ミヤビヘレネには何とも言えない悔しさが残りました
2011.9.29
先週、楽しみという話をさせていただいたミヤビヘレネが、日曜日の中山12レース(500万円下、ダート1200メートル)に出走して、2着に負けてしまいました。
休み明けという状況でプラス12kg(496kg)でしたが、成長分もあったのでしょう。ただ、どうしても調教だけでは補えない部分の余裕はあったと思います。
それでも、デキに関する手応えから、内心はイケるんじゃないかという思いだったのですよ。
勝った相手は降級組でしたし、こちらも1回競馬を経験したことで、次で決められればと思います。自分自身で特に力が入っていたこともありますが、何とも言えない悔しさが残りました。
さて、今週は、畠山さん(畠山雅之調教助手)との対談の3回目となります。それではどうぞ。
西塚信人調教助手(以下、西)他の人に言われると腹が立ちますが、自分たちで言い合うには問題ないと思うので話をさせていただきますと、“馬鹿息子”と称される調教師の二世たちの中で、雅之さんはその頂点に立っていらっしゃると思ってます。最近は後を継いで調教師になるよりも、調教助手として厩舎を支える方々が多いですよね?
畠山雅之調教助手(以下、畠)そうですね。厩舎に入って頑張っている人が多いですね。
[西]星野さん、境さん、対談にも出ていただいた池上さん。
[畠]谷原君もそうだし、父親の厩舎ではないところで頑張っている人たちもいますからね。
[西]他にもいらっしゃいますので、二世の人たちは結構いますよね。そのなかで、年代的に雅之さんより上の人はいますか?
[畠]一人、二人かな。あとは、調教師になっていますよね。
[西]いろいろな二世の方がいらっしゃいますし、優秀な方も多いのですが、そのなかで、年齢を重ねた後で馬に乗り始めたということで言えば、僕がいちばん遅いと思うんですよね。
[畠]いや、俺も遅かった。大学卒業してからですから。
[西]えっ、マジですか!?
[畠]ふざけるなと言われてしまうかもしれないけどね(笑)。
[西]僕の個人的なイメージとしては、雅之さんは、あまりエリート感を出していないけど、実はエリートだと思ってるんですよね。馬術が達者で、乗れる助手、という感覚があるんですよ。
[畠]いやいや、全然ですよ。大学を卒業して、美浦の乗馬苑で馬に乗り始めたのです。
[西]大学時代に馬術部じゃなかったのですか? 確か、獣医系の大学の出身でしたよね?
[畠]そうだけど、獣医学部じゃない学部もありますからね(笑)。
[西]高校時代は?
[畠]サッカー部です(笑)。
[西]まったくと言って良いほど勘違いしていました(笑)。高校時代から馬術部で活躍していて、そのまま大学へ進んでこの世界にいらっしゃるのだと思っていました。そうじゃないのは、僕と雅之さんぐらいじゃないですか?
[畠]そうかもしれないね(笑)。
[西]後の方々の多くは、子供の時から馬術の少年団に入って、高校、大学と頑張ってという感じですよね。
[畠]王道を歩んでいる人たちが多いですよね。
[西]獣医学部でもなければ、馬術部でもなかったんですね。いやぁ、全然エリートじゃなかったんですね(笑)。
[畠]そのあたりから、駄目息子ぶりを発揮してしまっているわけですよ。「大学へ行って何をやっていたんだ?」と言われてしまうタイプです(笑)。
[西]うははは、僕もそうです(笑)。雅之さんは何をしていたのですか?
[畠]研究室でハムを造っていました。
[西]えっ!? 専門がハムだったのですか?
[畠]環境畜産という分野で、研究室は乳生産利用学でした。豚を解体して、ベーコンやハムを造ったりしていたのですよ。
[西]いま、「ベーコンを造ってください」と言ったら、造れますか?
[畠]いや、忘れてしまいました(笑)。
[西]うははは、完璧に僕と同じじゃないですか(笑)。もしかして、パチンコはやるは、たばこは吸うは、酒は飲むは、さらには女の子と遊ぶはという感じですか?
[畠]その通り(笑)。
[西]僕と同じダメ学生路線じゃないですか(笑)。
[畠]地方で育ったものだから、大学生になって、とにかく定期が持ちたくてね。最初、ひとり暮らしをさせてもらえなくて、親戚のウチから通うことになったのですが、バスと私鉄、それとJRの3枚の定期を持つことができて、嬉しかったことを覚えています。
[西]大人になった気分になりませんでしたか?
[畠]そうかもしれない。でも、すぐに定期を使う生活をやめました。
[西]どうやって通ったのですか?
[畠]バイクですよ(笑)。定期を使う生活も最初は楽しかったのですが、そのうちバイクの方が良くなってしまったわけです。
[西]言葉は悪いですが、ぐうたらでいらっしゃったのですね。僕もそうでした(笑)。
[畠]正直に言うと、舐めていた部分もありましたよね。すぐに馬に乗れるようになるだろうという思いがありました。
[西]僕もまったく同じです。
[畠]幼い頃からあの環境で育ってきて、誰でも馬に乗っている姿を見ていましたので、走っている馬は別として、馬に乗ることぐらいは簡単だと思ってしまっていたんですよね。
[西]僕も同じです。誰でも乗っている姿を見ているわけですから、そんなに難しくないだろうって考えてしまいますよ。
[畠]いまだから言えますが、甘かったなぁ(苦笑)。
[西]本当ですよね。
[畠]でも、馬に乗り始めたのが遅かったこともあって、馬乗りに関して、人にモノを言ったことはありません。ノブにも言ったことはないよね?
[西]ないです。
[畠]経験がないわけだし、分からないことも多いから、ある意味当然だと思うけど。
[西]いや、本当にそう思いますよ。馬乗りに関して言えば、たくさん経験があって、上手い人たちがたくさんいますからね。それにしても、(親である)畠山先生からは、『馬の世界を目指すなら、乗馬をやりなさい』とか言われなかったのですか?
[畠]基本的には何も言われなかったですね。ただ、大学へ進学する時に、サッカーの推薦で受験ができる状況だったのですが、『それで競馬場に入るつもりか?』と言われたことがありました。それもそうだな、と思いましたけどね(笑)。
[西]その時に、競馬場に入ろう(競馬の世界で働こう)とは、おぼろげながらでも思っていたのですか?
[畠]極端な言い方をすれば、この世界しか知らないわけですよね。逆に言えば、何か行きたい世界があったわけではないのです。そういう意味では、甘いんですよ。
[西]僕自身も、結局のところ馬の世界に入ることになるのなら、それまでにいろいろなことをやっていこうという思いでしたね。雅之さんなら、こういう思いは分かってくれますよね?
[畠]言いたいことは分かる。
[西]この世界に入ったら、そこからは極端な言い方をすれば馬漬けの生活になってしまうわけですよ。そこまでにいろいろやっていないと、本当に馬の世界しか知らない人間になってしまうと思いました。
[畠]他の人たちはどう思うか分かりませんけれど、僕もそれは大切なことだと思っています。
[西]誤解を恐れずに言えば、二世と馬鹿にされるのは、そういう部分があるからだと思うのですよ。
[畠]そういう面はあると思う。
今週はここまでとさせていただきます。
新聞等で報道されているので、ご存じのこととは思いますが、河野通文調教師が26日、調教師免許を取り消されると発表がありました。
僕自身もニュースで事実を知ったのですが、父親の後輩であり、西塚厩舎が解散した時にいわゆる「河野厩舎B」となり、お世話になりました。ニュースを聞いた時には、ただただ残念という言葉しか思い付きませんでした。
厩舎解散後は、挨拶をさせていただく程度で、直接話をする機会もなかったのですが、小さい頃から西塚厩舎が苦しい時に、シルクヒーローをはじめとして馬、または馬主さんを紹介していただき、本当に助けていただきました。
先生はどう思っていらっしゃるか分かりませんが、競馬の世界で言う一門ということで言えば、同じ一門になりますし、もし僕が調教師になったら、僕にとっては兄弟子ということになるのです。
ウチの親父とは、大学時代からの先輩後輩という間柄でしたが、同業者となったことで、ふたりにしか分からない感覚もあったのかもしれません。
僕にとっては、子供の頃から家によくいて、遊んでくれていたおじさんというイメージで、父親と一緒にウチで調教師試験の勉強をしていたり、一緒にホタルの観察に連れていってもらった時のことを思い出します。
そのような存在でしたからこそ、競馬が終わって一緒にご飯を食べたりということはありませんでしたが、厩舎に入って倒産しそうな時、真っ先に「助けてください」とお願いに行ったのでしょう。
とにかく、僕自身にとって今回の出来事は残念でしかならないというのが本心です。
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