母を喜ばし、屈腱炎にもめげず今度は父を喜ばすメイショウバトラー
プロキオンとは
こいぬ座の1等星で、
オリオン座のベテルギウス・
おおいぬ座のシリウスとともに
「冬の大三角形」を形成する星である。
冬の大三角形を構成する星のレースが、なんでこの蒸し暑い時期にやってんだ!?と言いたくなるが、そもそもこのプロキオンSは、2月や3月に中京で行われていた。
それがJRAの番組改編の余波を受けて
4月の阪神開催へ流され、その後
6月の阪神開催へ落ち着き、ついに今年は
7月へ。この時期、プロキオンを見られるのは
南米あたりだろうか?(笑)
数奇な運命を辿る
プロキオンSだが、今年の勝ち馬
メイショウバトラーもなかなか数奇な運命を辿ってきている。
デビューは春クラシックもすっかり終わった3歳6月。競走馬人生のスタートは、当然、他の馬たちよりも遅かったわけだが、
デビューした週のメインレースが第8回プロキオンSだったあたり、何か運命めいたものを感じる。
父が93年フェブラリーH(G3)を制した砂猛者の
メイショウホムラということで、当然、この馬も最初はダート戦を使われた。
阪神ダート1800でのデビュー戦は2着。次走同条件で1着になったバトラーは、2戦で未勝利を脱出する。
さすが
ホムラの娘だ。
砂適性抜群だ。
そう思われたところ、次走はなんと
小倉芝1700戦に現れた。
なんでホムラの娘が芝!? しかしバトラーはここも勝ち、しかもその後も古馬に混じって1000万クラスの小倉芝中距離戦で2、1着と好結果を残す。
そして4歳時には
関門橋S、
小倉大賞典と連勝し、他にも
芝重賞で4度の2着を記録するなど、完全な芝ホースであることを証明した。
これは母
メイショウハゴロモの影響だろう。母ハゴロモは、ダートで16戦しても勝てず、芝に新天地を求めたら、
未勝利の身で500万を連勝した馬だった(しかも連勝の舞台は小倉芝中距離)。
バトラーは母さん似だったか。父ホムラはそう思ったことだろう。
バトラーはその後、屈腱炎を発症。1年半近くを休養した。
復帰こそ果たしたものの、前走の
欅Sではいいところなく12着に敗れた。もう一花咲かすのは厳しいか……。ところがどっこい、
砂猛者の父の血はまだ生きていた。
勝ち時計
1分22秒0は、
レコードに0秒1差に迫るもの。良馬場でこのタイムを計時したのだから、
完全復活と言っていいだろう。
4歳時までは
母を喜ばせていたバトラー。6歳になり大人になった娘は、今度は
父を喜ばす番か。