独自視点で穴馬推奨!競馬予想支援情報【サラブレモバイル】

サラブレモバイル

メニュー

ログイン

希代の個性派は明らかにファンの記憶に残る名馬の1頭となった
文/鈴木正(スポーツニッポン)

お見事、カンパニー。マイルCSの直線。エヴァズリクエストヒカルオオゾラの間を割っていく時の迫力は、すさまじいものがあった。ステッキはこの時に2発、左から打ったのみ。逃げたマイネルファルケを交わす時は、余裕を持って手綱で追った。着差以上の完勝で飾った引退レース。大団円という言葉は、こういう時に使うのだな、と関係者の笑顔を見て感じた。

お立ち台に上がった横山典弘騎手は意識的に冷静に振る舞っているように見えた。コメントも努めてシンプルに。その様子は「見ての通り、馬が強かったし、馬が頑張ったんだ。そのあたり、分かっているかい!? もっとカンパニーを称えてくれよ」というメッセージを発しているように思えたのだが、どうだろう。

それにしても8歳にして毎日王冠、天皇賞・秋、マイルCSを3連勝して引退とは。この秋の3戦だけでカンパニーは明らかにファンの記憶に残る名馬の1頭となった。「人間でいえば32歳」「オジサンの星」など、さまざまな見出しがスポーツ新聞に躍ったが、ではなぜ、ここまで極端に遅咲きのスーパーホースが出現したのかを考察したい。

①大事に使われた
通算35戦で引退となったが、もっとも暑い8~9月には、たったの一度しか出走していない。休むべき時には休むという姿勢が、息の長い現役生活を支えたと思われる。

②兄も大器晩成
半兄ニューベリーは8歳の正月に京都金杯②着。同じく半兄レニングラードは5歳秋に重賞(アルゼンチン共和国杯)制覇。カンパニーも年齢を重ねてからの本格化があると、関係者は感じていたはずだ。その予感に賭け、じっくりと開花の時を待った厩舎サイドの辛抱強さは、称賛に値する。

③横山典弘との出会い
関東の名手が主戦となったのは、昨年の中山記念から。このレースは衝撃だった。いつも後方から進んでいた馬が、いきなり2番手に付けた。直線を向いてサッと先頭に立ち、押し切って完勝。自分にとって、よほど驚きだったとみえて「アッという位置どり。こんな競馬もできるのか」とのメモが、ノートに残っていた。

それまで乗っていた騎手がどうこう、という意味ではない。横山典弘と手が合うというか、相性が抜群に良かったのだろう。今年の中山記念では、2番手を主張して強気にアドマイヤフジを押し退け、結果は完勝。パートナーに全幅の信頼を置いているからこその、横山典弘ならではのテクニック。こういうハイレベルな戦い方はカンパニー自身にも勉強になったと思う。横山典弘の手引きによって獲得していったさまざまな経験は、確実にこの秋の3連勝につながったはずだ。

カンパニーの成績表をあらためて振り返ると、実に強い馬と戦ってきたことが分かる。同期のダービー馬はキングカメハメハ。灼熱の下で行われた大一番を2分23秒3のレコードで駆け抜けた。②着が、のちに有馬記念、ドバイシーマクラシックを勝つハーツクライ。天皇賞・春を優勝するスズカマンボが⑤着。皐月賞馬で、のちに天皇賞・秋、安田記念、マイルCSを勝つダイワメジャーが⑥着に顔を出す。カンパニーは、空前の豊作世代の生き残りなのだ。

ディープインパクトとも一緒に走った。同期ダイワメジャーとも、しのぎを削った。それら、きらめくようなサンデーサイレンス産駒たちと戦って得た経験が、カンパニーの血となり肉となっていった。いつしかサンデーサイレンス産駒も少なくなり、自分自身のレベルアップもあって、気が付けば競走馬のピラミッドの頂点にいた。もしカンパニーが言葉を話せるなら、このように分析してくれるのではないか。

引退レースを飾って、惜しまれつつ去っていくことは、こんなにも美しいのだと、あらためて知った。8歳にしてウオッカを破り、最高潮の時を迎えて鮮やかに去っていった希代の個性派。後世に語り継ぐべき馬の引退戦を目に焼き付けることができて、実に幸せなマイルCSだった。