い厩舎、成績を残している厩舎じゃなければ何が何でも嫌だと、しがみついていることに意味を感じないんです。もちろん自分がしなければならない仕事は懸命にしますし、頑張ります。それに尾関厩舎も好きですけど、それよりも大事なことってあると思うんです。

[井]あの頃はあの頃で充実していたんでしょうね。だからこそ、そう思えるんですよ。読んでいて、大変で、苦しそうな感じも感じましたが、だからこそ勝ったり、上手く行ったときに充実感というのもあるように感じました。

[西]そう思うと結果にとらわれていないのかなぁと思うんですよ。でも、あの時はあの時で、自分自身としては結果を追い求めていたんだけどなあ(笑)。

[井]必死さが出ていましたよ。

[西]だって、最初の頃とか、競馬に行くのにお金がなくて、カローラで高速をなるべく使わずに国道を通っていました。調教師というと、ベンツだ、レクサスだ、と思われるかもしれませんけど、カローラですからね。また、最初は業務課の事務手続きとか全くわかりませんでしたし。それなのに、僕がすべて調教師の代わりみたいな感じでしたからね。

[井]いや、それは本当に凄いと、自分で実際助手になって痛感させられますよ。



[西]厩務員さんたちが諦めムードで、「おい、信人。何とか他の良い厩舎に潜り込め。頑張っても変わらない」と実際に言われました。僕自身の将来を思って言ってくれたんですけど、そこからもう必死でしたよ。事務手続きとかも、結構慣れるまで大変だよね。

[井]業務課の方に聞くと教えてくれますけど、毎日結構調教助手がやるべきことは多くありませんか。入厩検疫をはじめ、結構ありますよね。

[西]そうなんだよね。ただ、尾関厩舎になって良かったと思うのは、競馬で負けた後に馬主さんに謝りの電話をしなくて良くなったことですよ。それだけは良かったぁと思います。

[井]僕からすると、それをしたことがあるというのが凄いですよ。うちは先生が対応してくださっているので、その大変さはわかりません。ただ、大変だろうなぁという想像はつきます。

[西]いやぁ、本当に気が重かったぁ。どうやっても能力的に無理という馬はブッチャけいますよ。書いたことあると思いますけど、だから騎手の人たちにいろいろお願いしましたね。

[井]どんなお願いをしたんですか。

[西]義行さん(横山義騎手)とかに、「お願いします。取りあえず、行っている感を出してください。行けないのはわかっていますし、足りないのもわかっていますけど、素振りだけはお願いします」とかね。

[井]でも、そういう経験をしている調教助手の人って、ほとんどいないと思いますよね。

[西]だから、尾関先生の気持ちがわかるんですよ。

[井]調教助手になって、先生(武市調教師)から内情も聞きますし、馬主さんとのやり取りも聞いたりするようになりましたけど、本当に大変だと思います。僕自身、最初の2年くらい持ち乗りをやっていたんですが、その当時は全くそういうことがわかりませんでした。「次走はここ」と言われて、「なんで、こちらじゃないんだ」と思うこともありましたよ。そこには、いろいろな事情もあるということを助手になって理解できるようになりました。

[西]それは本当にそう。大変だよね。担当している厩務員さんたちは、どうしても目の前にいる馬だけをみている感覚だからね。その間に挟まれるんですよ(笑)。

[井]調教助手はそういう役割だと思っています。

[西]そこは助手が我慢するしかありません。でも、あれくらい嫌な思いをしてきたので、全然苦にはならないですよね。助手ですから、最後は先生が言っているんだよ、と言えてしまうじゃないですか。

[井]そうですよね。

[西]“◯◯さん、先生がこう言っているからさ。◯◯さんの気持ちはわかるけど、これで勘弁してよ”と言えます。でも、西塚厩舎のときには“おい、信人。お前が間に入って馬主に説明して、納得させろ”とか言われるわけですよ。

[井]そんな感じだったんですか。

[西]そうですよ。“おい、1週延ばせ”とか、まあ良く対応できたなぁと思いますよ。



[井]そういう経験をしているんですから、本当に凄いと感じます。

[西]そういう部分では、父親に感謝しています。調教師として決して優れた人だったとは思っていません。でも、父親としては太刀打ちできないくらい凄かったといまでも思っています。

[井]あの頃を思い出しますね。僕にとっては、西塚さんと同じような感覚で、お会いしていれば「あっ、西塚先生だ」なんですよ。

[西]うははは。うちの親父の言葉で印象に残っているのは、「もし競馬の世界に入るならば大学終わってからで良い。それまでは他のことに夢中になれ」というものです。いまの時代、調教師の息子と言えば、幼いころから馬術を経験して、海外に行って、大手牧場というのが当たり前になりつつあるのに、ですよ。「この世界に入るならば余計に外の世界をみてこい」と言われたんですけど、そんな父親はいないでしょうね。

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