対談シリーズ第3回の相手は、幼馴染みでもある鈴木一成調教助手です!
2009.05.07
先週の日曜日に大庭君が落馬、負傷してしまい、皆さんからも心配の声をたくさんいただきました。
僕もすぐにメールを送りました。そのやりとりは次のようなものでした。
[西]「どこ折れたの?」
[大]「手首」
[西]「どれくらいかかるの?」
[大]「3ヵ月(ピースマーク)」
[西]「手術するの?」
[大]「水曜日入院 木曜日手術」
というものでした。
大庭君のことですから、すぐに戻ってきてくれることでしょう。
さて、今週からは、現在、上原厩舎で調教助手を務めている鈴木一成調教助手との対談を行います。
昨年、サラブレ本誌の最初のページで、秋華賞を勝ったブラックエンブレムの助手として紹介されたと言えば、記憶されてる方もいらっしゃるかもしれませんね。奴とは腐れ縁なんですよ(笑)。
この連載も騎手の方が続いたので、今回はあえて助手ということでいってみたいと思います。それでは、どうぞ。
[西塚信人調教助手(以下、西)]今回のゲストは幼馴染みでもある、現在、上原厩舎所属の鈴木一成調教助手、ということで、お疲れー臭。
[鈴木一成調教助手(以下、鈴)]お疲れー臭。そうきたか(笑)。
[西]最初にあなたのプロフィールを簡単に説明すると、3月まで小島茂之厩舎に所属していて、かのブラックエンブレムが秋華賞を勝った際に、大万馬券を演出したプロヴィナージュと一緒に栗東に滞在していた敏腕調教助手ということになるよね。まあ、このくらい持ち上げておけばいいか。
[鈴]いえ、恐れ多いことです。
[西]それにしても、一成とは長い付き合いだよね。
[鈴]中学校入学からだからね、もう17年になるんだぁ。
[西]いやぁ、小学校6年の時の村の陸上記録会だったよ。
[鈴]そう、そう。あの時のことは忘れないね。
[西]なんか馴れ馴れしい奴がいたんだよな。
[鈴]そうか、同じ匂いがしたけど(笑)。
[西]でも、そう考えると、競馬場の子供たちの中でもこの世界に進みそうか、そうじゃないかというのが、あの時点で匂いがあったかもしれないよな。
[鈴]そうだね。なかでも、あなたは入らないタイプの一番手だった。
[西]ブッチャけちゃうと、子供の頃は親父に出張とか連れて行ってもらって、『あぁ、田中勝春だぁ』とかやっていたけど、大人になるにつれて、この世界には入りたくないと思っていたからね。
[鈴]俺は小さい頃から「違う世界に進め」と言われていたからね。
[西]本当に?
[鈴]本当。
[西]というか、読者の方に説明をすると、一成の父である勇ちゃんは障害騎手だった鈴木勇さんで、祖父は元調教師の柴田欣也先生という、いわば超良血。それが何で?
[鈴]自分が苦労して、辛い思いをしていたからだろうね。
[西]勇ちゃんがね。お前、親不孝だな。
[鈴]でも、いまは喜んでいるよ。でも、昔から俺の人生におけるターニングポイントを握っているのがあなたというのはどうなのよ(笑)。
[西]そうだった?
[鈴]そうだよ。大学進学の時に、指定校推薦で近くの大学にするか、浪人してでも東京の名のある大学に行こうかと迷って相談したじゃない。
[西]そう、そう、思い出した。手紙を送ってきたんだよな(爆笑)。
[鈴]そう。手紙を送ったんだよ(笑)。
[西]前から聞こうと思っていたけど、何であの時、電話じゃなくて手紙だったの?
[鈴]何となく電話しづらくてさ。
[西]お前、そういうところあるよな。転厩する時も、電話してきて『大事な話がある』っていう言い方をしただろ?
[鈴]そうだった?
[西]そうだよ。それで『いまは言えない』と言ったんだよ。あの時、小倉で飲んでいて、『小島厩舎の助手が離婚するかもしれない』と一緒にいた田辺に言っちゃったんだから。
[西・鈴](大爆笑)
[鈴]ふざけんなよ。転厩の話じゃないと思ったの?
[西]だって、いまは言えないとか言うからだよ。
[鈴]「遊んでる」って言うから(笑)。
[西]田辺に『離婚だってよ。俺も楽しく飲んでる場合じゃねえな』とか言って飲んでたんだから(笑)。
[鈴]冗談じゃないよ。
[西]話を戻すと、一成はあの頃からこの世界に入ろうと思っていたからな。
[鈴]あの時さ、大学に行きたくても行けない奴がいると熱弁をふるって、最後にお前のやりたいことを目指した選択をするべきだという言葉で心が決まったんだよね。
[西]あの時、指定校推薦で100%行けるって言っていたよな。1000万下の権利2つ持ちみたいな状況だったよな。
[鈴]そうだった(笑)。
[西]それと、お前が卒業した流通経済大学だったら、通いながら牧場で馬に乗れる環境だったし、もしこの世界に進むなら最高だったでしょ。
[鈴]確かにね。やっぱり、あの時、相談に乗ってもらったからいまがあるんだよ。でも、まさか一緒に働くとは思わなかった。
[西]俺もこの世界に入っているとは思わなかったよ(笑)。一成が、牧場に馬乗りに行ったりしていると聞いて、目的があっていいなぁとか思ったからね。いや、大学院を辞めるまで、この世界に入るとは夢にも思わなかったよ。
[鈴]大学院へ行った時点で競馬場に入ることはないと思った。
[西]でも、偉かったよな。朝、学校に行く前に馬に乗って、帰ってきてからも馬に乗って、しかも単位を早い段階で修得して、大学の後半は授業もなく、しっかりと牧場で馬に乗っていたんだからな。そういう意味では、いまのお前があるのは俺のお陰だな。
[鈴]『受かるか受からないかわからないところを受験するより、指定校へ行った方がいいに決まってんだろ』とか言ってさ。お前はあの時、適当に言ったかもしれないけどな。
[西・鈴](大爆笑)
[西]そういう俺も指定校推薦だからな。俺に聞いたお前が正しかったということだよ。
[鈴]実は、勇ちゃんにも聞いてさ、馬の世界に行きたいと思うなら、馬を触っておけって言われたんだよね。
[西]勇ちゃん、そう言ってたんだ。『西塚安夫は美浦で一番だけど、鈴木勇はアジアで三番の指に入る』だからね。
[西・鈴](爆笑)
[西]ちなみに読者の方に説明しておくと、武豊騎手と同期で、新人賞にも輝いた元騎手の伊藤暢さんに、飲み屋で一成と会った時に、隣になって出たセリフなのです。
[鈴]暢さんは我々調教助手の間では「神」ですからね(笑)。
[西]そうだよな。話を戻すと、俺たちの同級生は関係者の子供が結構多かった。尾形先生の娘さん、稗田先生の娘さん、平井先生の娘さん、安田富男さんの息子さん、中野栄治先生の娘さん、二本柳先生の息子さん、松山先生の息子さんだったよな。
[鈴]あと、藤沢先生の息子さんがいるじゃない。
[西]そう、そう。
[鈴]だって、いちばん最初に『ダビスタ』やったの藤沢厩舎だったじゃねぇかよ。
[西]そうだ。俺、藤沢先生と一緒に『ファミスタ』もやったんだよ。
[西・鈴](爆笑)
[西]そう言えば、『ダビスタ』をやりつつ雑誌を見ていて、『おじさん、馬なり調教だけで大丈夫?』って聞いたら、『馬なり調教だけじゃ馬は仕上がらない』って言われたんだよね。
[西・鈴](大爆笑)
[鈴]『ダビスタ』はいちばん最初の『関東版』だった。土曜日に『カズ、藤沢んちに面白いゲームがあるんだよ』って言った。
[西]あの時、ウチと藤沢先生とが隣だったんだよ。よく藤沢んちに遊びに行くと、藤沢先生がいた。親だから当たり前だよな。あの頃から、アロワナとか飼ってたんだよな。
[鈴]そうだったな。
[西]藤沢と先生と3人で、よくキャッチボールとかしてもらったからね。
[鈴]分からないねぇ。でも、生まれて初めて『ダビスタ』をやったのが、藤沢厩舎だったというのは言いたいね(笑)。
[西]もちろんでしょう。というか、話が飛んじゃうけど、俺の初恋は小学生の時、中野栄治さんの娘だったんだよね。
[鈴]そう言えば、中山の検量室で『中野先生の娘さんですよね』って声をかけて、『違います』って言われたんだよな。
[西]そう、そう。でも俺、いまは●●ちゃん(娘さんの名前)とは仲良いわけじゃないけど、この世界に入ってから栄治先生とは仲良くさせてもらってますよ。
[鈴]飲みに行った?
[西]すごく誘っていただいてはいますよ。
[鈴]『たまには行こうよ』って、この前も言われたよ。
[西・鈴](爆笑)
[鈴]栄治先生と言えば、俺が子供の頃、ウチで親父と酒を飲んでいる姿が印象に残ってるんだよね。
[西]いやぁ、あの頃は、皆さんのいまが想像できなかったなぁ。
[鈴]確かにね。
[西]あっ、転機ということで言えば、ノビーズ結成のきっかけはお前なんだよ。
[鈴]はっ?
[西]お前の結婚式で、弾き語りで歌ったのを聞いて、上の方(松岡騎手)が『上手いっすねぇ』と言い出して。ギター始めたいということから、バンドという話になったんだよ。
[鈴]あっ、そうなんだ。まあでも、初めて会った時に、こいつとは一生の付き合いになるなという直感があったよ。
[西]また、適当なこと言うなよ。
[鈴]本当だって。
ということで、今週は、ここまでとさせていただきます。
そう言えば、上の方がやりましたね。
僕はよく「2ちゃんねる」を見るのですが、「チョリース!」が話題になっているようです。まあ、2ちゃんねるに書かれるというのは、有名な証ということで(苦笑)。
最後に、『あなたのワンクリックがこのコーナーの存続を決めますので、どうかよろしくお願いいたします』。来週以降もどうぞよろしくお願いいたします。