今週は、栗東と美浦の違いとは何か?をたっぷり語ります
2009.05.21
先週、我が尾関厩舎からは7頭が出走したのですが、3着が最高と、勝つことができませんでした。
いいところまでは来ているんですけどね。いやぁ、いまさらと言われるかもしれませんが、ホントひとつ勝つというのは難しい。もっと言えば、競馬というのは本当に難しいと痛感させられます。
今週の対談は、栗東についての話が中心ですが、もうこの頃にはふたりともいい感じでお酒の効果が出ていたので、かなりブッチャけちゃってます。それでは対談の続きをどうぞ。
[鈴木一成調教助手(以下、鈴)]でも、真剣に話すけど、社長がそこまで頑張っているんだから、嫌って言っちゃいけないって。
[西塚信人調教助手(以下、西)]確かにな。
[鈴]もっと言えば、一般社会のビジネスマンの人たちの中には、もっと忙しい人がたくさんいるって。
[西]でも、出張に助手を送り出すということは、タダじゃないわけで、交通費は小島先生が出すわけだよ。それって、なかなかできることじゃない。
[鈴]サラブレ本誌で掲載してもらった時も話したんだけど、秋華賞前をはじめ、何回か栗東に滞在させてもらったことも、俺にとってかけがえのない財産だよね。
[西]サラブレの1ページ目ね。そう言えば、同じ1ページでもサラブレ本誌の登場はお前の方が先だったんだなあ。
[鈴]まあ、それはひとまず置いておいてさ(笑)。栗東と言えば、いま、隆ちゃんが行ってるよ。
[西]まだ、行ってんのかよ(笑)。確か、オオトリオウジャが毎日杯を走る前からだったよな。ちなみに、隆ちゃんを読者の方に説明させていただくと、僕と競馬学校で同期で、一成が所属していた小島茂之厩舎で調教助手として頑張っている斉藤隆介さんのことです。話を戻すけど、ずいぶん長くないか?
[鈴]長いよね。俺は毎日杯を最後に転厩したんだよ。あそこで5着で、その次のレースでクィーンスプマンテが勝ってくれてね。嫁さんと子供と一緒に口取り写真に入れていただけることができたんだよ。最後の追い切りにも乗せてもらっていたから、もうブッチャけ、たまらなく嬉しかったぁ。
[西]あっ、そうなんだ。
[鈴]そう。そして勝って、そのまま車で美浦に帰ってきて、日曜日の朝も攻め馬していました。
[西]そうだ! 朝の2時半から攻め馬乗ってたわ。
[西・鈴](爆笑)
[鈴]でも、栗東に滞在させてもらったことも、本当に勉強になったよ。
[西]俺は一度、競馬で栗東回りになった時に行っただけなんだよね。いまウチは追い切りのメインが坂路なんだけど、栗東はゴールしてからさらに登っていくわけでしょう?
[鈴]そう、さらにあそこから登っていくんだよね。というか、ゴールからが本番みたいなものかな。
[西]西塚厩舎の時は、Aコースふた回りで、速くなったら『飼い葉食べさせておいてください』というような感覚があった。でも、ウチは時計の指定があるわけよ。「17-17-16で」とか指示された時に、引っ掛かったままで行っちゃうと普段の完歩の時と狂っちゃうんだ、これが。
[鈴]完歩を数えているんだぁ。
[西]そうだよ。俺、いままで完歩を数えたことがなくてさ。だから、ブッチャけちゃうけど、しばらく追い切りで絶対に先頭へ行かなかったからね。
[鈴]でも、追い切りで先頭にならないと、上手くならないだろう。
[西]そうね。先頭に立って、時計の感覚を体で覚えないといけないのはわかっているよ。でも、苦労してるんだって。話を戻すと、坂路以外で栗東が違うというか、凄いというところはどこ?
[鈴]坂路以外では、逍遥馬道だね。あっ、あと馬場の質の違いだね。同じウッドチップが使用されているらしいんだけど、水捌けが悪いらしく、栗東は水分を含んでしまっていることで、むしろ負荷が掛かって鍛えられるらしいんだよ。
[西]水捌けの悪さが、逆に良かったりするわけだ。
[鈴]そう。追い切りの時計を見ても、終いの掛かり方などが違うじゃない。美浦は楽に11秒台が出たりしているけど、栗東は13秒台も珍しくないからね。
[西]確かにそうだな。いやぁ、俺はね、ある意味においては、海外へ行くよりも栗東へ留学するというのは意味があることだと思うんだよ。
[鈴]そうだよ。同じ土俵で競馬をしているわけだからね。
[西]もちろん海外へ行って、見ることも大切だとは思う。ただ、同じ暑いにしても、湿度が違ったりと、気候が違ったりする。そうなると、同じ季節であっても求められる運動量も当然違うわけで、当たり前だけど、すべてがイコールというか、日本に当てはまることにはならないと思う。栗東と美浦でも違うけど、たとえば片方が気温30度で片方が15度というようなことはないからね。そういう意味では、興味深い。
[鈴]同じ日本だからね。でも、坂路に加えて、また逍遥馬道が違うんだ、これが。地形の起伏をそのまま利用して、道を造っただけ。
[西]下は何が敷いてあるの?
[鈴]ウッドチップが敷いてあって、アップダウンが凄い。それだけでも相当な運動量になるくらいなのに、しばらく続いて、そこからさらに坂路に行くんだよね。
[西]それに対して、美浦の逍遥馬道は奇麗に整備されているじゃない。
[鈴]整備され過ぎているくらいだよね。
[西]でも、結構、良い坂のところがあるよな。
[鈴]だから、それがずっと続いている感じよ。
[西]そうか、あれ、すぐ終わっちゃうもんな(笑)。
[鈴]あそこを往復している厩舎がいるけど、小島厩舎も栗東に行ってから「使い方だよ」って話になって、逍遥馬道に行くようになったんだよ。
[西]そうなんだ。栗東へ滞在して結果を出すケースが多いということは、やっぱり違うということなんだろうね。ブラックエンブレムとプロヴィナージュが口火を切った感じになっているけどさ、あの時(秋華賞)はラーメン屋で嫁さんと観ていて吠えちゃったよ。
[鈴]どうせ勝つなんて思ってなかったんだろう。
[西]そりゃあ、全然思ってないさ。でも、4コーナーではプロヴィナージュが勝ったと思った。
[鈴]確かに。でも、ブッチャけ、向こう正面の1000mを58秒台で通過した時に、ウチの厩舎終わったなぁ、と思ったよ。プロヴィナージュの出走が、あれだけ世間を騒がせていたからね。
[西]そうだ、そうだ。小島先生のブログが炎上しちゃってね。でも、出走をやめるとは一言も言っていなかったんだろ?
[鈴]そうなんだよ。
[西]というか、たとえ言ったとしても、普通に考えて、わざわざ栗東に滞在して残っているわけで、出走できるなら出走するのは当たり前だし、もし俺が小島先生でも同じ選択をしたね。実際に、むしろプロヴィナージュの方が良いくらいだって、お前、言ってたよな?
[鈴]いやあ、本当だったんだって。素質が高くセンスがあるブラックエンブレムに対して、プロヴィナージュは馬格もあって、パワーがあるのよ。ブッチャけ、乗った感触はプロヴィナージュの方が、走るように感じさせられるから。それで、あの時はまた、具合が抜群だったんだよ。
[西]あの時、言い方は悪いけど、プロヴィナージュはダート馬で用なしという風潮になってたからね。
[鈴]だから、小島先生も思ったらしいけど、向こう正面でエアパスカルを交して行った時に、その後のバッシングを覚悟しましたよ。でも実は、(佐藤)哲三さんの戦略だったというから驚くでしょ。
[西]そうだったんだ。
[鈴]エアパスカルがフワフワとしていたらしいんだよ。その度に手綱を引っ張らなければならないのが嫌で、あえて交して行ったと言ってた。金曜日に調教で跨ってもらった時に、気分よく走らせた方がいいタイプで、しかも力があって、いい勝負ができると感じていたというからね。だから自信を持って交して行ったらしく、3、4コーナーでタップダンスシチーを思い出したらしい。ケツを流し気味にフワッとさせながら、みんなが内に入ってこないように、前の力で走らせるような感じらしい。
[西]どういうこと?
[鈴]いやぁ、哲三さんの言っていることは、感覚的過ぎて、俺も小島先生も、ブッチャけ、良くわかんなかったんだよ(笑)。
[西・鈴](爆笑)
[西]そう言えば、上の人(松岡騎手)もそんなことを言ってたなぁ。哲三さんは天才的だって。
[鈴]そう天才的。本当に言葉が感覚的で、トモを流しながら前で走らせるというのも、おそらくはドリフトのようなことなんだろうね。そしてさ、トモは直線で使わせようと思ったと言うんだから、そんなことを言う人、なかなかいないって。
[西]へぇ、そうなんだ。
[鈴]でも、その3、4コーナーでケツを振ってくれたお陰で、内が開くことにつながった部分は絶対にあったはず。そしてだ、そこを通ってきたのがブラックエンブレムだからね。ハイ、出来上がり!みたいな感じだったね。
[西]でもさ、ブッチャけちゃうけど、あの前くらいの時期って、小島厩舎全体が煮詰まっていたというか、ピリピリしていた。先生のお前に対するプレッシャーを確かに感じたからね。
[鈴]それはあった。というか、かなりプレッシャーは感じていたよ。
[西]そのストレスが積もり積もって、上原厩舎への転厩となったわけね。
[鈴]それが積もり積もってね。って、だから違うって!
[西・鈴](爆笑)
[西]あの時は、元々、すべての物事に対してストイックに向き合う傾向が強い厩舎が、さらにピリピリした空気を醸し出していたからね。
[鈴]ブッチャければ、厳しい指摘を受けた時もあった。もう僕にはできませんと言ってしまいそうになっちゃった時はあったよ、正直ね。
[西]俺たちの間では笑い話になっているけどな(笑)。
[鈴]ただ、言ったら俺と先生との関係も壊れてしまうし、俺自身もダメになってしまうと思って、止まったんだよね。それよりも、もうここまでやってダメならば、どうにでもしてくれという覚悟というか、開き直っていた部分があった。
[西]そうか。何とも言えないピリピリ感があったよね。
今週の対談はここまでとさせていただきます。いかがだったでしょうか。
実は、あの当時(昨秋)の一成の姿を見ていて、その背中が感じさせる空気に、俺自身も友達として、いや同じ調教助手として、秋華賞は絶対に見届けなければならないと思っていたんですよね。勝った時には、自分のことのように嬉しかったことを、いまでも鮮明に覚えています。
さて、先週に話を振った(村田)一誠さんの登場について、「お願いします!」という反響をたくさんいただきました。
ということで、いつも読んでくださっている村田さん。OKかどうかは、応援メールの方で、実名で送ってください。よろしくお願いします。
あっ、あと、上の方(松岡騎手)というリクエストもたくさんいただいているので、どこかでノビーズのギターとして登場していただこうかとも考えております。
ということで、今週もいかせていただきましょう。このコーナーの存続を決めるのはあなたのワンクリックですので、ぜひよろしくお願いいたします。