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今回の勝利は、重たい意味と価値を持っていた
文/石田敏徳、写真/川井博

調教師試験の合格を目指していた調教助手時代、夜の街で因縁をつけてきたヤ●ザとトラブルになり、相手をぶちのめしてしまった──。グランプリボスを管理する矢作芳人調教師とは、そんな武勇伝(?)を持つトレーナーである。その時の経緯を、彼は自著、「開成調教師 安馬を激走に導く厩舎マネジメント」(白夜書房)の中で次のように綴っている。

「相手はヤ●ザだった。すごいガタイをした若頭だ。こちらが仕掛けたわけではないのに、向こうから絡んできた。まだ29か30歳の頃で、僕も若かったし、もちろん一杯入っていたのもあるが、それよりも相手がヤ●ザだから許せなかった。

『素人をなめるなよ、ヤ●ザだと言えば誰でも言うことを聞くと思うなよ!』

缶ビールをかけたのをきっかけにして、大乱闘に発展してしまった」

彼がどれだけホットな男なのか、筋の通らないことを許せない性分をしているのかについては、このエピソードひとつからもお分かりいただけるだろう。義理と人情を重んじる、曲がったことは大嫌いな情熱家。特に親しいわけではない私でも、彼がそんな性格のトレーナーであることは知っている。非礼を承知で書かせてもらうと、昭和の香りが漂う“古いタイプのトレーナー”と言えるかもしれない。

だからこそ初めてのG1制覇を果たしたら、きっとこの人は泣くんだろうなあと以前から思っていた。今年はこれまで、G1の②着が実に3回(ダイワバーバリアンスーパーホーネットグロリアスノア)。もし朝日杯を勝ったら、ためにためこんだ悔しさを一気に放出する勢いで、号泣まであるんじゃないか? レースの前にはそんな想像さえ働かせていたほどだ。

しかし、グランプリボスが先頭でゴールを駆け抜けたレース後、ホットなトレーナーはまるで何かの仮面でも貼り付けたように、一切の感情の色を表情に出していなかった。

それはもちろん、グランプリボス審議の対象になっていたからだ。中団馬群の内から外へ持ち出した4コーナー、アドマイヤサガスの進路をカットした場面は“アウトorセーフ”の意見が割れそうな微妙なシーンだった。

ちなみに彼は、裁定が下るのを待っている間の心境を「降着になろうがなんだろうが、それも競馬ですから。その点ではむしろ冷静でいられました。だけどそのぶん、泣きそこなっちゃいましたね」と振り返っている。

つまりタイミングを外して、嬉し涙の持って行きどころを失ってしまったことになるが、いずれにしても彼は泣かなかったんじゃないかという気がする。開業6年目にしてついに手に入れたG1のタイトル。今回の勝利はそれ以上に、重たい意味と価値を持っていたと思われるからだ。

坦々とインタビュアーの質問に答えてきた矢作調教師が改まった口調で、「この場には相応しくないかもしれませんが、ちょっとひと言よろしいですか」と切り出したのは共同会見の終わりがけだった。彼によると今週の水曜日、JCダートで②着に食い込んだグロリアスノアの馬主から、「馬を転厩させたい」との申し入れがあったのだという。

「僕の力足らずで転厩することになりまして。厩舎内でも色々動揺があったんですが、特にやっぱり担当の厩務員に対して僕は申し訳なくて。それで水曜日に厩舎の決起集会を開いたんです。正直、ウチの厩舎の力が認められなくて、馬をよそに持っていかれてしまうということですから、なんとかウチの厩舎の力、スタッフの総合力を見せようよということで一致団結したところだったんです。僕はそういうこともあったんで、今回は勝てるんじゃないかと思っていました。ウチのスタッフの仕事の素晴らしさというのを証明できて本当に嬉しいです」

真に重たい意味を持つ勝利を手にした時、感情は涙なんてレベルを超越してしまう。きっとそういうことなのだろう。

思えば京王杯2歳Sを制したのは、長年にわたって厩舎の大将格を務めてきたスーパーホーネットの引退が決まった週だった。そしてまた、今週の勝利である。厩舎の屋台骨を揺るがすような出来事が起きると、すぐに補修材を運んできてくれるお助けマン・グランプリボスは、「皐月賞やダービーといった欲は出さず、あくまでもNHKマイルCに照準を定めるつもり」だという来春も、かけがえのない財産矢作厩舎にもたらしてくれそうだ。

※参考図書:「開成調教師 安馬を激走に導く厩舎マネジメント」(白夜書房)