【対談・杉原騎手④】強烈なインパクトを受けたレースは、ダイワメジャーの勝った天皇賞・秋です
2014.10.3
杉原誠人騎手…以下
[杉]西塚信人調教助手…以下
[西][西]話は変わるけど、杉原って、見習いのときに怪我したよね?
[杉]それこそ
コディーノのダービーの日ですよ。
[西]あ、そうだ。松岡に乗り替わったよね。
[杉]そうです。若手限定戦だったんですよ。
[西]思い出した(笑)。馬主さんとかが、
「若手のなかに、1人オジさんがいる」とか言っていたんだよ。杉原誠人というゼッケンに松岡さんが乗っていた。
[杉]しかも1番人気だったんですよ(※編注1)。
※編注1…昨年5月26日。杉原騎手は5Rのホープフルジョッキーズで1番人気のタイセイローマンに騎乗予定だったが、2Rで落馬負傷。タイセイローマンは松岡騎手に乗り替わって2着。[西]松岡さんも
「これは負けられない」と意気込んでいたんですよ。そしたら負けてしまったんですよね(笑)。
[杉]あの怪我は正直ショックを受けました。初めての大きな怪我だったんですよ。でも、怪我をして気がついたこともありました。
[西]どのくらい休んだの?
[杉]1ヶ月半くらいでしたね。当初、言われていたよりは早く復帰できたんです。
[西]1ヶ月半というと短く感じるかもしれないけど、騎手の1ヶ月半は長いよね。だって、鎖骨でも2週間とかで復帰してくるもんね。
[杉]そうですね。
[西]ボルトで止めたから大丈夫とか言われると、一瞬もう骨が繋がったんだと錯覚するけど、骨折したのをただボルトで支えているだけで、痛いのには変わりがないんだよね(苦笑)。
[杉]まだくっついているわけではありませんからね。最初は
「なんだ、それ」と思いましたよ。最初首の骨って言われて、騎手生命も駄目かと一瞬よぎったりもしたんですが、結果的に胸だけだったんです。でも、固定したりできないので、ただただ安静にしているしか、治療法がないんですよ。
[西]胸はそうだよね。
[杉]最初は痛くて手が挙がらなくて、懸垂ができないんですよ。
[西]こういう言い方をしたら失礼と言われるかもしれないけど、胸の骨折だけで済んで良かったね。
[杉]本当にそう思います。
[西]ところで、なぜ騎手を目指したの?
[杉]幼い頃から、父に連れられて競馬場に行っていたんです。当時の写真を見ると、東京競馬場が背景だったりするんですよ。
[西]どのくらい幼い頃?
[杉]写真をみると、赤ちゃんという雰囲気があるので、恐らくようやく立ったくらいじゃないですかね。
[西]東京出身?
[杉]埼玉県の所沢です。ですから、武蔵野線で5駅乗ると東京競馬場ですからね。
[西]競馬を観ていて騎手になりたいと思ったんだ。
[杉]中学校のときに、先輩が競馬学校を受験したんです。それまで競馬学校の存在を知りませんでした。先輩は同じ野球部で、やはり背は小さかったんですよ。先輩は合格できなかったんですけど、それで受けてみようと思ったんです。
[西]杉原君の童貞を奪った馬とかレースって覚えている?
[杉]そうですね。
ダイワメジャーが勝った
天皇賞(※編注2)ですかね。
※編注2…06年天皇賞・秋は10月29日開催。杉原騎手が14歳の誕生日を迎える1日前でした。[西]それ、最近だよ(笑)。
[杉]競馬場で観ていて、もの凄く強烈なインパクトを受けたことを覚えています。ちなみに最近じゃないですよ(笑)。
[西]もうトレセンで働いていましたから(笑)。
[杉]競馬場で何度も観戦していましたが、地鳴りがして、何とも言えない興奮を覚えました。
ディープインパクトも強烈でしたけど、あの天皇賞は鮮明に覚えています。
[西]いやぁ、オッサンだわ。
[杉]そんなことないですよ(笑)。
[西]参った(笑)。話を戻すと、乗馬経験とかあったの?
[杉]全然ありませんでした。
[西]そういう人っているよね。田辺もそうだし、松岡だってそうだよ。
[杉]そうみたいですよね。
[西]競馬学校の試験はどういう基準で、どういうところを見て判断しているんだろうね?
[杉]どうなんでしょう。でも、僕たちの代は受験者数自体は一番多いと聞きました。
[西]いや、確かに蓑島とか、田辺とかの世代が受験者数は一番多かったはず。1000人とかいうレベルだったらしい。
[杉]えっ、そんなにいたんですか。僕たちの時が140人でした。
[西]いまは、ジョッキーベイビーズとかあって、経験している人が増えているよね。
[杉]僕たちの次の代あたりからだったんじゃないですかね。でも、僕たちのときは、10人いて5人が未経験でした。
[西]嶋田純次もそうだった?
[杉]そうです。あと、いま中野栄治厩舎で厩務員をやっている谷川も未経験でした。
[西]松岡が昔、観ていたときには
「俺ならばもっと上手く乗れる」と思っていたらしいんだけど、実際乗ってみたらそうもいかなかったと言っていたんだよね。
[杉]僕なんか、ついていくのに精一杯でした。
[西]藤沢厩舎に決まったときのことって覚えている?
[杉]簑田先生に、関東所属予定者だけ集められたときに
「お前は藤沢厩舎だ。わかるだろ」と言われたんですよね。
[西]やったぁ、と思った?
[杉]正直、
ゼンノロブロイ、
シンボリクリスエスといった馬たちはわかりますし、そのときちょうど
カジノドライヴもいました。それに成績が良いというのはわかっていますが、どんな感じなのかとか、そこまでよくわかっていませんでした。だから、どうなるんだろう、という気持ちの方が大きかったですね。
[西]話を戻すと、やはり乗馬経験者の方が上手かったりするの?
[杉]確かに、最初は乗馬経験者の方が上手なんですけど、モンキーになる頃にはむしろ未経験者たちの方が上手になっていました。(嶋田)純次がアイルランド大使賞ですから。
[西]高嶋(活士)は、いままた乗馬を始めているんだね。
[杉]そうなんですよね。
[西]この前イベントで会ったんですよ。あっ、イベントと言えば、一緒に演奏したじゃないですか。
[杉]そうですよ。でも、本当に格好良いです。
[西]俺のこと?
[杉]そうですよ。
[西]ありがとう(笑)。
[杉]というか、楽器をやっている人は格好良くみえますよ。信さんは楽器をやってナンボですよ。
[二人](爆笑)
[西]ありがとうございます。楽器やりなよ。
[杉]機会があったら、やってみたいとは思います。
[西]あっ、こんな時間だ。まだ5時だからね。そろそろ時間が迫ってきてしまいました。最後に目標などをお聞かせいただければと思います。
[杉]これだけ恵まれた環境にいることを考えれば、まだまだですし、もっともっと頑張らなければ駄目だと痛感しています。そして、杉原に、と任せてもらえるようになれるように、できることを頑張るしかないと思っています。
[西]まあ、いろいろあるとは思うけど、負けないで頑張ってください。今日はどうもありがとうございました。またよろしくお願いいたします。
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