今回から松岡騎手をゲストに迎えて対談します!
2013.5.23
松岡正海騎手…以下
[松]西塚信人調教助手…以下
[西][西]遂にこの日が来ました! 今回のゲストは松岡正海騎手です。よろしくお願いいたします。
[松]本当ですね。ようやくですよ、ようやく(笑)。
[西]またこんなタイミングですいません。
[松]えっ、どういうこと?
[西]騎乗停止明けじゃないですか。
[松]良いときでしょう。
[西]調子が良いときは取材も多かったりして忙しいから。
[松]そんなことはないよ。ところでどんな話をするのかでしょう(笑)。
[西]いや、考えたんだけどさ、何について話をしようかね。普段、バンドなどでも話す機会が多いんだけど、昔の話ってほとんど聞いた記憶がないんだよ。そのあたりからいきましょうか。それこそなぜ騎手になろうと思ったのかとか、野球をやっていたとか、そういうレベルの話を聞いたことがないんだよ。
[松]なるほどね。確かに、言われてみれば、そういう話はしないね。
[西]しないよね。そもそもなぜ騎手になろうと思ったの?
[松]その質問はね、たくさん聞かれ過ぎて、毎回違う答えを言っているんですよ。
[二人](笑)
[西]じゃあ、ここで本当のことをブッチャけてください。
[松]物心ついたときから競馬を見ていたんですよ。小学校2年生くらいからもう鮮明に記憶に残っている。
[西]どんな馬が走っていたの。
[松]ステージチャンプ、ライスシャワー、金杯でヒダカハヤト(94年金杯・東1着)かな。
[西]大塚栄三郎騎手ですね。
[松]実は、そこで騎手を言われてもイメージがないんだよね。
[西]カネツクロスも知っていたりするの?
[松]知っている、知っている。完全に世代ですよ。
[西](笑)。ナリタブライアンとかだね。
[松]そんな感じですよ。
[西]お父さんとかが競馬好きだったんだ。
[松]馬券はあまり買う方じゃなかったけど、競馬をよく観ていて、一緒にテレビを見ていた。
[西]憧れた騎手はいたの?
[松]それがいなかったんだよね。「俺ならば、こうやって乗るのに」とか思っていた。
[西]小2からそんなこと思っていたんだ(笑)。でも、野球をやっていたわけだよね。そちらでプロということは考えなかったの。
[松]小学校4年生のときには、野球でプロは無理と思っていた。
[西]でも上手だったんでしょう。
[松](川崎)市の選抜チームに入った程度ですよ。
[西]中学校でも野球部だったの。
[松]そうだけど、その時点ではもう騎手になろうと決めていた。
[西]迷ったりしなかったわけだ。
[松]全くなかった。もう騎手になるものだと思っていたからね。
[西]あの当時は、受験生も多く、狭き門だったよね。これじゃ、なんか盛り上がらないね。うははは。
[松]盛り上がんないよ(笑)。
[西]憧れて騎手をというパターンが多いけどね。
[松]騎手ではなく馬だった。好きな馬は一杯いたよ。
[西]マニアックなところで言えば。
[松]エイユーギャルとか懐かしいね。
[西]ほい、知らねえよ(笑)。誰が乗っていたの。
[松]四位さんが乗っていて、確か紅梅賞(95年)を勝っていたはず。世代的にはワンダーパフュームあたりだった。
[西]なんで好きだったの。
[松]恐らく、「桜花賞で来るんじゃないか」と自分で思っていた存在だったんだと思う。あとは、渋いところではギガトンね。
[西]いた、いた。それは覚えている。山内厩舎だった。
[松]あとは、マヤノトップガンが好きだった。それ以外ではロックオブジブラルタルかな、印象に残っているのは。
[西]その頃から、俺だったらこう乗る、とか思っていたわけだ。
[松]そう。それがなかなか上手くいかないんだわ(笑)。
[西]なんでトップガンが好きだったの?
[松]何と言えば良いのかなぁ。競馬の理論とか、基礎というような感じなんですよね。逃げても、差しても同じ時計で走ることができるんですよ。唯一、それができると思わせられた存在だった。逃げても、差しても同じパフォーマンスができた。
[西]確かに、逃げても、差してもG1を制したからね。
[松]そういう馬って、なかなかいない。競馬が変化してしまったこともあるし、あのような馬は今後現れてこないと思う。
[西]騎乗に関して、いろいろ指示も出るというようなことも関係あるのかな。
[松]控えて良い競馬をしていたら、「控えて」という指示が出ることが多いし、行って結果が出ている馬を敢えて後ろから競馬をすることは、いまはまず許されない。
[西]臨機応変に、という雰囲気は確実に減っているよね。
[松]また、あのくらい馬を上手につくることもできないとも思うんだよね。
[西]あのような馬というのは、騎手がそうしたのか、調教でそうなるようにつくっていったのか、それとも馬の才能なのか、またはそれ以外の要因があったのか。
[松]競馬のなかで、つくりあげたんだと思う。
[西]これまで乗ってきた馬のなかで、そうなるんじゃないかと思わせられた存在とかっているの?
[松]うーん、いないなぁ。後ろから行ったら、あれだけキレて。春の天皇賞は、ほぼ絶望的なところか来た。だけど逃げても勝つ。あんな馬はなかなかいない。
[西]そりゃ、そうだよ(笑)。だからスーパーホースなんだからね。
[松]騎手をやっていくにつれて、その凄さを改めて知るというか、実感するし、難しさを知った。あんな馬つくれないよ。
[西]好位から抜け出すというレースもしていたし、本当に変幻自在という感じだった。でも、逃げて、差して、追い込んでというようなレースをする、しかもG1という舞台でというのは確かに怖いし、無理だよね。
[松]調教師の先生たちが、逃げて勝った馬にいきなり追い込んでいけとか、またその逆とか、そういう指示を出すことはまずないからね。
[西]いや、出すことはできないと思うよ。それで負けたら自分の責任になってしまうわけで、それを考えたら冒険以外の何ものでもないし、リスクがありすぎると考える。状況というか、時代背景がつくり出したということもあるのかもしれないね。
[松]そういう時代背景というのはあるよね。
[西]こういう言い方をすると語弊があるかもしれないけど、そういう時代の競馬って楽しかったりしたよね。
[松]いろいろな競馬があったし、だからこそ楽しかったと思う。
[西]もしいまの時代、同じような雰囲気だったら第二のトップガンが出てくると思う?
[松]もちろん。むしろいまの方が馬のレベルは上がっているわけで、よりそういう馬が出てくる可能性は高いだろうね。
[西]確かに、ダートと芝、さまざまな距離でG1を勝っている馬はいるけど、逃げて、好位から、あるいは追い込んでというような様々なレースぶりでG1を勝った馬というのは記憶にないなぁ。
[松]好きにならずにいられないという感じだったね。
[西]いまの時代は難しいだろうね。
[松]いや、勝ったって怒られる可能性さえあると思う。
[西]トップガンで言えば、G1で、しかも人気になっているという状況だったわけだから。
[松]たとえ、好きに乗ってこいと言われたとしても、逃げてG1を勝っているのに、控えていくには勇気が必要ですよ。決して簡単じゃない。
[西]同じ騎手として、控えて行っても大丈夫という判断ができたと思う。
[松]使える脚をしっかりと掴んでいるんだろうね。
(来週に続く)
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