ヒラボクロイヤルにロベルト系のあるべき姿を見た
文/編集部
「叩き上げ」……下積み時代の苦労を経て、腕を磨いて一人前になったこと(参考図書:大辞林)
この言葉を耳にすると、プロ野球でいえば現ヤクルトのプレイングマネージャーである
古田敦也が思い浮かぶ。
ごく普通の高校から立命館大学に進学し、ドラフトでは
「メガネをかけたキャッチャーは大成しない」という理由で指名を得られず。そのため、トヨタ自動車に入社し、社会人野球に身を投じることに。
その後、当時のヤクルトのスカウト部長であった
片岡宏雄に見出され、1990年にヤクルトに入団することになるのだが、その時、古田はすでに
25歳。プロ野球のルーキーとしては異例の高齢だった。
だが、プロ入り後はリーグ優勝5回、日本一4回。獲得した栄冠は枚挙に暇がない。回り道を経て、野村克也監督の下でその才能を一気に開花させた
古田敦也。なんとも
叩き上げという言葉が似合う。
競馬で
「叩き上げ」といえば、
ブライアンズタイムを核とした
ロベルト系がその対象となる。
青葉賞においては、力強い末脚でライバル勢を切って捨てた
ヒラボクロイヤルが
父タニノギムレットで
ロベルト系である。
昨夏の北海道で
メイショウレガーロや
フライングアップルといった実力馬と接戦を演じていた
ヒラボクロイヤル。ライバルたちが次々に重賞で脚光を浴びる最中、同馬はひたすら
未勝利を走り続けていた。だが、勝てない。
ヒラボクロイヤルの初勝利は年明け2月の小倉開催。札幌、京都、阪神、小倉と転戦し、
6戦目でようやく未勝利脱出となったが、デビューからはすでに5ヶ月が経過していた。秘めたる実力からいえば、回り道もいいところだ。
だが、プロ入り前に紆余曲折を経ていた
古田敦也が、遅咲きながら、プロ入りを契機に野球人生をガラリと好転させたように。
ヒラボクロイヤルも初勝利を境にして、メキメキと頭角を現していく。
デビューから5戦目までは
②②③②⑦着だった馬が、6戦目から10戦目の青葉賞までで
①②①②①着。
ダービーの有力候補の一角を担う存在まで、あっという間にスターダムにのし上がった。古田敦也の野球人生と重ねたくなるのもムリはない。
ロベルト系の中には、キャリア4戦目で皐月賞を制した
ヴィクトリーや
ノーリーズンもいる。だが、
ヒラボクロイヤルのように、
叩いて叩いて成長を助長させる過程こそ、泥臭いロベルト系にあるべき姿なのだと思う。
いまは亡き三冠馬
ナリタブライアンは、
ブライアンズタイムを父に持つ
ロベルト系だった。5馬身差の圧勝を飾ったダービーは、キャリア通算11戦目にあたる。
叩き上げのロベルト系を究極の形で象徴した1頭だ。
ナリタブライアンを管理していたのは、06年に調教師を勇退した
大久保正陽。主な管理馬には97年の有馬記念を制した
シルクジャスティスなどもおり、同馬も
ブライアンズタイム産駒の
ロベルト系。
ロベルト系を扱わせたら、大久保正陽の右に出るモノなし、といまでも思う。
ロベルト系を仕上げる術を、父の厩舎で働いていた息子・
大久保龍志調教師が受け継ぎ、
ヒラボクロイヤルで体現してみせた。それはこちら側の単なる願望でしかないが、そうあってほしいと望みたくもなる。背景が背景だけに。
とにかく、戦績や臨戦過程に違いはあるが、
ヒラボクロイヤルも大先輩
ナリタブライアンと同じ
11戦目にダービーを迎えることになった。古田敦也は日本シリーズで2度のMVPに輝いたが、
ヒラボクロイヤルもダービーを制すれば、個人的にはMVPを贈りたい。
ロベルト系の鑑という意味で。
だがそれも、あながちムチャな注文とも言い切れない。その理由は下記の勝ち馬を見れば、お分かりいただけるだろう。
94年皐月賞…
ナリタブライアンダービー…
ナリタブライアン97年皐月賞…
サニーブライアンダービー…
サニーブライアン02年皐月賞…
ノーリーズンダービー…
タニノギムレット07年皐月賞…
ヴィクトリーダービー…
??そう、
ロベルト系が皐月賞を勝った年は必ず、ダービーもロベルト系が勝っているからだ。今年の
皐月賞は
ロベルト系の
ヴィクトリー(父ブライアンズタイム)が勝利した。ということは? 答えは5月27日。
ロベルトデーにならんことを。
(文中敬称略)