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クロフネサプライズの訃報に接して感じたこと
2014.10.24
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先日、クロフネサプライズが亡くなりました(※)。大手検索サイトのニュースでも報じられたので、ご存知の読者の方々も多いでしょう。

※…10月3日の調教中に左第3中手骨開放骨折を発症し、予後不良となった。

僕も、ツイッターに書かれていた担当者の方の思いを読ませていただきました。今回はこのことについてお話させていただきたいと思います。

この仕事をしていると、担当馬の死はほとんどの方々が1度は経験すると言っても言い過ぎではないくらいです。そして僕自身も経験がありますので、よくわかります。

また、クロフネサプライズの場合は競馬ではなく、調教中だったということで、より悲しみが深かったのではないかと思います。

もちろん、レースも調教も関係なく、馬が命を落とすということは同じであって、とても悲しいことです。

ただ、レースというのは、ゲートに入ってしまうとそこからは自分の手を離れてしまっていますし、どうすることもできないという意識があります。

先日も競馬に行って思ったんですが、トレセンを馬運車に乗って出発して、競馬場に到着して、勝負飼い葉を付けて、装鞍します。すると、馬も徐々に気合いが乗って、さらにパドックに行って、ジョッキーが跨がると一気に気合いが乗って返し馬に行きます。

この段階で担当厩務員さんをはじめ、携わっている我々もドーパミンが出てテンションが上がっていたりするんですよね。実際、勝負だとなれば、時間の経過を忘れてしまうくらいの気持ちになっていたりするんです。

そういうなかで事故が起きたとき、そのような精神状態も影響するのでしょうが、僕だけでなく、携わっている多くの関係者たちのなかには“レースで起こったことだけに仕方がない”という感覚があるんです。

それに対して調教は直接携わっていますし、どうにかできなかったのかと自責の念にかられます。僕自身の感覚としてはそうです。確かに、同じ死ではありますし、同じように悲しいのですが、違った感覚なんですよ。

僕自身の話をさせていただきますと、幼い頃から競馬場で育ってきました。

自分の家である厩舎にいた馬が、ある日突然命を落としてしまい、自分の前からいなくなってしまう。その現実を幼い頃から目にしてきた、その経験は僕自身に“そういうものである”と思わせるんです。

順調に調教を積んで、無事に競馬を走って、無事に厩舎に帰ってくることがとても難しいことだと思っています。

よく、「とにかく無事に」という言葉を聞いたり、目にしたりします。何気ない言葉だと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、その言葉がとても重く感じますし、共感するんですよ。

これは幼い頃に感じた思いではありますが、いまも同じ思いで仕事をしています。

ただ、確かに命を落としたことは悲しいけれども、それをいつまでも引きずっていてはいけないとも思うんですよ。他の馬もいるわけですし、この仕事をしている以上乗り越えていかなければならないと思うんです。

亡くなってしまった馬を他の馬に求めたりすることは決してよくないことだと、僕自身は考えています。1頭1頭がそれぞれ違いますし、あくまで1頭1頭と向き合うことが、我々携わる人間に求められていると思うからです。

人それぞれ考え方は違うのでしょうが、僕自身はその馬の死を受け止めながらも、他の馬たちへそれぞれしっかりと対応していくことが、携わる人間として大切だと思っています。

以前、ある馬主さんに馬が命を落としたときに「我々に降り掛かる災いや不幸を持って行ってくれたんだ。そう思って区切りを付けよう」と言われたことがありました。

その言葉を聞いたときに、馬が故障したとき、騎手が無事に戻ってきた時のことが思い浮かんだんです。

最後、転倒する前の1歩を踏ん張ってくれていて、その1歩に助けられていることもあるはずなんです。

冷たい言い方かもしれませんが、僕たちの仕事はそもそも馬の死に近いところにいる、そういう仕事なんです。

だからこそ、普段馬への感謝の気持ちを忘れてはいけないと思いますし、それぞれの死に直面したときには、自分自身のなかで感じながらも、区切りを付けて他の馬たちへ対応していかなければならないんだと、今回のニュースを知って改めて考えさせられました。

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