死してなお多大な影響を及ぼすサンデーサイレンスは偉大なり
文/編集部
「死せる孔明 生ける仲達を走らす」これは
『三国志』の中で出てくる有名なフレーズである。
蜀の大人物である
諸葛亮孔明が自分の死後、それを察知した
司馬懿仲達率いる
魏が攻めてくることを予測し、自分にそっくりの人形(木像)を作らせる。
孔明の死後、その人形を
魏軍が攻めてきた時に戦いの前線に置くのだが、普段から
孔明を脅威に感じていた
司馬懿仲達たちは、死んでいるはずの
孔明が生きていることに驚き、慌てて軍を引き上げる、といったエピソードだ。
いかに
諸葛亮孔明が偉大であったか、影響力が大きかったのか。それを象徴する話である。
競馬界でいえば、
孔明=
サンデーサイレンス。日本競馬の歴史を塗り替えた大人物ならぬ大種牡馬だ。司馬懿仲達が
孔明の死を知った時、
「おそらく、この地上で孔明のような人物を見ることはもうない」と言ったそうだが、
サンデーサイレンスもしかり、だと思う。
いきなり、狭いゾーンに言及することになり恐縮ですが(笑)、
サンデーの影響力は
東京スポーツ杯2歳Sにも及んでいる。
東京スポーツ杯2歳Sが重賞となった96年以降、
サンデー産駒は[3.3.3.4]と抜群の成績を残し、出走した年は必ず1頭は馬券に絡んでいた。また、母父に入ってもその影響力は変わらず、05年
フサイチリシャール、06年
フサイチホウオーが勝利を収めた。
そして今年。出走馬15頭の中で
母父サンデー産駒は
フサイチアソート、
スズジュピター、
スマイルジャックだったが、なんとその3頭で
ワンツースリーという。
「もう、どんだけ~」と言いたくなるのもムリはない(笑)。
ただ、重賞だからといってなんでもかんでも席巻するわけではなく、今年の
札幌2歳Sでは4頭の
母父サンデー産駒が出走していたが、みな掲示板外に終わっていた。ちなみに、
札幌2歳Sで3着以内となった
母父サンデー産駒はいまのことろ、05年1着の
アドマイヤムーンだけ。
では、
札幌2歳Sでおとなしかった
母父サンデー産駒が、
東京スポーツ杯2歳Sではどうしてこうも元気一杯になったのか。
今年を例に取れば、
札幌2歳Sはレースの上がり3Fが
12.3-12.7-12.9(37秒9)とダート並みに時計を要したのに対し、
東京スポーツ杯2歳Sのそれは
12.0-11.3-11.9(35秒2)と
瞬発力が求められる展開だったから。
「瞬発力」はサンデーの代名詞とも言えるが、そういうお得意の展開になりやすいことが、
東京スポーツ杯2歳Sで
サンデー産駒や
母父サンデー産駒が暴れまくっているひとつの要因だろう。
特に、東京競馬場が改装された03年以降は直線が長くなったせいなのか、
スローペースからの
「上がり勝負」が顕著となった。以下の表で上がり3Fのラップを見てもらえばよくわかる。
03年11.5-11.7-11.9(35秒1)1着アドマイヤビッグ
父
サンデーサイレンス2着フォーカルポイント
父エンドスウィープ
3着キョウワスプレンダ
父
サンデーサイレンス04年11.3-11.7-12.0(35秒0)1着スムースバリトン
父スペシャルウィーク
2着ペールギュント
父
サンデーサイレンス3着ニシノドコマデモ
父キングヘイロー
05年11.6-11.0-11.4(34秒0)1着フサイチリシャール
母父
サンデーサイレンス2着メイショウサムソン
父オペラハウス
3着オンファイア
父
サンデーサイレンス06年11.7-11.3-11.3(34秒3)1着フサイチホウオー
母父
サンデーサイレンス2着フライングアップル
父Rahy
3着ドリームジャーニー
父ステイゴールド
07年12.0-11.3-11.9(35秒2)1着フサイチアソート
母父
サンデーサイレンス2着スズジュピター
母父
サンデーサイレンス3着スマイルジャック
母父
サンデーサイレンスほとんどが
11秒台のラップが並び、
札幌2歳Sのように12秒台がズラッと並ぶことは、道悪にでもならない限りまずない。
「上がりの申し子」である
サンデーの血が騒ぐのは必然の流れなのだろう。
今年は、
1戦1勝で9番人気だった
フサイチアソートが、すでに
OP特別で連対実績のあった
スズジュピターと
スマイルジャックを負かすという下克上が起き、頭荒れという決着になった。
ちなみに、96年~06年の
東京スポーツ杯2歳Sにおいて、
キャリア1戦だった馬は[3.2.1.14]という成績だったが、3勝はいずれも父か母父が
サンデーの馬だった(01年
アドマイヤマックス、03年
アドマイヤビッグ、06年
フサイチホウオー)。
要するに、
キャリア1戦で重賞を勝ってしまうというのも、
サンデーのお家芸のひとつなのだ。同じキャリア1戦でも、1番人気の
ゴスホークケンは4着に敗れ、9番人気の
フサイチアソートが勝ったことは、それを象徴する出来事だった。
これを反省材料とし、来年は
「キャリア1戦の母父サンデー」は侮らないことにします(笑)。
それにしても、死してなお日本競馬に多大な影響を及ぼすとは……偉大なり、サンデーサイレンス。