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【対談・鈴木勝助手①】斎藤厩舎の鈴木勝助手をゲストにお迎えしました!
2014.11.14
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鈴木勝久調教助手…以下[鈴]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]今回は、斎藤誠厩舎の鈴木勝久調教助手さんをお迎えして対談をお送りさせていだきます。よろしくお願いいたします。

[鈴]よろしくお願いします。

[西]鈴木さんは、実は僕の兄と同級生で、よく我が西塚家によく遊びに来ていて、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいていたんですよね。

[鈴]安夫先生(故・西塚調教師)とウチの父親も同い年ということですし、よくお邪魔しました。

[西]鈴木さんのお父さんは、鈴木勝美・元調教師さんなんですよね。確か、勝美先生とウチの父親も、幼い頃からの友人だったそうですから。さらに、祖父の代からのつながりもあるんですよね。本当に縁があるんでしょうね。

[鈴]濃いよね。



[西]でも、実はこうして大人になってから一緒に食事をするのは初めてなんですよね。鈴木さんが38歳、そして僕が35歳といういま、この年齢で話をするのもまたオツではないかと思います。そういう意味で言えば、鈴木さんともそうですが、もうひとつの鈴木さんである康弘先生のご家族とも同じように古くからお付き合いさせていただいているんです。いま調教助手をやっていらっしゃる息子さんは年齢はひとつ下なのですが、ギターが趣味ということで、いろいろお話をするんですよね。

[鈴]ターくんだよね。ギターをやるんだ。

[西]ジャズとかに精通されていて、そんな話をしています。あとは、二本柳家もそうです。ソンソン(二本柳壮騎手)とは僕もよく遊びましたよ。それ以外では、境家もそうです。祖父の代からではないですが、子供の頃から知っている方々と言えば藤沢(父は藤沢和雄師)をはじめ、たくさんいらっしゃいます。そんななかでも、登校班も一緒だった鈴木さんですよ(笑)。

[鈴]一緒だったね(笑)

[西]ちなみに、鈴木さんと僕は高校まで全く一緒なんですよね。鈴木さんは高校時代、強かった土浦日大のバスケ部でマネージャーをされていて、兄貴もバスケ部でしたので、そのときにも会っていたんですよね。

[鈴]3年生と1年生というようなかぶり方はしていませんでしたけど、接点はあったよね。

[西]そうですね。鈴木さん、大学は日大でしたよね。

[鈴]そうです。獣医学部畜産科でした。

[西]乗馬とかやっていたんですか?

[鈴]大学に入ったときに始めたんですよね。

[西]そこからイギリスに留学されたんですか。

[鈴]イギリスに行ったのは大学を卒業してからです。

[西]どこの厩舎に行っていたんですか?

[鈴]マーク・ジョンストン厩舎です。ビザの関係で、最初は地元の乗馬学校に入学しました。そこから厩舎に移ったんです。

[西]僕のなかで、鈴木さんに対する勝手なイメージをお話させていただきますと、あまり“馬、馬”していない雰囲気があったんですよね。

[鈴]同じようなことを言われたことがあります。僕自身、この道に入ると思っていませんでしたし、周囲からもそう思われていたみたいです。同級生で言えば、矢原洋一(元騎手)とか大和田成(現調教師)とかは、幼い頃から馬の世界に進むと言っていましたよね。僕がこの道に進むと言って帰ってきたときには驚かれました。

[西]僕も驚きました(笑)。読者の皆さんのなかには、矢原さんは騎手なのでわかりますが、大和田先生についてはなぜと思われる方がいらっしゃるかもしれませんので、ご説明させていただきますと、父が大和田稔調教師さんで、高校時代から馬術部で活躍されていたんですよね。

[鈴]成ちゃんも洋一(矢原元騎手)と一緒に、中学校卒業のときに騎手試験を受けたんですよ。

[西]えっ、そうだったんですか。

[鈴]そうなんですよ。洋一だけが合格したんだよね。

[西]それは知りませんでした。話を戻しますと、鈴木さんはイギリスでどのくらい働いていらっしゃったんですか

[鈴]2年ですね。

[西]帰国してからはどんな感じだったんですか?

[鈴]山元トレセンにお世話になったんですが、すぐに競馬学校に合格したので、ほんの僅かの期間でした。

[西]調教師の息子で、海外へ行って、山元トレセンと聞くと、いわゆるエリートコースですよね。

[鈴]そんなことはないよ。確かに父親が調教師でしたので、いろいろなつながりがありました。でも、自分自身でという思いがあったんです。ですから、同じイギリスでも、日本人が多いニューマーケットではなく、日本人がまずいないヨークシャーを選びました。

[西]なるほど。どんな感じの厩舎だったんですか?

[鈴]マーク・ジョンストン調教師は、M・スタウトやH・セシルなど有名な厩舎が多く集まるニューマーケット周辺ではなく、イギリス北部にあるヨークシャーにあって、結果を出しています。日本で言えば、矢作先生のようなイメージですかね。

[西]トレセンに入って最初はどこの厩舎だったんですか?

[鈴]最初は坂本勝美先生のところにお世話になりました。そこから堀先生に少しお世話になって、いまの斎藤厩舎という流れですね。実は、斎藤先生とはイギリスで出会っていたんです。

[西]えっ、そうなんですか。

[鈴]先生がドバイ奨学生で研修に来られていて、僕が馬を連れてニューマーケットに競馬に行ったときに声をかけられたんですよ。「イギリスは長い期間いるんですか」と聞かれて、「実は美浦生まれです」なんて話をしました。

[西]うははは。偶然イギリスで会った日本人の青年が、まさか美浦出身とは思わないですよね。

[鈴]当時、先生は前田厩舎の助手だったんですけど、最初から調教師の息子だと知っていたわけではありませんからね。でも、そのときに、「いつか一緒に働けたら良いですね」という話をしていました。

[西]それが現実となったわけですね。偶然の出会いから始まって、そこからいろいろが重なっていくのですから、いやぁ運命ですね。

[鈴]開業からお世話になっているんですが、すべてのタイミングがピタっといったんですよね。運命と言われれば、運命でしょうね。

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