馬の底力とともに、厩舎の総合力の高さも見せつけられた思い
文/鈴木正(スポーツニッポン)
皐月賞、
天皇賞・春、
NHKマイルCと、1番人気馬(順に
ロジユニヴァース14着、
アサクサキングス9着、
ブレイクランアウト9着)が続けて失速した
春のG1戦線。
あるJRA職員は
「こういう競馬が続くと、競馬はなんて難しいんだと思って、ファンが離れてしまうかもしれない。大きな配当が出るのもいいのですが、1番人気が強い競馬を見せることも必要なんですよ」と話していたが、
ウオッカがその役回りを見事に演じ切った。
単勝1.7倍の1番人気。7馬身差の大圧勝。
「これが競馬だ」と言わんばかりのねじ伏せ方に、久しぶりに気持ちがスカッとしたファンも多かったのではないか。
ウオッカなら、このくらいのパフォーマンスは当然、そう思う方は多いだろう。だが……そんな簡単ではないのも、また競馬なのだ。
前走・ドバイデューティーフリーでの7着敗戦は、厩舎関係者の胸に深く突き刺さった。今年は昨年とステップを変え、
ドバイでの前哨戦から出走した。おかげで最高の体調でレース本番を迎えた。現地で実際に
ウオッカの様子を見た関係者は、一様に
「素晴らしいコンディションだ。今年こそ勝つ」と話していた。ところが……直線で逃げ馬を捕らえるだけと思ったところから、ズルズルと下がった。
完全なる力負け。見せ場もなかった。管理する
角居勝彦調教師の言葉は、胸に響いた。
「この敗戦はショックだ。馬づくりを根本から見直さなければならない」。角居師は肩に重い荷を背負った。覚悟を胸に帰国したに違いない。記者の端くれとして、これは注目しなければと感じた。
日本を代表する名調教師は、これまで積み上げ、いくつもの栄光をつかんできた自らの哲学を、今後どう扱うのか。すべてを崩して一から作り直していくのか。それは、どのくらいの時間がかかるのか。帰国初戦の
ヴィクトリアマイルに間に合うものなのか。いずれにしても、
一時代を築いた“角居流”に、転換の時が訪れたのだと感じた。
馬への接し方や、
カイバの中身に変化があったかどうかまでは一記者の立場では分からない。ただ、調教には確実に大きな変化があった。ヴィクトリアマイルへの最終追い、コースでの3頭併せ。
武豊騎手を乗せた
ウオッカは、内から僚馬を
3馬身も突き放した。これまでの角居厩舎の調教は、ゴール前で3頭が頭を並べるのがパターンだった。
今回はその流儀を捨てた。走りたいという馬の気持ちを調教である程度発散させた。この変化は大きい。我々が思うより、はるかに大きい、
調教方針の根本的変更だ。
さっそく角居師は“チェンジ”を仕掛けてきた、と身震いした。
これまでにない追い切りで気合を注入された
ウオッカの出来は素晴らしかった。レース前日に
東京競馬場へと輸送された後、
中田助手は
「コンディションには自信がある。ドバイからの好調をずっと維持し続けている。昨年のこのレース(2着)の時とは雲泥の差だ」と言い切った。
パドックを歩く姿も完ぺきだった。光沢を放つ馬体。落ち着き、迫力、適度な気合乗り。
これぞ名馬のパドックと言うべき姿だった。
レースで見せたパフォーマンスも素晴らしかった。これでどうだ、私の強さが分かったか。そんな言葉が聞こえてきそうだった。これまでの
ウオッカは
スマート、
気品、そんな言葉が似合うイメージだったが、今回は違う。
怒り、
ダメ押し、
泥臭さ。
ウオッカの執念がにじみ出たような勝ちっぷりに見えた。
ウイニングランを終え、馬を迎えた岸本助手が泣いているように見えた。無理もない。前走後はさまざまな不安が押し寄せたはずだ。この方針でいいのか、
ウオッカは本当に復活してくれるのか……。最高の結果を出してくれて、体中から力が抜けたのではないか。
角居師は笑顔だった。勇気を持って自分の流儀を捨て、調教の方針を大転換した今回、もっとも気持ちを揺さぶられていいはずのキーマン。号泣しておかしくない感動だったはずだが、このサラリとした笑顔はどうだ。
日本を代表する調教師は、感情をコントロールする術も指折りだと感じた。
ドバイでの惨敗から、わずかな期間で完全に立ち直った
ウオッカ。
馬の底力とともに、
厩舎の総合力の高さも見せつけられた思いだ。大きな関門をくぐり抜けた人馬にとっては、次走・
安田記念も、そう高い壁ではないだろう。