青木騎手にオーストラリアでのタフな体験を話してもらいました
2011.11.3
先週、1歳馬にとっては最後となるオータムセールが北海道静内市場で行われました。
最近、特に意識をして各セールの結果を見ているのですが、個人的には、売却率の低下が言われるなかでも、高い値段が付く馬たちが多いように感じるんですよね。
今回のオータムセールは、1年の中では最後のセールということで低価格のイメージもあるかもしれませんが、1000万円を超える価格で落札される馬たちもいましたし、決して低価格という感覚は覚えませんでした。
話は変わりますが、セールを見ていると、子供の頃に父親に連れられてアメ横に行った時のことを思い出すんですよね。店頭に並んでいたマツタケを見て、親父が『いいか、信人。1周して帰ってきたら、このマツタケが5000円から3000円になっているぞ』と言われたのです。何が言いたいかと言いますと、値段というものは買うタイミングによって変わる可能性があるということです。
インターネットオークションなどもそうですが、状況によって動向は変化するものですよね。ちなみに、マツタケは1周しても値段は変わりませんでしたけど(笑)。
さて、今週は青木さんとの対談の3回目になります。それではどうぞ。
西塚信人調教助手(以下、西)イタリアから戻った後は日本でしばらく頑張って、その後、またどこかに行かれましたよね?
青木芳之騎手(以下、青)オーストラリアですね。
[西]オーストラリアはどれくらいいましたか?
[青]1年半くらいですね。藤沢厩舎に来ていたD・オリヴァーがきっかけだったんですが、行く1ヶ月前にダミアン(オリヴァー)が首の骨を骨折する重症を負ってしまったのです。ケガをしてしばらくしてから会えたのですが、それでも頭に穴を開けて首を固定されていて、全く身動きが取れないような感じでした。
[西]それでは、つてがなくなってしまう感じだったのでしょうね。
[青]僕自身、当てにしていた部分は正直大きかったです。オーストラリアは、トレセンがある日本と違って、厩舎がいろいろな所に点在しているのですよ。調教もそれぞれに行っているので、厩舎の人たちと知り合うことさえ簡単じゃないような状況なのです。
[西]日本では、調教中に厩舎の人たちといろいろなコンタクトがありますからね。
[青]一応、D・オブライエン厩舎を紹介してもらったのです。そこで日本人スタッフたちと知り合うことができました。ただ、やはり競馬には乗せてくれませんでした。そうしているうちに、S・リチャードというスタッフが全員日本人という厩舎と知り合いになって、そこは16頭という小さい厩舎ながら、2人のライダーでやり繰りしていたので、人手が足りない状況でした。S・リチャード調教師も、『日本人は真面目だから』と受け入れてくれて、そこでボノという馬で2戦目に勝つことができたのです。
[西]オーストラリアではかなり勝ち星を挙げているイメージがあるのですよ。
[青]勝ち星は挙げることはできましたが、騎手としては本当に大変でした。
[西]どういうことですか?
[青]競馬に向かうのに、毎日400キロくらいを運転して移動するのが当たり前という環境なのです。滞在していたヴィクトリア州だけで、65ヶ所も競馬場があって、それこそ365日、どこかで競馬が行われているわけですよ。
[西]広大ですからね(笑)。
[青]その通り(笑)。ただ、騎手としては1鞍や2鞍だとしても断るわけにはいかないですからね。それでも、騎乗料が良いので、ガソリン代くらいにはなるので、赤字にはなりませんでした。
[西]いくらなのですか?
[青]当時のレートで日本円で1万7000円くらいでした。
[西]それだけあれば、独身なら何とかなる感じですね。
[青]燃費の良い小さい車を購入して、自分で運転していろいろな所に乗りに行きました。
[西]日本とは交通事情も違うからできるという部分もあるのでしょうが、400キロと言えば美浦から新潟以上ですからね。こういう言い方をしたら失礼ですが、よく1年半も頑張りましたよ。15勝くらいしているのですから、凄いですよ。
[青]でも、後半は苦しみましたよ。ジュヴェナイルという凄く良い馬に乗せてもたったのです。あちらでは、競馬が行われる街でお祭りがあって、開催日がお祭りに当たると賞金が高くなるのです。キルモンC、ベンリゴCとフェスティバル開催に勝って、フレミントンという大きいレースしかやらない競馬場で準重賞を勝って、3戦3勝となったのですよ。しかし、4戦目に負けてしまうと乗り替わりとなってしまいました。それだけでなく、他の馬たちも乗せてもらえなくなってしまい、新たな厩舎を求めて移動を余儀なくされたということもあったのです。
[西]壮絶な感じがしますね。
[青]なかなか思うようにはいきませんでした。10勝くらいまではスムーズだったのですが、そこからが苦しかったですね。乗せてあげると言われて何百キロも移動して行くと、1日10頭の調教に乗るだけで、競馬はダメということは当たり前の話でした。
[西]それでもめげることなく頑張ったのですから、凄いですよ。
[青]でも、最後にJ・サイモンさんという素晴らしい人に出会えたのですよ。50馬房あって、コースから坂路に入っていけるようになっていて、登っていくとそこがまたコースになっている馬場など、プライヴェートで素晴らしい施設を所有していました。
[西]美浦みたく、ゴールしたあと下り坂になっていて、必死に止めなくてもいいわけですね。
[青]そう、そう(笑)。登り終わると、そのままコースを流すことができるわけですよ。
[西]それを個人で所有しているというのはスケールが大きいですね。
[青]施設ばかりでなく、人も信用できて、本当に素晴らしい環境でした。結局、そこで3ヶ月お世話になって、5勝することができたのです。
[西]そのままオーストラリアにいようとか思いませんでしたか?
[青]永住権の申請も考えたのですが、JRAの方から『まずは帰国してからにしろ』と怒られてしまいました。
[西]うははは(笑)。ダメなんですか。いや、ダメですよね。JRA所属なのですから。
[青]そういうことです。ただ、永住権も取れたのですが、申請すると2ヶ月間、オーストラリアから出国することが認めらないということもあって、日本で頑張ることを決めて、帰国したのです。
今週はここまでとさせていただきます。
話は変わりますが、先週の天皇賞について話をさせていただこうかと思います。個人的には、久々に昔ながらのG1を見たという思いがしました。
各馬の動きについては賛否両論あるのでしょうが、各馬がそれぞれの思惑と特徴を発揮しようとした結果ということでしょう。
ペースが速いと言うかもしれませんが、逃げたい馬もいれば、それを逃したくない馬もいて、勝ちにいって捕まえに行って止まったという馬もいるわけです。
タラレバは禁物ですが、捕まえに行かなかったら、前が粘る形になったかもしれませんし、道中でペースが落ち着くことになったかもしれません。あくまで、ペースというのは各馬がそれぞれの思惑で動く結果ということだと思います。
それにしても、最近はスローペースで流れて瞬発力勝負というレースが増えているなかで、地力勝負という競馬は、それはそれで競馬の醍醐味のひとつなのではないでしょうか。久しぶりに前と後ろがガラッと入れ替わる競馬を見た気がします。
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