騎手たちは、馬の能力を最大限発揮することを目指している
2014.4.10
ここ最近、ベテラン騎手の方々が目覚ましい活躍をしています。皆さんも、そう感じていらっしゃる方々も多いのではないでしょうか。
キズナで
大阪杯を制した
武豊騎手のレースぶりは、先週ですので記憶に新しいと思います。マスコミを含めて、豊さんが仕掛けたタイミングについて
「エピファネイアに対して脚を測っていた」というような評論を見かけました。
また、
中山記念の
ジャスタウェイ、
京都記念の
デスペラードでの(横山)ノリさんの騎乗ぶりにも賞賛の声が聞かれてきます。特に
京都記念に関しては
「絶妙な逃げ」という言葉をみかけました。
もちろん、そういう見方もあるのでしょうし、そうやって様々な意見が交わされるのは良いことだと思います。
そこで僕も意見を言わせていただきたいのです。ノリさんをはじめとするトップジョッキーの方々と一緒に仕事をし、話をしていて感じさせられるのは、
話はすべて馬を中心にされているということなんです。
「この馬はいま」、「この馬にとっては」、「この馬自身」というように、騎手の方たちは自分自身が騎乗する馬のことだけを考えていると感じるんです。
もちろん、相手がいて、この馬が行って、この馬が番手でというようなことも考えてはいらっしゃるのでしょう。
ただ、それよりもその馬にとって、その時の状況のなかで一番能力を発揮させるためにはどうしたら良いのかということが、何よりも優先されていると思うんです。
だからこそ、
京都記念の
デスペラードのようなレースとなるのでしょうし、豊さんも
キズナにとってあの状況の中で一番良い方法を考えた結果として、あのタイミングで仕掛けたんじゃないかと思うわけですよ。
それができるかどうかということは、それこそ経験値にもよったりするものなんじゃないかとも思ったりします。
私の友人である松岡正海騎手の名言なのですが、
「他の馬を気にしていては、G1は勝てない」と言っていました。
これは、その馬のベストパフォーマンスに徹することができなければ勝てないということなのです。それだけ力が高いレベルで拮抗しているからこそ、能力をより多く発揮できるかどうかが勝敗を分けるということなのでしょうね。
逆に言うと、馬場や相手云々と言っているようでは、G1では厳しいということなのです。なるほどなぁと思いますし、その言葉によってノリさんや豊さんの騎乗にも納得がいくんです。
ノリさんに乗ってもらった際などに話していて感じるのは、ベストパフォーマンスを引き出すために、ということを突き詰めているんだろうな、ということです。
本当はそういう深い部分について、ノリさんとか豊さんと同じようなレベルで活躍された騎手の方々が解説していただけると良いのになぁと思ったりします。
良くノリさんについて“追わない”という声がありますが、僕からすると、そこには追わない理由があるはずなんです。
走らないから追わないという単純なものではないはずです。少なくとも一緒に仕事をして、話をしているとそう思います。馬との対話、馬から伝わる感覚がそうさせているのですよ。
騎手である以上、勝ちたいですし、少しでも上の着順を狙っているはずです。ただ、そうさせない何かが馬にある。だから、ステッキを使って追うことをしない。
本当はそれを我々も把握できなければなりませんし、もっと言えばそういう状態でレースに送り出すことは恥ずかしいとさえ思うべきだと、僕自身は思います。
わからないならば聞くべきだし、ノリさんは聞けば教えてくれます。
馬を調教して、より良い方向を目指すということはそういうことの積み重ねだと最近痛感しています。
いよいよ本番を迎える春のG1シリーズですが、ベテラン騎手の方々から目が離せないかもしれませんね。
※次回の対談は柴田未崎騎手を予定しています。西塚助手への質問、「指令」も募集中。競馬に関する質問、素朴な疑問をお送り下さい!
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