(菊池)憲太の引退について少し話させてください
2009.06.04
突然ですが、今週は対談ではなく、お話をさせていただこうと思います。
JRAからの発表を見た方からたくさんのメールをいただいたので、ご存じの方も多いと思いますが、菊池憲太が5月一杯で騎手を引退しました。
僕は1ヵ月前くらいに、引退する決心をしたと言われました。(横山)義行さんや大庭と対談をした時、あるいはその頃に話をしたりして、こういう時が来るんじゃないかという思いはあったのですが…。
憲太との付き合いは、西塚厩舎の調教助手のひとりがケガをしてしまい、人手が足りなくて大変だった時に調教を手伝ってもらったのが始まりで、そこから、より深い付き合いとなりました。
函館にも調教のためだけに行ってもらいましたし、本当によく手伝ってもらって助かりましたよ。
それなのに、競馬での騎乗馬をなかなか用意することができず、お世話になりっぱなしという状態だったのです。
そんな状況の中、憲太は騎乗馬がほとんどなく、免許の更新さえ危ぶまれていたんですよ。
騎手は、年間にある騎乗数を確保していないと免許の更新ができないというルールがありますし、実際にJRAからも、所属になったからと言って免許が更新できるということではない、と言われました。
でも、所属になることで少しでも良い影響があればと思ったから、西塚安夫厩舎にとって最初で最後の所属騎手として迎え入れさせてもらったのですが、ブッチャけ、2009年度は更新できても、2010年度は厳しいという思いはありました。
障害で除外馬が続出する状況が続いた時期には、騎手がいなくて投票できないというあり得ないことも起こっていたのですが、憲太に名前を借りてA、Bを組ませてもらうことで助けてもらいました。
この世界では、騎手の名前を借りて投票するということをそれほど重く考えない傾向があるんですよね。もっと言えば、障害の免許は持っているものの、乗ったことがない騎手の免許を使って投票されることさえ見られましたから。でも、僕は、違うんじゃないかと、ずっと思っていました。
A、Bなら競馬に乗れる可能性があるとはいえ、入りたての俺に、嫌な顔をすることさえなく、名前を貸してくれたのが憲太だったのです。
僕は潰れる寸前の中で厩舎に入ったわけですけど、あの時に見捨てず、面倒を見てくれた馬主をはじめとする方々がいたからこそ、いま、僕はこうしていられると思っています。
でも、じゃあそれを馬主さんたちに対して、何かをして直接的に恩返しをするなんていうことはできないと思うのです。もし、何かできることがあったとしても、それは些細なことですし、もっと言えば馬主さんたちはそれを求めていないはずですから。
それよりも、もし困ってる人がいて、その人に対して僕が少しでも力になってあげられるのなら、それをすることが恩返しになるんじゃないかと思うのです。
憲太に対して、馬主の方々が僕にしてくれたようにということではないですし、そんなことは僕には無理ですが、何とか少しでも一緒に良くなっていけたならと思っていたんですよ。
僕たちを見捨てずに面倒を見てくださった馬主の方々たちは、おそらく周りから『西塚なんて面倒みたってダメ』とか『そんなの無駄』と言われていたはずです。でも、最後まで面倒みてくださったという思いを、憲太との付き合いに感じた部分はありました。あと、親父が「一度深い付き合いになったら、簡単に分かれるようなことはするな」とよく言われていたんですよね。
今回、憲太には僕の思いはすべて伝えました。その上で、憲太が下した決断が引退なのです。
憲太自身の考えについては、来週から対談を掲載したいと思っていますので、そちらを読んでいただければと思います。ということで、村田(一誠)さんとの対談はその後ということにさせていただきたいと思います。
憲太が言っていることは、決して奇麗事じゃなく、リアリティがあるんですよ。まさに下剋上日記の目指すところなのです。だからこそ、みなさんに伝えたいと思い、対談を企画させていただきました。来週以降もよろしくお願いいたします。