独自視点で穴馬推奨!競馬予想支援情報【サラブレモバイル】

サラブレモバイル

メニュー

ログイン

インフォメーション

福永祐一氏の初書籍『俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年間の記録』 冒頭


※本稿は、福永祐一氏の初書籍『俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年間の記録』(刊行KADOKAWA)のまえがきを再編集したものです。



まえがき── 「最初の決断」

1992年12月のある日、高校で普通に授業を受けていた自分に、いきなり先生がこう告げた。

「すぐに栗東に帰れ」

その前年、中学3年生のときにJRA競馬学校の騎手課程入学試験に落ちた自分は、高校に進学。自宅の最寄り駅である草津駅から電車に揺られること20分弱、近江八幡にある近江兄弟社高等学校に通いながら二度目の試験に挑み、まさにその結果が出るという日だった。

突然「帰れ」と言われ、 「なぜですか?」と聞いた自分に先生が放ったのは、 「お前の入学試験合格の記者会見を開くらしいぞ」という一言。

入学試験を受けた時点で注目されるであろうことはわかっていたし、実際にメディア取材も受けた。だからある程度の覚悟はしていたとはいえ、まさか合格した時点で記者会見? なんだかよくわからないまま、言われたとおりに栗東のJRA事務所に向かったのだが……。その場に用意されていたのは、なんと金屏風! 生まれて初めて見た金屏風はとても眩しく、さすがに少々面食らった。

その後、集まった報道陣にバシャバシャと写真を撮られながら、自分の覚悟をはるかに超えた状況に、 「俺が騎手を目指すって、こういうことなのか」と、そこで初めて事の重大さを知った。

(武)豊さんをはじめ、話題性のある二世ジョッキーは数多く誕生しているが、金屏風の前で入学試験合格の単独記者会見が開かれたのは、後にも先にも自分だけだろう。今でも思うが、あの騒ぎはどう考えても普通ではなかった。

ただ、先述したように注目されること、それにより過度なプレッシャーがかかること、そして誰もが「天才ジョッキー」と評する父・福永洋一と比べられること。すべてをわかったうえでジョッキーという職業を選んだ。

さすがに金屏風には驚いたが、決して不意に襲ってきたプレッシャーではなかった。こういう状況をプラスに変えていけるかどうかは自分にかかっている──。

それは、16歳の自分にも重々わかっていた。



自分の騎手人生は、そんな前代未聞の〝狂騒曲〟からスタートしたわけだが、思えば20代、30代、40代と、まったくカラーの異なる三つの騎手人生を送ってきたように感じる。

どんなに結果を出しても「センスがない」と言われ続けた20代。

そこから挫折を経て、一度積み上げてきた技術をリセット。その後、本気でリーディング(最多勝利騎手)を目指し、実際に獲ることができた30代。

「勝てない」と言われ続けた日本ダービーを、三度も勝つことができた40代。

生い立ちも含めて、我ながら「こんなに漫画にしやすい人生はないかもしれない」と思うほどだ。

我ながらついでに、もう一つ。自分で決めたこととはいえ、今となっては騎手という道をよく選んだなと思う。なにしろ、子供の頃はもちろん、競馬学校を受験した時点でもまったく競馬に興味がなかった。

大げさでもなく、当時の自分が知っていたのは〝オグリキャップ〟と〝武豊〟くらい。豊さんにしても、競馬に乗っている姿を見たことは一度もなく、スポーツ新聞の一面をしょっちゅう飾っている〝はす向かいに住んでいるお兄ちゃん〟として憧れていたに過ぎない。

小学5年生のときに一度乗馬クラブに入ったのだが、周りは競馬の話ばかりしていて、何も知識がない自分はその輪に入れず。栗東トレーニングセンター(トレセン)の近くに住んではいたが、2年生の途中で地元の小学校から近江兄弟社学園に転校したため、同級生に競馬関係者は一人もいない環境で学校生活を送っていた。

馬に乗ること自体も面白いとは思えなかったし、むしろ「なんだこれ? つまらん」というのが率直な感想だった。ちなみに、競馬にまったく興味のなかった自分が、なぜ乗馬クラブに通い出したのか。それだけがどうしても思い出せず、今も謎のままだ(笑) 。

乗馬クラブは、1年通ってみて続けるかどうかを決めるというのが母親との約束であり、すぐに辞めるのは嫌だったから1年間は我慢して毎週通った。

でも、どうしても楽しいとは思えず、1年後、 「やっぱり部活でやってるサッカーのほうが面白いや」とあっさり退会。その時点では、 「将来は騎手になろう」なんて気持ちはこれっぽっちもなかった。



そんな自分がジョッキーを目指すことを決めたのは、中学2年から3年生にかけての時期だ。当時の自分は、ずっと続けていたサッカーでも中途半端な立ち位置で、勉強でもなんでも「平均よりちょっと上」程度。

何をやっても一番になれず、子供心に〝一番〟への憧れが急激に高まった。近所に住んでいた豊さんに憧れを抱いたのも、この時期だ。

では、一番になれる可能性のある分野は何か──。そう考えたときに、最も可能性を感じたのが騎手という職業だった。

乗馬経験では敵わなくても、これから騎手を目指す人の中に競馬の経験がある人はいない。ということは、周りと同じところからスタートすることができる。自分にとって、これが大きかった。

しかし、中学3年生のときに受けた入学試験は不合格。試験の少し前、体育の授業で跳び箱の着地に失敗し、足首を骨折していた自分は、運動系がメインの二次試験を満足に受けることができなかった。

考えるまでもなく、落ちて当たり前の状況だったわけだが、当時の自分はどこかで〝福永洋一の息子〟という立場にあぐらをかき、 「ケガをしたまま試験を受けても合格できるのでは」 「なんなら名前を書いただけでも受かるんじゃないか」くらいに思っていたのだから、一体どれほどナメていたのか。

実際に入学後、競馬学校の教官にこんなことを言われた。

「お前、最初に試験を受けたとき、ホンマにナメてただろ。2回目に受けにきたときは、態度がまるで変わっていたからな。1回目は受からなくてよかったよ」

自分でも心からそう思う。もし、何かの間違いで1回目の試験に受かってしまっていたら、どこかでものすごく痛い目に遭っていたはずだし、まったく違う騎手人生を送っていたに違いない。



試験に落ちた後はいったん高校に進学し、改めて乗馬に取り組んだ。そこで出会ったのが、後に同期となる和田竜二や高橋亮だ。彼らや周りの大人たちといろいろ話しているうちに、ナメていた気持ちもいつの間にか消えていた。

しかし、その時点でもまだ競馬には興味がなかったし、 「何がなんでも騎手になりたい!」というほどの強い気持ちはなく──。

そんな状況の中でも、ただ一つ確信できたことがある。それは父親が騎手で、親族にも競馬関係者が多いという環境にあり、そのための準備として乗馬もやってきたのに、ここでチャレンジしなかったら、後々絶対に後悔するだろうということ。

社会科の教師になりたいという漠然とした思いもあったのだが、はたしてその夢を叶えたとして、 「あのとき騎手になっておけばよかった」と後悔しない自信はまるでなかった。

「後悔すると思ったから」──本当にこれがすべてであり、なぜか将来パッとしない人生を送っている自分がはっきりと想像できたのだ。

それにしても、競馬に興味がないのに、せっかく入った高校を中退。猛反対する母親の気持ちを踏みにじってまで、潰しのきかないこの世界に飛び込むなんて、無謀ともいえる決断である。

しかも、冒頭の〝金屏風〟でもわかるとおり、天才騎手の息子として、多大なる注目を浴びることもわかったうえで。

でも、この無謀な決断がなければ今の自分はないわけで、ジョッキー人生におけるこの「最初の決断」だけは、自分で自分を褒めてあげたいと思っている(笑) 。今回、調教師への転身を決めたこともそうだが、いざというときの直感力、そこからの決断力は、人よりも多少あるのかもしれない。

そして、それ以前に「何かで一番になりたい」 、これが一番の動機だった。

デビューするまでは、 「天才の息子なんだから、自分もその可能性があるかもしれない」なんて心の片隅で思っていたが、残念ながら……自分は天才ではなかった。

もっと言えば、センスすらなかった。

その事実を早々に思い知らされ、ジョッキーとして等身大の自分と向き合い続けた27年間──。

結果的に、すばらしいジョッキー人生を送ることができた。センスがあったら通ることのなかった道を通り、見ることのできなかった景色を目の当たりにし、今となっては「天才でなくてよかったな」と思える自分がいる。

特別なことをしてきたつもりはまったくない。ただ、 「今のままの自分でいい」と思った時期は一度もなかったし、その時代ごとに自分なりに歩みを進めてきた自負はある。

しかし、そういう生き方を人に押しつけようとは思わない。幸せの価値観は人それぞれだし、今の自分に満足している人もたくさんいて、それはそれでとても素敵なことだと思う。仕事で成功することに対するプライオリティも人それぞれだ。

だからこそ、この本は「こういう人に読んでもらいたい」というような明確な意図を持って書いたわけではない。

自分にとっての備忘録のようなものであり、ただ単に「福永祐一はこうやって生きてきました」という一人のジョッキーの半生を綴った読み物として、共感するも、参考にするも、 「へぇ~、そうだったんだ」で終わるも、すべては読み手のみなさんに委ねたいと思っている。

まずは、まえがきとして「最初の決断」 。そしてジョッキーとして「最後の決断」を下すまでの漫画のような人生を、10のキーワードで振り返っていこうと思う。

2024年3月
福永祐一



『俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年間の記録』

騎手デビューから現役引退まで、駆け抜けた27年間の自身の騎手人生の奇跡から、これからスタートを切る「福永厩舎」の構想までもが赤裸々が語られている。また、「天才ジョッキー」と評された父・福永洋一とのエピソードや、「“勝ちたい”という気持ちをいかに抑えられるか」、「自分にとっての最適な緊張感を知る」といった、長年のジョッキー生活で培ったメンタルコントロール術についても、あますことなく公開されている。

【通信販売 / 電子書籍】(Amazon)
https://www.amazon.co.jp/dp/4046067071

【KADOKAWAオフィシャルサイト書誌詳細】
https://www.kadokawa.co.jp/product/322310000248/



著者 福永祐一氏 プロフィール

1976年生まれ。父は現役時代に「天才」と呼ばれた元騎手の福永洋一氏。1996年にデビューし、最多勝利新人騎手賞を受賞。2005年にシーザリオでオークスとアメリカンオークスを制覇。2011年、全国リーディングに輝き、JRA史上初の親子での達成となった。2018年、日本ダービーをワグネリアンで優勝し、福永家悲願のダービー制覇を実現。2020年、コントレイルで無敗のクラシック三冠制覇を達成。2023年に全盛期ともいえる中での引退、調教師への転身を決断。2024年3月に自身の厩舎を開業する。


TOPページに戻る