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このような暑さが続くと、何か対策を講じた方が良いと思わせられます
2011.7.14

関東地方でも梅雨明けとなり、いよいよ夏本番となりますが、それにしても暑いですね。泣き言を言っていると思われるかもしれませんが、こう暑いと、馬はもちろんのこと、携わっている人間でさえも『危ない』と感じることがあるんですよ。

いまですと、多くの厩舎が最後の鞍が8時前後に行うメニューとなっています。その時点で気温が30度近くになっていて、そこから炎天下の中、ヘルメットとベストを着用して馬に乗って出ていきますので、時にはクラクラしてくる時があります。

まだ7月の中旬に差し掛かったばかりで、例年、僕の中では8月の初旬からお盆過ぎあたりまでがいちばん暑いというイメージがあるのですよね。このままいくと、どういうことになるのでしょうか!?

このように暑いと、馬に対して、特に注意する意識を持つように心がけています。トレセンで言えば、昨年などは地下馬道で倒れた馬がいました。これからは、馬場で倒れましたというケースも出てくるのではないでしょうか。

競馬でも、今週から始まる新潟競馬では毎年必ずと言っていいほど、倒れた、あるいは体調がおかしくなったという馬の話が出ますからね。簡単ではないのでしょうが、何か対策を考えなければならないのではないかと思います。

馬たちが倒れたという話を聞き、自分自身も暑さのなかで馬に乗っていると、所詮、これだけの暑さのなかで競馬をすること自体に無理があるのではないかと思わせられます。

ドバイやシンガポールなどでは、暑さを避けるためにナイターで開催されていますよね。日本でも、このままさらに暑くなっていく可能性も考えられるわけで、何か対策を講じないと人馬ともに影響が大きくなっていってしまいかねません。

実際、たとえ気温が30度前半だったとしても、競馬場の馬場の上はもう灼熱ですから、それは倒れてしまっても不思議じゃないでしょう。問題が起こる前に、早急に対応策を講じていただければと思います。

さて、今週は『日刊競馬』のトラックマン・黒津紳一氏との対談の3回目となります。それではどうぞ。

西塚信人調教助手(以下、西)黒津さんは、そもそもなぜこの世界に入ろうと思ったのですか?

黒津紳一氏(以下、黒)競馬には興味があったのですよね。テレビでよく見るようになったのは、高校3年生ぐらいからかなぁ。

[西]馬でいうと、どのあたりですか?

[黒]その印象がないのですよ。よくオグリキャップや古くはハイセイコーに憧れてというような話が出ますが、自分の場合は覚えていないのですよ。高校3年生の時のダービー馬は?と言われても覚えていません。まあ、ダービーというもの自体、よく理解していなかったこともあるのでしょう。

[西]高校3年生の頃というと、ハイセイコーとかですか?

[黒]いや、そんな前じゃないよ(笑)。

[西]ミスターシービーとか?

[黒]それはもう少し後ですね。境の大テキ(境勝太郎元調教師)のところにいた、サクラの馬は印象にあります。ジャパンCに出走した1200mの馬がいたでしょう。

[西]サクラシンゲキです。

[黒]そうだ。サクラシンゲキが引退する頃だった記憶があります。ちょうど、その頃から競馬の体系が理解できてきたという感覚は残っています。ただ、鮮烈な記憶もありませんし、何となく競馬を見るようになったというのが正直なところです。


[西]「衝撃で稲妻が走った」というような人もいますよね。


[黒]走らない、走らない(笑)。

[西]大学に入ってから夢中になったわけですか?

[黒]夢中というほどではありませんが、土、日は競馬を見ていましたね。いまのようにグリーンチャンネルとかはありませんでしたが、横浜だったのでU局の放送がありましたし、競馬場に行ったりもしていました。

[西]そこから競馬新聞を目指すわけですね。

[黒]いまみたいに就職が大変だという感じではありませんでした。ちょうどバブル時期の最後あたりになるのかな。いわゆる売り手市場で、6月に内定が出て、入社する会社も決まっていました。

[西]えっ!? 他社から内定をもらっていて、そこから競馬新聞に入ったんですか?

[黒]確か、あの当時、専門紙の多くは、入社試験が秋とか冬だったはずです。9月とか11月という感じで、ウチもそうでした。

[西]大学3年生の秋ということですか?

[黒]いや、いや4年生よ。

[西]えっ!? マジですか?

[黒]そういう時代だったんですよ。

[西]それで合格したんですか。当然、内定が出ていたところは断ったということですよね?

[黒]そうです。当然のことですが、凄く怒られました。

[西]ちなみに、その会社はどこだったのですか?

[黒]某一部上場企業です。

[西]一部上場企業とは凄いですね。

[黒]いま思えば、そちらにお世話になっていた方が良かったんじゃないかと言われてしまいそうですよね(苦笑)。

[西]もしその一部上場企業にいっていたら、こうして一緒にお酒を飲んでいることもなかったわけですね(笑)。でも、もしトラックマンになっていなかったら、テレビにも出ていなかったでしょう。

[黒]いや、テレビに出ているからって、特別じゃないですからね。

[西]僕的には、黒津さんがテレビで出ているのを見て、喜んでいますよ。「この人、知っているんだよ」って友達とかに言いますし、出演中に電話したくなったりしますよ。

[黒]普段、仕事上の必要性もあり、基本的にはマナーモードにしているんですよ。そうすると、持っていることを忘れてしまって、本番中にマナーモードで着信したことがあります。腰の方でブルブルしてしまって。

[西]ハハハ(笑)。生放送は怖いですね。

[黒]怖いですよ。『お前、いまテレビに出ていたな』という留守電が入っていたのですが、電話に出られるわけがないですから(笑)。

[西]それは関係者ですか!?

[黒]厩務員さんでした。本番中ですから、出られるはずないんですけどね。

[西]でも、その気持ちは分かります。反応してくれるかと思いますよ(笑)。我々でも、パドックで馬を引いていて、忘れて携帯を持ってしまっていると、わざと電話をしてくる奴がいます。あとで、留守電を聞くと、『映っているぞ。電話出ろよ』というメッセージが入っているわけですよ。

[黒]厩務員さんとかでも、いま電話が掛かってきているんじゃないか、というような反応を見せる人が時々いますよね。

[西]そうですよね。慌てたように電源を切る姿を、また見たい、という奴もいました(笑)。そういうことはやめてほしいです(笑)。話を戻しますが、入社された頃って、どんな馬が活躍していたのですか?

[黒]これがまた、あまり記憶にないのですよ。なぜ記憶がないかと言いますと、入社1年目の秋から、G1レースの時期になると、秋の福島、春の新潟に出張していたからなんです。

[西]いまみたいに輸送競馬じゃなかったですからね。

[黒]ジャパンCの時に、福島から帰ってくるという感じでした。

[西]出張は楽しかったですか?

[黒]それはね、楽しいですよ。一旦行ったら、終わるまで帰りませんでしたね。

[西]いちばん良い時代でしたね。

[黒]でも、先輩たちに聞くと、少し落ち始めた頃らしいですよね。

[西]あ、そうなのですか。

[黒]先輩たちの話では、自分たちが入る前が本当に良かった時代だと言うんですよ。ただ、それでも十分でしたけどね。1年目にボーナスをもらった時、凄い会社に入ってしまったと思いましたから。

[西]そんなにたくさんもらえたんだぁ。

[黒]それが5~6年で、あっという間に、奈落の底に向かいましたけどね。

[西]ということは、一気に新聞が売れなくなったりした感じだったのですか?

[黒]一気ではなく、徐々にという感じでした。

今週はここまでとさせていただきます。

先週は、土曜日の中山1レースでロックドクトリンが勝ちまして、我が尾関厩舎にとって6勝目を挙げることができました。

調教を手伝っていただいている武士沢さんが騎乗しての勝利なのですが、実はその陰にはドラマがあったのですよね。詳細については、次回の対談で武士沢さんに登場していただく予定になっていますので、そこで話をしていただこうと思っています。

武士沢さんは、仕事ではフリーとなり、プライヴェートでは結婚をされて、お子さんが生まれたということで、3年前に出ていただいた時とは大きく変化しているはずですので、また面白い話が聞けると思っています。どうぞお楽しみに。

あっ、あと、最近、トレセンの方々にも言われるのですが、スマートフォンに機種を変更して、そのまま辞めてしまう方々がいらっしゃるようなのですが、スマホにも対応していてこのコラムも読めますので、ぜひ継続していただければと思います。

ということで、最後はいつも通り『あなたのワンクリックがこのコーナーの存続を決めるのです。どうかよろしくお願いいたします』。