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上位3頭の実力差は紙一重だったが、幸運の女神はダービー馬に微笑んだ
文/石田敏徳、写真/川井博


東京競馬場の上空を覆う鉛色の雲からポツポツと雨が落ち始めたのは、「昼過ぎから降る」という予報よりずいぶん早い第1レースの発走前だった。降り出しのタイミングもさることながら、次第に強さを増していった雨の勢いも「弱雨」という予報とは異なっていた。第2レースが発走する頃、東京競馬場近辺の雨はすっかり本降りになっていて、このまま降り続ければ馬場の悪化は避けられない情勢と思えた。

「そうなりゃ、ルーラーシップとナカヤマナイトだろ」

場内でバッタリ出くわした新聞記者と、私はそんな会話をかわしていた。パワーを要するタフな馬場になったとき、優位が膨らむのは確かにその2頭に違いなかった。

ちょうどその頃、エイシンフラッシュ藤原英昭調教師は羽田空港から東京競馬場へ向かうタクシーに乗っていた。東上してきた途端、予報以上、そして予想以上に強い勢いの雨に出迎えられた格好のトレーナーは思わず、この雨は何時頃から降り始めたのかと運転手に尋ねた。

「いや、こっちではまだ降り始めたばかりですし、量も大して降っていませんよ」

それを聞いては少し安心した。見込み以上の雨が降って“内が悪い馬場”になってしまったら、枠順決定後、デムーロ騎手と綿密に打ち合わせて組み立ててきたレースプランを変更する必要があったからだ。

(なんとか小止みになってくれ)

トレーナーの願いが天に通じたのか、雨は昼過ぎにはあがり、その後はお湿り程度の降雨があっただけ。馬場状態の悪化は避けられ、こうして秋の天皇賞「良」のコンディションで争われることになった。それは今年の天皇賞の明暗に結びついたひとつのポイントでもあった。

1枠2番のスタートポジションから思い切りよく飛び出して先手を奪ったのはやはりシルポートだった。「今年も小細工なしの逃げを打つ」と宣言していた通り、向正面で後続をどんどん引き離していった同馬が刻んだのは、前半1000mの通過が57秒3というハイペース。レコード決着となった昨年(56秒5)には及ばないものの、相当に速い流れだ。

外枠(8枠16番)から目を奪うスタートダッシュで飛び出し、アッという間に好位に取り付いたカレンブラックヒルは離れた2番手でスムーズに折り合い、1番人気の支持を集めたフェノーメノはその数馬身後ろに続いた。

ゲートが開いた瞬間に飛び上がるような素振りを見せ、出遅れてしまったルーラーシップ(2番人気)は縦に長く伸びた隊列の後方からのレースを余儀なくされる。

このようにして各馬の位置取りが定まっていくなか、6枠12番のスタートポジションから徐々にインへ進路を取り、中団馬群の内めで息を潜めていたのがエイシンフラッシュだった。道中は馬群の内々でじっと温存した末脚を、長い直線で解き放つ──。それが彼らの描いたレースプランだったのだ。

雨が早くにあがったおかげで描いていたレースプランを実践できたこと、また、宝塚記念からのぶっつけで挑んだ昨年(⑥着)と異なり、毎日王冠をひと叩き(⑨着)して臨んだ今年のローテーションも、悩めるダービー馬を鮮やかな復活に導いた要因のひとつに数えられるけれど、もっと直接的な勝因といえたのは、直線の入り口で魔法のように開いた「ビクトリー・ロード」に他ならなかった。

前を走っていた馬たちが一斉に、少し内を開け気味に回った最終コーナー、エイシンフラッシュの眼前には突然、ポッカリと広いスペースが開いた。すかさずゴーサインを送った鞍上の指示に応え、持ち前の鋭い末脚を発揮した馬は懸命に追いすがるフェノーメノを振り切って、一昨年のダービー以来となる勝利のゴールを駆け抜けた。

「直線でどこへ持ち出すかはミルコ(デムーロ騎手)に任せていたんだけど、まさかあそこが開くとはね」とレースを振り返ったのは藤原調教師。同様に「まさかあそこが開くとは……」とうめき、「しかしバテた馬が下がってくるリスクを考えると、自分がインを突くわけにはいかなかった」と唇を噛んだのは、馬場の中央に持ち出す正攻法で勝ちにいった結果、内をすくわれて②着に敗れたフェノーメノ蛯名正義騎手である。

終始、馬群の外々を回らされながら、エイシンフラッシュと同じ上がりタイムを記録したルーラーシップだって、見方によっては“一番強い競馬をした馬”といえる。つまり上位を占めた3頭の実力差は紙一重だった。しかし幸運の女神は2年半近くも勝利から遠ざかり続けてきたダービー馬に微笑んだのだった。

ダービーで世代の頂点を極めた後、尻すぼみの軌跡を描いてしまう馬は少なからずいる。その事実はダービーというレースの熾烈さを物語ってもいる。

ちなみにダービーに優勝した後、次の勝利をあげるまでに10戦以上要した馬には1959年のダービー馬コマツヒカリがいるそうだが、同馬の場合、14連敗を喫した後に手にした“次の勝利”は東京杯(現在の東京新聞杯)12連敗という長いトンネルを挟んで天皇賞で再び頂点に返り咲いたエイシンフラッシュが演じたのはまさに記録的な復活劇だった。

もちろんその背景には、馬に携わるスタッフの入念なケアと、負けても負けてもへこたれなかった馬の強靭な精神力があった。「まさにこの馬はアイアンホースやな」と笑ったのは藤原調教師。閃光にたとえられるような鋭い末脚でダービーの頂点に輝いた馬は今、鉄の強靭さを加えて新たな境地にたどり着いた。