調教助手として過ごした3年間は、まったく無駄ではなかった
2014.5.1
柴田未崎騎手…以下
[柴]西塚信人調教助手…以下
[西][西]大知君の活躍について話が戻るんですが、どのあたりで意識し始めたんですか? 例えば、
マイネルホウオウで
NHKマイルCを勝ったときとか、いろいろなタイミングがあったと思います。
[柴]あの時は、ウチの厩舎の馬も出走していて(
ガイヤースヴェルトと
ゴットフリート)、臨場に行っていたんです。勝って良かったとは思いましたが、どこかで何となく複雑というか、俺も…という思いがありました。
[西]確か、未崎ちゃんのコメントも載ってましたよね。
[柴]あとは、ウチの奥さんに「やれるのならば、もう1度頑張ってみたら?」と言ってもらえたのは大きかったですね。
[西]もう1回受験しようと思ったときは、大知君に相談したりしたんですか?
[柴]全くしていません。
[西]あ、そうなんだ。僕なんかも、試験間際になって知ることになったというのが実際の話ですが、誰にも相談はしなかったんですか?
[柴]基本的には、斎藤(誠)先生に受けても良いですか、と聞いただけでした。
[西]ミルファームの清水社長に『未崎が受けて、受かるから、斎藤厩舎(の助手)空くぞ』って言われたんだよね。
[二人](笑)
[西]じゃあ、俺たちが知るくらいまで大知君も知らない感じだったんだ。
[柴]そうですね。
[西]なんで相談しなかったの? 仲は良いよね。
[柴]そうですね。ただ、会う機会が少なくなっていたんですよ。厩舎に大知が来ることも少ないですし、競馬場に臨場に行くことも多くはなくて、話す機会が少なかったということが一番の理由ですね。
[西]普段一緒に食事に行ったりしないの?
[柴]ほとんどないですね。しかも、騎手と調教助手になってしまったので、余計にそういう機会がなくなっていました。いまは、ちょいちょいあるかなぁという感じですけど、それまでは一緒にどこかに行くということはまずありませんでした。意外と、兄弟で近くにいても、接点がないと会わなくなるんだぁと思いました。
[西]障害騎手たちの間では、柴田兄弟の仲の良さについて伝説があるんですよ。例えば、京都で障害のオープンがあったとします。そのときに騎手の方々はだいたい同じような行動を取ることになると思いますが、中でも柴田兄弟はいつも一緒で、風呂入るのも、食事をするのも一緒だと聞いたことがあります。
[柴]そんな感じでしたね。感覚が似ているところがあって、競馬についても、その馬にどう乗った方が良いかという話をすると、だいたい的確な答えが返ってきたります。
[西]そうなんだ。
[柴]こういう風に乗った方が良かったというような話をしたときに、だいたい意見が一致します。
[西]障害に関しては、未崎ちゃんの方が先に乗っていましたよね。大知君から相談を受けたりしたんですか。
[柴]そうですね。相談もしやすいでしょうし、話というか、感覚も合うというのは大きいと思います。ただ、助手と騎手となって話をする機会がなくなって、何となく寂しいなぁとは思っていました。
[西]また、大知君の活躍が凄まじいですからね。こういう言い方は適切ではないかもしれませんが、もう無理だろうという状況からの復活ですよ。大知君が勝てなかった時期というのは、失礼ですが未崎ちゃんと成績的に大差なかったと言えると思います。そこで、未崎ちゃんは助手への転向を決め、一方の大知君は粘って、粘って、そしてチャンスを掴み、登っていったわけです。未崎ちゃんが辞めると決めた理由は何かあったんですか?
[柴]結婚をして、やはり家族のことを考えたとき、安定を求めたという部分が大きかったです。
[西]なるほど。
[柴]あと、ちょうどあの時は、給与体系が変更されるところだったんです。騎手から助手に転向するとき、騎手としての期間を換算せず、競馬学校を出たばかりの扱いとなるということになったんです。そこで斎藤先生から声をかけていただいて、それならば、と決めたんです。
[西]そうだ、あの変更の時期だったんですね。でも、そのときにまだ乗りたいという思いはありましたか?
[柴]辞めるタイミングが遅いか早いかだけ、と思っていたんですが、辞めた直後に大知が
中山グランドジャンプを勝ったんです(2011年)。
[西]そしたら、俺も騎手で頑張っていれば良かった、と思ったんですか?
[柴]いや、その時は正直思っていませんでした。ただ、そこから大知が勝ち星を伸ばしていく姿をみて、やはり競馬に乗っていたいという思いが徐々に強くなっていきました。
[西]助手は2年くらいやってた?
[柴]3年です。
[西]どうでしたか。
[柴]本当に知らなかったことが多くて、助手になっていろいろな経験をしてたくさん勉強させてもらいました。上手く言えないですが、無駄だったとは全く思っていません、ということはだけは言えます。
[西]やってみると助手も楽ではないですよね(笑)
[柴]いや大変ですよ。そうやって頑張ってくれる人たちがいるから、騎手が競馬で頑張れると実感することができました。騎手としてわかっていると思ったんですが、実際に自分でその立場になってわかったことがたくさんあります。
[西]未崎ちゃんは所属になったときもありましたが、時間通りに行って騎手として調教を手伝うのと、助手として調教師との間に入ったりして厩舎のなかで動くというのではやはり違うものでしょうね。
[柴]正直、助手は大変だと実感します。騎手を10年以上やっていたのに、知らないことがたくさんありました。助手として過ごした3年間は本当に勉強になりました。
[西]ブッチャけて聞きますけど、調教助手と騎手との違いで、一番辛いと思ったところはどこでしたか。
[柴]そうですね…。強いて挙げさせてもらえるならば、評価をされ難いところですかね。
[西]あ、なるほどね。
[柴]試行錯誤しながら、一生懸命に調教して結果を出したとしても、評価され難いのが実際のところでしょう。
[西]そうだね。やって当たり前という雰囲気というか、そういう見方をされがちかもしれません。
[柴]やはり、結果が出たときに評価をされやすいのは、騎手であって、調教師であることがとても多いと感じます。
[西]正直、言われるまで気がつきませんでした。そういう感覚というか、そういう風に思ったことはありませんでしたね。でも、それは未崎ちゃんが騎手という立場にいたから、そう感じることができるのかもしれないね。
[柴]それはあると思います。助手として、手応えを感じて送り出して、実際に走ってくれたときは本当に嬉しいんですよ。それは騎手とは違った喜びであり、嬉しさなのはまた間違いありません。
[西]どちらにも良さがあって、苦労があるということなんだけどね(笑)。
[柴]もちろん騎手は、負ければ責任を求められる立場にあるわけで、プレッシャーをはじめ様々な苦労があります。
[西]その両方を知っているというのは大きな武器だし、財産だと思います。
[柴]僕自身もそう思っています。
[西]騎手と助手で感覚が違うのは当たり前だったりするよね。
[柴]レースに乗っていて、調教に乗るのと、調教だけというのでは感覚が違うはずですよ。
[西]そこは聞きたいんですよ。自分は調教助手として乗っていて馬を送り出す立場だけど、未崎ちゃんは仕上げるときに騎手としてやっていたときの感覚があって、それが基準となったりするわけですよね。
[柴]そこなんですよ。そこが鈍くなっていきます。騎手をやっていたときは、調教からそのままレースでも乗るわけですが、「あ、このままでは駄目だ」という感覚的冴えがあります。それがレースに乗っていないと鈍っていきますね。
[西]助手をやっていても、今回良い、あるいは悪いというのは感じながら乗っているわけですよね。
[柴]もちろんわかっているんですけど、その感覚が鈍っていくんです。今回復帰して改めてそう思いました。
[西]復帰してからの方がそういう感覚が鋭くなったというような意識はあるの?
[柴]ありますね。馬の動きに敏感になるような感覚があります。
[西]やはり、違うんだろうね。
[柴]レースに乗っていないとわからない感覚みたいなものはあると思います。
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