前半62秒1は、このコースでは決してスローペースではなかった
文/編集部(T)、写真/森鷹史
逃げた
サムソンズプライドが作ったペースは、
前半1000m通過が62秒1。それだけに、自分もレース中は
「さすがに少し遅いなあ」と感じていた。
サムソンズプライド絡みの馬券を持っていたこともあって、
「しめしめ」でもあった(笑)。
しかし、直線半ばで
サムソンズプライド、2番手にいた
アクションスターは相次いで失速。好位の直後にいた
ラキシス、中団から脚を伸ばした
ラブリーデイと並んで
マーティンボロが進出し、一番外にいた
マーティンボロが3頭の大接戦を制した。
実際のところ、ペースは遅かったのか。レース後の騎手のコメントを見ると、
「もう少しペースが上がれば……」という趣旨のコメントが散見されたように、決して速くはなかったのだろう。
しかし、
ペースが遅いイコール前残りの展開かというと、このコースに限って言えば違うようだ。
3月16日までに新装後の中京芝2000mで開催された1000万以上のレースは17レースあったが、このうち
4角先頭の馬が連対したのは12年愛知杯のみだった。その
12年愛知杯のペースはというと、なんと
前半1000m通過が64秒5。これは90年以降の芝2000mの重賞で、14頭立て以上のレースとしては
もっとも遅いタイムとなる。
そこまで遅いタイムで行かないと、逃げ馬が残ることができないコースなのだ。
だとすると、
62秒1というタイムはこのコースの
先行馬にとって有利なペースではなかった、ということになる。差し切った
マーティンボロの強さはもちろん、前述のように前目につけてハナ差②着に食い込んだ
ラキシスの強さもまた称えるべきなのだろう。
また、この事実はタイムそのもののみを比較するのではなく、コースの特徴に応じて考えることが重要だと、改めて示唆しているようにも思う。
ところで、勝った
マーティンボロの生年月日は
2009年8月20日。これだけ見ると南半球産馬かとも思わせるが、れっきとした日本産で、生まれはノーザンファームだ。
最近は行われていないようだが、現6歳(2008年産)と5歳世代(2009年産)のノーザンファーム産馬の中には8~9月生まれの馬が複数いて、
マーティンボロのほかにも2勝を挙げている
スミデロキャニオン、1勝している
ダンシングハバナなどの現役馬がいる。
そして、それら遅生まれの馬の兄姉には
リアルインパクト、
フサイチエアデール、そして
マーティンボロの全兄
フレールジャックのように、活躍馬の名前が多い。
そのほとんどがディープインパクト産駒ということから考えると、あるいは南半球への輸出を目的としていたのだろうか。もしそうだとしたら、これらの馬が日本で走っている理由は、2010年頃に日本で口蹄疫が流行したことも影響したかもしれない。
マーティンボロという名前はニュージーランドの町の名前とのことだが、そういう意味で考えると意味深な名前だ(笑)。
いずれにしても、日本で走ることになった
マーティンボロにとって、これが
重賞初制覇となった。他馬より半年遅い生まれということを考えると、現在は
実質4歳秋といったところで、まさに充実期にあるといえそう。
このまま中距離路線で名を上げ、秋にはオーストラリアの大レース・
コックスプレートへの遠征が実現したら……これもある意味“凱旋”なのかも(実際のところは分かりませんが)?