小兵の力士が寄り切ったような驚きがあった
文/編集部
かつての大相撲には、
「寄り出し」という決まり手があったのをご存じだろうか?
「寄り切り」でも
「寄り倒し」でも
「押し出し」でもなく、
「寄り出し」。文字通り、
土俵際まで相手を持っていき、そのまま寄って土俵外に出すことだ。
それって
「寄り切り」だろう、と思うでしょうが、かつての
「寄り切り」は、こちらも文字通り、土俵際まで相手を持っていき、
こらえる相手を左右に切るようにして外に出した時に採用されていた決まり手とのこと。
「寄り出し」と
「寄り切り」は、区別されて使われていたのだ(昭和30年代に統一されたらしい)。
今回の
アルゼンチン共和国杯での
トーセンジョーダンのレースぶりを見ていたら、その勝ちっぷりは
「寄り切り」、しかも、
「寄り出し」と「寄り切り」が存在していた頃の「寄り切り」のようだと感心した。
勝負所で外を回って動き、先に抜け出しを図って③着に粘った
コスモヘレノスのレースぶりも驚くものだったが、それを
トップハンデの57kgを背負って交わし、内をロスなく回った
ジャミールにも1馬身以上の差を付けたのだから、
トーセンジョーダンのレースぶりは、
横綱のような取り口だった。
抵抗する
ジャミールと
コスモヘレノスに対して、ジワジワと差し込んで交わし去っていったその姿は、
土俵際で粘る相手を切って落とすように見えた。
相撲で
「寄り切り」をよく見せるのは、力士の中でも
大柄なタイプが多く、それと同じように、今回の
トーセンジョーダンのように、他馬を力でねじ伏せるような競馬を見せるタイプには、
スタミナ型が多い。
ところが、
トーセンジョーダンは、
1800~2000mで5勝をマークしていて、前走の
アイルランドT(東京芝2000m)では
33秒台の上がりを使っていた切れ者。
初の2200mを超える距離で今回のような
「寄り切り」を見せるとは、正直言って驚いた。想像以上に
スタミナを有していたということだろう。
00年以降、
東京芝2500mでの重賞は、
目黒記念と
アルゼンチン共和国杯を合わせて
20回行われていて、いずれの勝ち馬も
芝2200m以上での勝ち鞍があった。
芝2200m以上での①着がなく優勝したのは、
97年目黒記念の
アグネスカミカゼ以来で、
アルゼンチン共和国杯に限ると、
96年の
エルウェーウィン以来になる。
ただ、この2頭はいずれも
ハンデ53kgでの優勝で、軽ハンデが効いた面もあったように感じられる。今回の
トーセンジョーダンは
57kgを背負ってこれを克服したのだから、立派である。見ているこちら側は、
小兵の力士が大柄の力士を相手に寄り切りで勝利した時のような驚きを感じた。
レース後にコメントした
三浦騎手によれば、管理する
池江寿調教師は「距離は問題ない」と話されていたそうで、初距離に不安を感じていたのはこちら側だけだったのだろう。
祖母は名牝の
クラフティワイフで、この牝系はどちらかと言えば、
カンパニーや
ビッグショウリ、
ニューベリーに代表されるように
スピードが優れているように感じられる。
ただ、中には長距離でも勝ち鞍を挙げている馬がいて、
04年のアルゼンチン共和国杯を制した
レニングラードも同じ牝系の出身だった。
近年の話なので記憶に新しい人も多いと思うが、
レニングラードは
父トニービン×
母父ノーザンテースト(
祖母クラフティワイフ)という配合馬だった。今回の
トーセンジョーダンは、
父がトニービン直仔のジャングルポケットで、
母父ノーザンテースト(
祖母クラフティワイフ)。この共通項さえ見つけられていれば、東京芝2500mが
約束の地であったことも想像できていたのかもしれませんね…。
かつての
アルゼンチン共和国杯は、必ずしも、ここで好走してG1戦線に挑む!といった雰囲気ではなかったが、近年は明らかに変わってきている。
07年に優勝した
アドマイヤジュピタが翌年の
天皇賞・春を制し、08年①着の
スクリーンヒーローは次走の
ジャパンCも勝ってG1制覇を果たした。昨年の②着馬
アーネストリーも、今年のG1戦線で主役級の走りを見せている。来年の今ごろ、
トーセンジョーダンがどのようなポジションにいるか、楽しみだ。
中距離での切れ味もあるし、スタミナが豊富であることも証明した。言ってみれば、
相撲の決まり手の82手のうち60手ぐらいを使いこなせるような業師のような雰囲気もあるので、今後、G1馬を相手にしたレースでも、
寄り切るチャンスは出てくるのではないだろうか。