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今週からは、競馬学校同期のタナパク(田中博騎手)との対談です!
2009.11.19

いやぁ、ナイスタイミングというのでしょうか(笑)、今週から対談が始まるタナパクこと田中博康騎手が、クィーンスプマンテとのコンビでエリザベス女王杯を勝ちました!

ブッチャけ、良い競馬はするかもしれないと思っていましたが、まさか勝つとは思ってもいませんでした。

普通に考えれば、東京あるいは福島でチャンスのある馬への騎乗があるであろう状況の中で、「栗東に滞在して調教を付けながら秋華賞に乗ってほしい」と言われても、そう簡単にはできないはずですから。

でも、何もかもを顧みず挑んでいった気持ちが、今回の勝利に対して後押しした一部分になったんだろうと思うんですよね。思いとか、気持ちというのがいかに大切か、改めて痛感します。

また、クィーンスプマンテは小島茂之厩舎ということで、先生をはじめ、スタッフ全員をよく知っている仲ですし、栗東に滞在していた助手の隆ちゃん(斉藤隆介)は、それこそ競馬学校の同期ということで、素直に嬉しかったぁ。

あまり長くなると、みなさんに申し訳ないので、それではさっそく、タナパクとの対談をお送りします。


[西塚信人調教助手(以下、西)]博康、緊張しなくていいから(笑)。それにしても、久しぶりだな。競馬学校では一緒に厩舎作業をしたけど、最近はあんまり会わないね。

[田中博康騎手(以下、田)]いや、僕はよく見かけますよ。

[西]あっ、そう。

[田]特に、尾関厩舎になってからは。

[西]馬場で見かけるようになった?

[田]はい、とても馬場で見かけるようになりました。

[西]そうなんだ(笑)。それまでは競馬場とか、田辺と飯を食べた時に一緒になったりとか……そう、ノビーズの結成前の練習にも来ていたよな?

[田]行ってましたよ。

[西]ギターはどうしたの? 買ったよな?

[田]眠ってしまってます(笑)。

[西]松岡先輩に、いきなり良いモノを買わされていたよね?

[田]いや、僕も頑張ろうと思っていましたし、続けられると思ったんですよ。

[西]練習に何回来た? 一緒に行ったこともあったよね?

[田]一緒にも行きましたし、2回くらい参加したはずです。

[西]俺と松岡で細々と練習していた時に、博康はギターを弾けるらしいと聞きつけて誘ったんだよ。

[田]松岡先輩が始めたばかりの時に、『少しやっていたことがあるので、多少なら弾けます』っていう話をしたことがありました。

[西]松岡は初心者だったからエフさえも押さえられない感じだったんだよね。それで松岡が『博康はエフ押さえられるんですよ』って、よく言っていた。

[西・田](笑)

[西]でも、なんで来なくなったの? 誘われなくなったとかではないよね?

[田]はい。松岡先輩には寮で『博康、ギター練習してるのか?』って聞かれてはいたんですが、『最近はしていません』というのが続いて、そのまま自然消滅みたいになってしまったんですよ。

[西]松岡は相当練習していたよ。

[田]すごく練習していましたよね。僕よりも忙しいはずなのに、時間の使い方が上手いですよ。

[西]そこはすごいと思う。あれだけ調教は休まず、しかも毎日のように交流競走とかにも乗りに行ってる中で、1週間に1回とはいえ、スタジオでの練習の時間も取るんだよ。正直、ダルいなと思う時もあるし、『今週は休んじゃうか』と思う時もあるわけよ。でも、松岡は『やる』って言うからね。火、水、木の3日間しかチャンスがない中で、必ず1日予定を空けてあって、参加できないことはほとんどないからね。

[田]いや、本当に時間の使い方が上手いんだと思いますよ。スケジュール的には、絶対、松岡先輩の方が忙しいですから。

[西]松岡の情熱はすごい。博康は、そのやる気に取り残されてしまった形だね。

[田]あそこまではできないですよ。でも、いまになればマユちゃん(黛騎手)が入って、ノビーズが有名になって。

[西]あれ、マユチャンとは同期?

[田]そうです。年齢も一緒ですね。あとは、千葉と(的場)勇人です。


[西]博康は年齢的には2つ上だったよね?

[田]そうです。高校に2年間行っていましたから。

[西]2浪したということ?

[田]2浪というか、中学校3年生の時は(騎手候補生を)受験していないんですよ。なので、2回目で合格することができたんですよ。

[西]騎手を目指したきっかけは何かあったの?

[田]競馬を見ていて、格好いいと思ったのがきっかけでした。

[西]どんな馬が走っていた頃?

[田]スペシャルウィークですね。

[西]それって、すごく最近の話でしょう(笑)。

[田]でも、10年近く過ぎてますよ。

[西]俺は、アイネスフウジンとかホワイトストーンだからね。

[田]知ってますよ。

[西]マジで?

[田]レースは観ていませんが、名前は知っています。僕の中でいちばん印象に残っているというか、騎手になりたいと痛烈に思わせられたのは、アグネスフライトが勝ったダービー(00年)なんですよね。

[西]乗馬とかには行っていたの?

[田]乗馬に通い始めたのは、騎手になりたいと思ってからです。

[西]博康は確か剣道をやってたんじゃなかったっけ? それも強い学校で。

[田]はい。住所変更をして、剣道の強い中学校へ行っていたんですよ。だから、剣道一筋で、競馬を観る機会すらありませんでした。

[西]高校でも剣道を続けることを考えてたの?

[田]中学校3年生の時に剣道を引退して、8月くらいには絶対に騎手になりたいと思っていたので、その時点ではもう剣道のことは考えていませんでした。

[西]親に騎手の話をした時は、どんな反応だった?

[田]『何を言っているの?』という反応でした(笑)。塾とかも行っていましたので、本気にしてもらえなかったというか、どうせ一時的な気持ちだろうという感じだったみたいです。もちろん僕は本気だったので、真剣に自分でいろいろ調べ始めたら、すでに願書が締め切られてしまっていて…。

[西]同じような経験を持つ人っているよね。中3で目覚めて、さあと思ったら願書を締め切らてしまっていたというケースは、前回の対談に出ていただいた西田さん(西田雄一郎騎手)もそうだったらしい。

[田]あと(藤田)伸二さんもそうだったみたいです。競馬学校の存在を知らない人って、けっこう多いですよね。身近に関係者がいる環境なら知っているんでしょうけど、ファンの人たちの中にも知らない人はいるんじゃないかと思います。

[西]初めて受けた時は、ダメだったんだ?

[田]はい。2次試験までは進むことができたんですけどね。いろいろ頑張ったつもりではいたんですが、いまにして思えば、坊主でもなかったですし、やる気というか覚悟がなかったという印象で見られていたのかもしれないと思うんですよね。2次試験の時にマユちゃんが一緒だったんですけど、アピールが物凄くて、一歩間違えば、空気が読めていないと言われかねないくらいでした(笑)。

[西]それ、とてもよく分かる(笑)。

[田]でも、そのマユちゃんが合格しましたからね。あのくらいじゃなきゃダメなんだと教えられました。

[西]そうしたら、マユちゃんが留年していたわけだ(笑)。それで厩舎長の俺と出会うことになったわけだ。もう忘れただろう?

[田]いえ、覚えてますよ。D厩舎ですよね。飼い葉を測ったり、馬の世話をしたりしましたよね。

[西]やったね。いまだに覚えているけど、騎手候補生というと、生意気だったり、変に元気だったり、あるいははっちゃけているタイプの人が多かったりするなかで、博康は物凄く落ち着いている印象が強かった。すでに何年も経験しているくらいのベテランという雰囲気を醸し出していたから。

[田]信人さんに『実は、ベテランだろ』って、よく言われましたね(笑)。

[西]すでに「いぶし銀」だったよな。


[田]「いぶし銀」もよく言われました。

[西]あの時、ひとつ上に鮫島良太もいたけど、あの落ち着きは1頭だけ抜けていたからね。本物過ぎて、気持ち悪いくらいだったね。

[田]信人さんのオーラも、なかなか気持ち悪かったですよ(笑)。

[西]えっ!? どこが?(笑)

[田]とにかく変わってるなぁと感じたんですよ。3年間競馬学校にいましたが、なかなかいませんよね。僕自身も、よく老けて見えるとか言われましたからね。

[西]おっさんとか言われていたね(笑)。話は変わるけど、競馬学校で厩舎長が違うと、雰囲気とかも違うものじゃない?

[田]明らかに違います。厩舎長という存在は大きいですよ。信人さんの時は面白かったです(笑)。

[西]適当さを売りにしていたからね。あの頃から『博康がデビューしたら、騎乗依頼するからな』って言っていたんだけど、自厩舎以外で初めて乗った馬はどこですか?

[田]もちろん西塚厩舎です。

[西・田](笑)

[西]約束守っただろ? それで馬の名前は? ちなみに俺は覚えているよ。

[田]えっと、えっと……勝負服は覚えているんですけど、名前が出てこない。

[西]じゃあ、勝負服は?

[田]青と黒ですよね。

[西]そう。エンジェル。

[田]エンジェルリーズンです。

[西]正解。中京のダート1700mね。デビュー2週目だったはず。

[田]そうです、そうです。1週目は自厩舎の2頭だけだったので、メチャクチャ嬉しくて舞い上がりました。

[西]あの頃、他の厩舎で攻め馬とかしていなかったよね? 西塚厩舎で攻め馬に乗ってもらったという記憶がない。

[田]デビュー前、1年目というのは、自厩舎の馬たちの攻め馬をするという機会が多かったです。だから、信人さんのところで調教に乗ったという記憶はないですね。

[西]俺のなかで博康はVIPだったということだよ(笑)。でも、多くの新人の騎手たちに対して、追い切りや攻め馬に乗っているから競馬も乗せてやるよ的な雰囲気があるけど、何か理由がある時以外は、良くないことだと思っているんだよ。駆け引きしているというか、餌を蒔いてるみたいで嫌なんだ。経験を重ねたら大人の事情も理解できるだろうけど、新人の人たちには気を遣う。乗れるかもしれないんだぞという空気を匂わせられて、一生懸命攻め馬をしたにも関わらず、乗れないという姿があまりにも多い。それなら、最初から攻め馬だけねと言ってあげるべきだと思う。だから、一時期乗り鞍が少なくなりかけたときに、博康が厩舎に来てくれたことがあったけど、そうじゃないと思っていたんだよね。

[田]あの時は焦る気持ちもありましたし、何とか少しでもつながってくれればと思って行動していました。

[西]いや、良いことだと思うし、大切なことなんだけど、その気持ちを利用しちゃうところがあるからね。でも、年末最後の出走となったカイテキラボンバの時には、ブッチャけてしまうと、『今週、乗り馬いないんですよ』という言葉を聞いて、博康に依頼したんだよ。しかも、馬主さんに言っていなかったんだよね。

[田]えっ、本当に!? 大丈夫だったんですか?

[西]もちろん怒られたよ(笑)。入るか、入らないか分からない状況だったから、まだ助かったけどね。でも、「誰?」って言われて、「減量もありますから」って言い訳をしましたよ。

[田]ありがとうございます(笑)。

[西]それが、2年目の正月にブレイクしたよね。『減量はタナパクだ』という雰囲気に支配されたことがあったんだけど、それ以降は西塚厩舎に乗ってもらっていないんだよ。それは気を遣ったんだ。というのは冗談で、空いていなかったからね。

[田]そうです。あの頃からですね、みなさんにたくさん乗せていただけるようになってきたのは。

[西]それでシルクメビウスで重賞(09年ユニコーンS)も勝ってね。おめでとうございます。

[田]ありがとうございます。今年は本当に充実しています。もちろん、まだまだだと思っていますし、決して満足はしていませんけど。

[西]でも、クィーンスプマンテ以降、良い馬に乗っているよね。

[田]エリザベス女王杯という大仕事が残っていますから。

今週はここまでとさせていただきます。実は、エリザベス女王杯の1週前に対談をしたので、古い話も出てきてしまいますが、そう思っていたんだと検証するように読んでいただければと思います。

先週、我が尾関厩舎は勝ち星こそなかったものの、ライトニングランが2着になるなど、手応えを感じることができた部分がありました。

ライトニングランは、追い切り以外の調教は僕自身が乗ることが多く、弱い部分を何とか克服できるようにと、いろいろな策を講じながらやってきたのです。その成果が少しずつ出てきてくれたようなので、本当に嬉しく思いますし、何とかしなければと必死に頑張ったからこそでしょう。タナパクと比べるのは失礼かもしれませんが、やはり気持ちが大切ということですよね。

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