馬場のハンデを跳ね返し、鞍上の窮地を救った末脚には恐れ入るばかり
文/石田敏徳

この春、東京のG1シリーズでは
前残り、そして
「内が残る」傾向が顕著になっている。
NHKマイルCでは
好位追走から馬場の内目を突いて抜け出した3頭が上位を独占。翌週の
ヴィクトリアマイルでも、圧巻のパフォーマンスを演じた
ウオッカの2、3着に粘りこんだのは、ともに
内枠の先行馬だった。
連続開催も折り返し点を過ぎて、内ラチ沿いの芝の緑はずいぶん剥げ落ちてきたように映るけれど、そんな見た目とは裏腹に、野芝と路盤の状態がよほどしっかりしているのだろう。
お化粧(洋芝)は崩れても、地肌(野芝と路盤)はバッチリというわけですね。かくして、
「前と内が残る」状況が生まれているものと推察できる。
最終の単勝オッズが
1.4倍。まさに断然の支持を集めて
オークスに臨んだ
ブエナビスタの
安藤勝己騎手も、当然、そのことは意識していた。
「今日は真ん中よりも前のポジションにつけていくと思っていた」という
松田博資調教師とは裏腹に、位置取りについては
「いままでと同様、道中はゆったり走らせてあげようと思っていた」そうだが、身上の末脚をどうやって爆発させるか、つまり直線のコース取りについては
「できれば内を突きたい」と考えていた。
外を突いた馬が脚勢ほど伸び切れない反面、内を突いた馬が手応え以上に渋太い末脚を発揮するという
“コースの傾向”を、彼は痛切に感じていたからである。
改めて書くまでもないが、ジョッキーはコースの状況に敏感だ。現在の東京コースのように、歴然とした傾向が生じている場合は特にそうなる。どこを回れば、そしてどこを突けば、最高のパフォーマンスを発揮できるのか……。実際に果たせるかどうかはともかく、トップジョッキーになればなるほど、そのこだわりは深くなる。
しかし、今回の
オークスについて言えば、
安藤騎手が抱いていた
“内へのこだわり”が、彼らをギリギリの苦境へ追い込むことになった。ゲートを飛び出して
「すぐに息が入った」という馬を急かしたりはせず、道中の位置取りは
後方2番手。今まで通りの待機策は揺るぎのない自信の表れと映ったが、
ブエナビスタの馬上で
安藤騎手の心は揺れていた。
「3コーナーを過ぎたあたりから、内を突いて(馬群を)捌くか、それとも外へ持ち出そうかと、ずっと迷っていた」こうして迎えた直線、いったんは馬群の中へ切り込む構えも見せた彼だが、思い直したように結局は外へ進路を取る。外よりも明らかに伸びる内に後ろ髪を引かれながら、
前が詰まる危険性はない外のコースを、彼は最終的に選択したのだ。
とはいえ、
安藤騎手が馬群の外にハンドルを切ったのは残り400m標識の手前。なかなかつけられなかった心の踏ん切りは、
仕掛け遅れを意味していた。そして、彼らの数馬身前方では、完璧にレースを運んだ
レッドディザイアが抜け出しにかかろうとしていた。
普通ならとても間に合うものではない。実際に
安藤騎手も
「ミスったと思った」と振り返る。ところがそこから
“普通じゃない”末脚を爆発させた
ブエナビスタは、伸び切れないはずの外を通ってグイグイと前に迫っていった。
みるみるうちに差は縮まり、鼻面を並べてゴールに飛び込んだ2頭。ウイニングランを行わずに帰りかけたほど、
「勝利の確信は持てなかった」という
安藤騎手だが、ゴールシーンのリプレイには、
ブエナビスタが
レッドディザイアをキッチリと捕える瞬間が映し出されていた。
「負けていなくて良かったなと思います」レース後のインタビューで開口一番、そう語った
安藤騎手の口調には実感がこもっていた。
トップジョッキーならではの“心の迷い”が呼んだとも言える仕掛けの遅れ。もし届いていなかったら、
「明らかに勝てたはずのレースを落とした」として、その騎乗は非難の集中砲火にさらされていただろう。
そんな騎手の窮地を救った
ブエナビスタの末脚には、改めてただただ、恐れ入るばかりだ。