超スローの「チキンレース」を制したのは、スミヨン騎手だった
文/編集部
レースが終わった後、真っ先に思い浮かんだのは
『チキンレース』だった。映画などで2台の車が崖や壁に向って全速力で走り、先にブレーキを掛けた方が負けというシーンを見たことがないだろうか? それがチキンレースだ。
今回のステイヤーズSの決着タイムは3分51秒3。ステイヤーズSで3分50秒以上かかったことは過去10年にはなく、98年にインターフラッグが優勝した時に3分58秒8だった時以来だ。ただ、98年はドロドロの重馬場だった。
近年は3分45秒前後での決着が多く、いくら3600mという長丁場とはいえ、今年がどれだけスローペースだったのかがお分かりいただけるだろう。
前半の1000m通過が1分5秒9、1000mから2000mまでの1000mが1分7秒1、2000mから3000mの1000mが1分3秒6である。レースのラップを見ると、最初の400m通過から2200mまでの間は、すべて1Fが13秒以上かかっている。
ステイヤーズSは平地戦では日本最長距離の重賞であり、かつてはスルーオダイナ、アイルトンシンボリ、ホットシークレットなどスペシャリストたちが活躍する場所だった。
ところが、競馬のスピード化が進んだ昨今はそんなスペシャリストも数が減り、連覇する馬は現われなくなった。
3000m以上の長距離はベストではないけれど、こなせないことはない、というようなやや距離に不安を持つ馬の出走が多くなってきたように感じる。そのことが今回のようなレース展開になった背景ではないだろうか。
レースを引っ張ったのは、前走で1000万特別を勝ったばかりの
マサライトだった。その
マサライトを見るように
ゴールデンメインや
エアジパングらが付け、1番人気の
フォゲッタブルは中団追走。他の人気馬は後方に控え、隊列ができあがると、そのまま向こう正面に流れていく。
あまりにスローなペースだったため、先行馬たちのほとんどがやや掛かり気味に見えた。ところが、どの馬の鞍上も手綱を引いて抑えていた。
緩い流れなのは分かっているが、無尽蔵なスタミナを持つスペシャリストならまだしも、ここで馬の行く気に任せてしまうと最後まで脚が持たない、そう考えているようだった。
仕掛けて前に出れば、他馬たちを楽にさせるだけ。今年のステイヤーズSは、
ブレーキではなく、先にアクセルを踏んだ方が負けのチキンレースの様相を呈していた。
レースが動いたのは、2周目の3コーナーを過ぎた残り800m付近。後方にいた馬が徐々に前へと進出し始めたのをきっかけに、全馬の騎手がこれに反応する。それまでただひたすら手綱を引き、折り合いに専念していたが、今度は馬の首を押して仕掛けていく。
しかし、ここで最後まで手が動かなかったように見えたのが
フォゲッタブルの鞍上・スミヨン騎手だった。もちろん、手綱から伝わってくる愛馬の手応えも良かったのだろう。ほぼ馬なりのまま、周りの進出に付いて行き、直線に向いたところでゴーサインを出して一気に加速を始めた。
ただ一頭だけ脚色が違うとはまさにこのことで、ゴールを駆け抜けた時には2着以下に1馬身以上の差を付けていた。3600mという長丁場を走りながら、最後の上がり3Fは34秒2だった。
チキンレースは、ブレーキのタイミングを誤ると、待っているのは死だ。しかし、早めにブレーキを踏めば、それは文字通り「チキン」と見なされる。今回のレースが、実質、残り800mの末脚勝負となったのも、騎手たちが
先に仕掛けた方が負けるという恐怖心を持っていたからに違いない。
序盤は行きたがる素振りも見せた
フォゲッタブルに対し、腕をピーンと伸ばし、まるで立ち上がっているかのようなフォームでなだめ続け、最後の3~4コーナーでは、他馬がアクセルを全開にしてもまだ我慢をし、最後にただ一頭、ターボエンジンでも積んでいるかのような末脚を引き出した。
今回のチキンレースの覇者はスミヨン騎手だった。