独自視点で穴馬推奨!競馬予想支援情報【サラブレモバイル】

サラブレモバイル

メニュー

ログイン


今回のゲストはデビュー4年目の若武者・杉原騎手です!
2014.9.12
✉️応援、質問メッセージを送る

杉原誠人騎手…以下[杉]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]今回は杉原誠人騎手をお迎えいたしました。お忙しいところありがとうございます。

[杉]よろしくお願いいたします。


[西]いきなりですけど、所属である藤沢和雄厩舎以外で、初めて調教を手伝った厩舎って覚えていますか(笑)?

[杉]凄く覚えています。これだけは忘れないです(笑)。

[西]言ってみてください(笑)。

[杉]尾関厩舎です。

[西]誰に誘われたんですか(笑)?

[杉]西塚信人さんという調教助手さんです。

[西][杉](爆笑)

[西]そうなんですよね(笑)。尾関先生が藤沢先生のところで研修していたということもあるんですが、杉原が自厩舎の攻め馬のみでやってきたところ、デビュー1ヶ月前くらいの頃に“他の厩舎の攻め馬をしても良いことになった”という話が聞こえてきたんです。そこでウチの先生に「藤沢先生のところの新人が、まだどこの厩舎も手伝ったことがないらしいので、どうですか」と話をしたんですよ。そうしたら「空いているときには手伝ってもらおう」ということになり、厩舎に来るように誘ったのが最初だったよね。

[杉]本当に感謝しています。

[西]杉原のいまの活躍の一歩目は俺なんだよね。なんてね(笑)。

[杉]いや、でも本当にそうですよ。ひょっとしたら、あの一声がなかったらウチの厩舎以外乗っていなかったかもしれません(笑)。

[西]実は、あなたの先輩の塚田騎手も同じようなことがあったんです。藤沢厩舎というのは、いわゆる良い時間に組まれることが多くて、なかなか他の厩舎を手伝い難かったりするんだよね。

[杉]そうなんですよ。時間が合わないんですよね。

[西]いま戸田厩舎を手伝っているけど、時間がズレているから大丈夫だったりするんだよね。

[杉]調整できるんですよね。

[西]塚田君にも北海道で随分と手伝ってもらったんだよね。手伝いたいけどなかなか時間が合わなくて、と聞いて、ウチで良かったらお願いできますか、ということになったんだ。

[杉]そういう経緯があったんですね。兄弟弟子でお世話になっているんですね。

[西]しかも、当時は青木さんもレギュラーで手伝っていただいていたんですよ。不思議な縁ですね。

[杉]あっ、そうですね。

[西]青木さんはね、ウチの誠人(杉原)をよろしくお願いします、って、ウチのスタッフたちに言っていたんだよ。

[杉]本当に感謝しています。人に恵まれていると思っていますし、だからこそもっと頑張らないと思うんですよね。

[西]最近は回数が減ってしまっていますが、またよろしくお願いしますよ。

[杉]こちらこそ、よろしくお願いします。尾関厩舎と言えばレッドシュナイトですよ。

[西]あれ、レッドシュナイトって乗ったことある?

[杉]北海道で調教に乗せてもらっていました。70-40で一杯になってしまうから、と言われて乗ったんですよ。

[西]本当にその通りだったでしょう?

[杉]競馬では動けるんですけど、調教では本当にそんな感じでした。なんで良く覚えているかと言いますと、僕が調教で一杯に追ったのは、あの馬が初めての経験だったんです。

[西]あっ、そうだったの。

[杉]ウチは馬なり調教なので、コースでバシバシ追って来るように言われたのはあの馬が初めてでした。

[西]良い経験をしていたんですね。本当に西塚さんには感謝だね。

[杉]その通りです。

[西][杉]ははは。

[西]冗談ではなく、戸惑っている感じを受けたんだよね。同期の高嶋とかは、他の厩舎を良く手伝っていて顔を知られていたのに、杉原は何原かわからないという感じで、凄く知名度に差があったよね。少しでも力になれればなと思って声をかけたんだよ。

[杉]本当です。杉浦って呼ばれたりしていました。

[西]自分でもどうして良いかわからない感覚ってあったんじゃないの?

[杉]当時、ウチの先生から、技術的にもまだ他の厩舎を手伝わない方が良い、とも言われていたんです。

[西]手伝ってもらうことになって挨拶をさせてもらったときに、そんな話は藤沢厩舎の助手の人たちからも言われていたんだよね。まだまだ甘いというような話をされたんだけど、全然甘くなかった。俺的には、全然上手なんだけど、と思ったんだよ。そんなに、だったの?

[杉]競馬学校当時は酷かったですね。

[西]凄い言われようだったと思ったよ。でも、藤沢厩舎はそういう感じで、評価が厳しいと聞いたことがある。塚田君は評価が高かったけど、あの北村(宏司)さんでもいろいろ言われたと聞いたよ。

[杉]北村先輩には「お前は調教から乗せてもらっている方だよ」と言われましたし、青木先輩は乗せてもらえず馬場で見ていたと聞きました。

[西]藤沢先生、厳しいね。ただね、デビュー前の段階で、嶋田、高嶋、(横山)和生、そして杉原と4人同期がいたわけだけど、誰がどう上手いかと言われれば、そんなに大差はないというか、大雑把に俺の感覚で言うと、そこまでの差はないと思うんだよね。

[杉]でも、実際酷かったですよ。

[西]俺にはわからないんだよ。ごめん、俺にわかるように説明してくれるかな。時計が合わないの、あるいは持っていかれるの。何なの。

[杉]持っていかれてしまっていましたね。

[西]どれくらい持っていかれるの?

[杉]一度、15-15という指示だったのに、坂路で49秒になってしまったことがありました。追い切りより速いじゃねぇか、って怒られました。

[西]誰が乗っても引っ掛かる馬だったんじゃないの?

[杉]いえ、いえ。お前は引っ張っているように見えないと言われたんですけど、引っ張り方がわかりませんでした。

[西]でも、引っ張っていたんじゃないの。

[杉]僕自身としては、一生懸命引っ張っていました。でも、引っ張れていなかったんですよ。

[西]なるほどね。そうやって、藤沢厩舎の馬を乗っていて、やがてウチの厩舎や大江原先生を手伝い始めたわけだけど、違うと感じたりしたのかな?

[杉]その持っていかれてしまったのは、2年生で研修に来たときだったんです。一旦競馬学校に戻って、再びトレセンに来たときには少しはマシになったと、僕自身でも上手くなったと思いました。ウチの厩舎の馬もそれなりに乗ることができたんですよ。

[西]そうなんだ。でも、ウチの馬に乗っていて、杉原がそこまで酷く持っていかれている姿を見たことがない。だから、不思議なんだよね。杉原の技術ではなく、馬の差だったりするのかと思って聞いたんだよ。

[杉]競馬学校に入学した当初は本当に酷かったんですよ。信人さんに見てもらいたかったです。みたら、酷いと言うはずですから。黄色帽(新人1年目)になってからはマシになりましたが、赤白帽(競馬学校2年生)のときは本当に酷かった。

[西]でも、ウチを手伝い始めた当時は赤白帽だったよ。

[杉]それは卒業間際だった、赤白帽の最後の頃ですよ。これでは駄目だ、これじゃあ駄目だと思って、とにかく必死でした。

[西]逆に言えば、そういう状態でデビューしたわけだよね。他の厩舎を手伝いだしたのが、デビュー前1ヶ月もなくなったときで、藤沢厩舎の馬以外、騎乗依頼を受ける可能性は極めて少ないわけですよ。誰か減量で空いている奴はいないか的な依頼以外は見込めないわけです。

[杉]まさにそうです。実際、1週目は騎乗馬がいませんでした。

[西]あ、そうだったよね。それは覚えている。

[杉]次の週に東日本大震災が起きて、25日に小倉でデビューしたんです。関東の新人が小倉デビューというのはなかなかないですよね。

[西]阪神と小倉しかやっていなかったんだよね。中山の2週目直前の金曜日に地震が起きたんだ。

[杉]騎乗馬が決まって、ようやくデビューとなったんです。それで勝負服を厩舎に預かりに行こうとしたときに地震が起きたんですよ。

[西]どこの馬に乗る予定だったの?

[杉]大江原先生のところです。

[西]それがなくなって、小倉で騎乗したのはどこ?

[杉]小倉は自厩舎です。ウチの先生が用意してくれたんですけど、小倉に滞在して攻め馬をしていたんです。クルタナという馬で芝1200m戦でした。懐かしいなぁ。

[西]藤沢先生って、他の厩舎の新人は乗せたりするんだけど、自厩舎の新人には厳しかったりするみたいだよね。確か、嘉藤貴之が初勝利は藤沢厩舎だったと聞いたことがある。

[杉]そうみたいですよ。

[西]持っていれば勝てる馬を用意したぞと言われたら、本当にその通りだったらしいよ。

[杉]そうだったんですね。

[西]杉原騎手の初勝利はどこ?

[杉]高市先生のところ(11年5月14日、クリノトルネード)です。1年目からたくさん乗せていただきました。

[西]高市先生も、そういうチャンスが少ない騎手を起用するといいますか、騎手起用に関して情を感じさせられる先生ですよね。

[杉]そうですね。

※西塚助手への質問、「指令」も募集中。競馬に関する質問、素朴な疑問をお送り下さい!