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【対談・鈴木勝助手②】ヌーヴォレコルトの経験は、今後に必ず生きるはず
2014.11.18
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鈴木勝久調教助手…以下[鈴]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]ところで、鈴木さんはなぜこの世界に入ろうと思ったんですか?

[鈴]元々、勝負事が好きなんです。ただ、馬は生まれたときから傍にいたために、何か特別なものという意識がなくて、のめり込む感じではなかったんでしょうね。高校までバスケットをやっていて、同じ部活、あるいは他の部活でもウチの学校は全国レベルの人間たちがたくさんいました。そういう友人と付き合っていくなかで、勝負に向けてどのように努力をして、どう挑んでいくかというのをみていて、そういう部分により興味を持つようになっていったんです。トレーニング方法なんかもそうで、そういうときに自分の傍に馬がいて、しかもそれが競走馬というアスリートだったことで、家に戻るような感覚で興味を持ち始めた。



[西]鈴木さんと幼い頃に競馬の話をした記憶があまりないんですよね。だから、鈴木=競馬という感じじゃないのかもしれません。

[鈴]確かに、幼い頃はしませんでしたね。

[西]僕はしたんですよね。それこそ藤沢とかと、よく競馬の話をして盛り上がっていました。「なんでシンコウラブリイは連闘するんだ」とか「今度は勝てるのか」とか、あるいは「今度1億円の馬が入厩してくるんだ」などなど、いろいろ話をしました。それをウチの親父に話をすると「馬鹿やろ、馬は値段じゃねぇんだ」と怒られました。それが僕の幼い頃なんですけど、鈴木さんはそういう感じじゃないイメージがあるんですよね。

[鈴]確かに違う。父親と馬の話をしたことはありませんでした。

[西]そうだったんですね。

[鈴]小学校の頃に少しは話をしましたが、中学、高校になってからは全くと言って良いほど、話をしませんでした。

[西]では、競馬の世界を目指すことを決めたと仰っていた、大学になってから話をした感じですか?

[鈴]高校で馬の世界に興味を持って、この世界に行ってみたいと思ったので、獣医学部畜産科を受験したんですよね。入学して馬術を始めて、夏休みや春休みに父親と一緒に北海道の牧場に行ったりはしていました。でも、馬についてはあまり話しませんでしたね。

[西]この連載では、いわゆる調教師ジュニアの方々にも出ていただいているんですが、その多くが自分の父親が経営する厩舎で働いているんですよね。鈴木さんは、勝美先生の厩舎で働いていませんよね。

[鈴]父親は調教師ですけど、そこが自分の働く場所という意識がなかったんですよね。同じ業種ではありますが、違った会社に就職する意識でした。

[西]僕の場合は、倒産寸前で何とかしなければならないという状況のなかで、大学院を中退して飛び込んだので、逆に他の厩舎という選択肢もなければ、意識もありませんでした。確かに、僕みたいな自分の父親のところに入る人と、鈴木さんみたいに全く無関係のところに入る人といますよね。

[鈴]成ちゃん(大和田調教師)もそうだし、勝さん(大江原調教助手)なんかもそうですよね。よく、帰るという言い方をされますけど、僕のなかでは父親の厩舎が出発点ではないので、一度もそういう意識を持ったことはありませんでした。

[西]そう考えると、父親側が求めるかどうかという部分もあるのかもしれませんよね。

[鈴]それはあると思いますよ。僕は全く言われませんでした。

[西]僕は求められたんですよね。以前出ていただいた雅之さん(畠山重厩舎調教助手)も求められているようですし、親側の問題という部分もあるんでしょうね。

[鈴]そう思いますよ。

[西]当たり前のようですが、新しい発見をした気分ですよ。

[鈴]信人も、もし求められていなかったならば、違う世界に進んでいたのではないですか?

[西]そうなんですよね。手前味噌の話になってしまいますが、ウチの親父は僕に競馬の世界に関する才能があると思っていたようなんです。でも、僕は違う勉強をしていて、違う道へ進みたいと思って頑張っていました。それが、学費を払うお金がないということで、帰らざるを得ない状況となってしまったんですよね。奨学金という選択肢もあったんですが、少しでも助けられればと、方向転換を決めたんです。何か僕の話をしてしまって、すみません。



[鈴]そんなことはありません。

[西]親父にそのことを告げたとき、初めて僕の前で親父が泣いたんですよ。

[鈴]そんなことがあったんですね。

[西]結果的には僕自身は、西塚厩舎緊縮財政のなか、外貨獲得のために家内制手工業的にこの世界に入ったんですけど、でも幼い頃は調教師になりたかったんですよね。鈴木さんは全く思いませんでしたか。小学生の頃です。

[鈴]何だったんだろう。漠然と弁護士とか言っていたかな。理由は聞こえが良いからなんですけどね(苦笑)。

[西]僕は調教師になりたいと思っていましたね。

[鈴]よく親からは、調教師や教師などの“師”や調理士や弁護士などの“士“がつく職業についた方が良いということは言われたことがあったかもしれません。

[西]手に職を、ということなのでしょうね。

[鈴]ただ、両親から何をやりなさい、何をやってはいけないと言われたことはないんですよね。

[西]僕もウチの父親には、馬は後からでもできるから、社会勉強をしてこいとは言われました。それに僕自身、小さい頃から知っている、いつも遊んでばかりいるオジさんたちが、どんな馬でも扱えるんですから、幼心に俺にもできると思ってしまっていたんでしょうね。

[鈴]酔っぱらっていたりしてね。

[西]そう、そう(笑)。僕がこの世界に入ると、昔から西塚厩舎にいた厩務員さんに言ったら、「オジさんたちでもできるんだ。お前にできないわけがない。とにかく大きくなれ」と言っていただいたことを覚えています。

[鈴]良い言葉ですね。

[西]すみません、僕の話になってしまいまして。

[鈴]いえ。でも、そういう感覚はわかりますよ。

[西]話を現在に移しましょう。鈴木さんは斎藤厩舎に開業当初からいらっしゃるわけです。時系列で言えばまずはサンツェッペリンですけど、最近ではヌーヴォレコルトでしょう。ブッチャけ、最初から走ると思ったんですか?

[鈴]G1を勝つとかそういうことについてはわかりませんでしたけど、動きが良くて、とにかく欠点が少なくて、扱いやすかったんです。それと牝馬なのに、落ち着き払っていて、飼い葉をよく食べていました。ゲート試験に合格して、一旦放牧に出そうかというプランもあったんですが、追い切りをしたら動きが良いんですよ。

[西]馬がそこから進めることに対して、ゴーサインを出していたんですね。

[鈴]しかも、速いところになればなるほど良い動きをするんですよ。デビューする頃には、ある程度のところまでいけるとは思っていました。

[西]そうだったんですね。連勝しますよね。

[鈴]そうですね、あの中京で連勝したときですかね、これはやれるという手応えをよりハッキリと感じました。

[西]その手応えの通り、オークスを勝ちました。秋華賞は残念でしたけど、勝てると思っていたんじゃないですか?

[鈴]もちろん期待していましたよ。ただ、結果を受けて思うことは、ウチの厩舎としてこれまでの状況と少し違っていたということです。すべての馬、すべてのレースに“勝ちたい”と思って送り出しているのですが、今回は“勝たなければならない”という状況にありました。G1で言えば、ヌーヴォレコルト桜花賞もそうでしたが、3番人気、4番人気という形で迎えることが多かったですし、サンツェッペリンのように下馬評を覆したという形が多いんですよね。

[西]オークスにしても2番人気とはいえ、圧倒的な人気のハープスターがいました。

[鈴]そのハープスターオークスで勝つことができた。さあ、秋となったときにそのハープスター凱旋門賞に挑戦するということになれば、自分たちがそうではなくても、周囲は“負けられない”という雰囲気になっていきます。それは仕方がないことなんですよね。しかも、前哨戦で良い勝ち方をしてくれましたので、なおさらそうなっていきましたよね。

[西]ローズSでも強かったですもんね。

[鈴]結果的には、2着に敗れてしまいましたが、そういう状況と言いますか、そういうスタンスでG1へ向かうことは、僕自身も含めて良い経験をさせていただいたと思います。いわゆるG1の常連厩舎は、常にそのような状況にありながら結果を出しているわけですよね。正直、凄いと思いますけど、それでは駄目なんだと思います。

[西]言いたいことはわかります。

[鈴]それが当たり前で、それで結果を出していかなければいけないんですよ。そういう意味では、僕自身を含めて厩舎としてより成長していかなければならないということだと思います。でも、今回経験したことで、次は様々なことがもっと上手くやれます。

[西]ヌーヴォレコルトの話をさせていただきますと、何か急に強くなっていったイメージがあるんですよね。能力はあるけれども、何か歯車が噛み合わないというか、パンとしないなかでレースをしていたのが、ある時を境に一気に良い方向へ加速していったような感覚があります。

[鈴]レースをしていくなかで、馬自身、ドンドン成長していってくれていて、それが結果につながっていってくれました。

[西]そうなるように、と言った語弊があるかもしれませんが、何か意識的にやったこととか、あったんですか?

[鈴]当たり前ですが、馬がみせる反応に合わせて、調整していきました。ウチの厩舎のスタンスとして、あくまで馬によって、そのときの状態に合わせるということなのですが、やるときはビッシリやって、しっかりと負荷をかけて、その分念入りにケアをするということなんです。そういうなかで、ヌーヴォレコルトはとにかくヘコタれることがありませんでした。しっかりと負荷をかけても、飼い葉を食べなくなることがありませんでした。だから、負荷もかけられるんですけど、とにかくタフ。しかも、輸送に強いんです。

[西]それは凄いですね。3歳牝馬しかも春なんて言ったら、飼い葉を食べなくなってしまう。だから調教を控えざるを得ないなどと、悪戦苦闘するのが普通だったりしますからね。さらに、輸送すれば、それだけで体がしぼんでしまうことも珍しくありません。それこそ腫れ物を触るような感覚になったりします。もう、その時期にしっかりやれること、そのものが才能だと、僕自身は思いますよ。

[鈴]オークス前に、ウチの先生も言っていましたが、ウチの厩舎でいままでに管理させていただいた馬のなかで、一番負荷をかけたと思います。

[西]それだけやっても飼い葉を食べたんですか。

[鈴]そうなんですよ。走るということはもちろんですが、負荷に耐えて、克服するという馬自身の底力という才能が高いとも言えるのかもいれませんが、とにかく馬自身、本当によく耐えてくれたと思います。頭が下がります。

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