的確なペース判断の根底に「揺るぎない物差し」があった
文/編集部(D)
今から30年前に刊行された
『若き実力者たち』(文藝春秋社、沢木耕太郎著)に、指揮者、
小澤征爾氏の回がある。その中に、小澤氏の幼少期のエピソードとして、次のような一節がある。
『ある日、みんなで歌っていると幼い三男坊が、おどけながら「おかあちゃんに合わせるのはホネが折れるよ」という。理由をきくと、さくらはなまじ知っているために、本当の旋律より自己流に半音上げたり下げたりして歌ってしまう。さくらと合わせるために、同じように微妙に狂わせながら歌うのは大変だ、というのだ。その時、さくらは「この子には特別の音感があるらしい」と驚いた。----この挿話は、しかし彼の“神童”ぶりを表現しているというより、母親の間違いを知っていながら、自分も一生懸命合わせようとする“優しさ”がより強く見えている。』「三男坊」とは小澤征爾氏のことで、「さくら」とは征爾氏の母親のことだ。
この本は、沢木耕太郎の25歳の時のデビュー作だが、読んで、なるほど、と教えられたものだ。
ジャーナリストとは物事を一面だけで判断するのではなく、多面的に見て深く掘り下げて考えるべきなのだと。
どうしてこんな話を持ち出したかと言うと、北九州記念の勝利騎手インタビューを聞いて、一瞬、表面的なことだけで納得してしまいそうになったからだ。
メリッサに騎乗して差し切り勝ちを収めた
福永騎手は、レース後のインタビューで、
「思っていたよりも位置取りが後ろだったので、(ペースが)速いのだろうと思った」とコメントしていた。
その感覚は間違っていたわけではなく、実際に今年の北九州記念のペースは速かった。
前半3Fは32秒1で、これは昨年(32秒7)や一昨年(33秒0)より速く、キョウワロアリングが追い込みを決めた07年と同じ。過去の芝1200m重賞で、前半3Fが32秒1より速かったことは一度もなく、今回と07年の北九州記念が最速となっている。
結果的にはこのペース判断が合っていたからこそ、脚を溜めて差し切ることができたのだろうが、そこまで考えて納得したところで、いや、ちょっと待て、と思った。
ペースが速いと考えたのは、
「思っていたよりも位置取りが後ろだったから」と
福永騎手は話していた。これは、
メリッサと
福永騎手の間に
「揺るぎない物差し」が存在していたことの証左だろう。そうでなければ、思っていたよりも後ろの位置取りに対して、もっと焦るのが普通ではないか。
福永騎手が
メリッサに騎乗したのは今回が7度目で、09年以降ではいちばん多くのコンビを組むジョッキーになる。馬のリズムを完全に把握していて、他のことには惑わされない
「ふたりのペース」が存在しているのだろう。
今回の
メリッサによる北九州記念の優勝は、鞍上の的確なペース判断とそれに応えた馬によるものだろうが、その根底には、
乱ペースでも揺るがないモノを人馬が築いていたことも見逃してはいけないと思う。
これは結果論だろうが、
メリッサは5番人気で、1~4番人気はいずれも騎手が乗り替わりで騎乗していた。
今回の乱ペースのような時は、人馬の信頼感の厚さがモノを言う面もあるのだろう。
それにしても、と思う。
メリッサの前走(アイビスサマーダッシュで18着)は、いったい何だったのか?と。
過去の北九州記念では、前走の着順である程度の線引きができていただけに、この
「最下位→最上位」という一変には驚かされた。
このサイトで何度も記している通り、ホワイトマズル産駒はJRAの重賞を1番人気で制したことがなく、前走よりも人気が下がって勝利するケースが度々見られる。
だからと言って、前走をふた桁着順に敗れた後に重賞を制した例は、一度しかない(アサクサキングスが08年有馬記念⑭着→09年京都記念①着)。珍しいケースと考えていいはずだ。
それよりも、やはり、
新潟芝1000mが特殊ということなのだろう。
最近は、洋芝と野芝を分けて考える方法が根付いているが、
芝の種類以上に、コーナーがあるコースとないコースはまったくの別物、と頭の中に入れておくべきなのだろう。