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後藤騎手の訃報に接して
2015.3.4
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2月27日、金曜日の朝、後藤さんが亡くなられたことをネットのニュースで知ったときには、一瞬何かの間違いかと思いました。

というのも、亡くなられる1週間前に、その前の週に乗っていただいた新馬について、僕自身がいろいろ話をさせてもらっていたんです。

その馬はゲートに課題があって、僕自身練習でも落とされたりしていたので、実際レースではどのような感じだったのか、いろいろお話させていただきました。

僕の感覚としては、成長途上の体に対して、走る気持ちが強いタイプで、だからこそ苦しいと感じるゲート入りを躊躇するのではないかと思っていたんです。後藤さんも同じような感覚を持っていたようで、「そうだね」と言ってくださったことを思い出します。

僕と後藤さんの接点は、西塚厩舎時代に遡ります。

僕が尾関厩舎に移ってからは、一緒に仕事をさせていただく機会はそれほど多くありませんでしたが、その前、西塚厩舎時代は“勝負”という場面でよく乗っていただきました。

当時の西塚厩舎といえば、東京、中山といった本場ではなく、福島や新潟といった第3場でメンバーの弱いところを見つけ、田辺を乗せる、というのが主流でした。

もちろんそれだけではなくて、適性からレース選択もしていました。たとえば東京の1400mに適性があれば、そこにということになりますし、1000万以上になれば本場が中心になります。そうなったときに、後藤さんを、というケースが少なくありませんでした。

なぜかと言いますと、馬主さんからのリクエストももちろんありましたが、当時の後藤さんはリーディングベスト3にありながら、こちらのオファーを受けて、よく乗ってくださったんです。

担当しているエージェントのヒロシさんとのコミュニケーションという部分もありましたが、当時どん底の西塚厩舎だったにも関わらず、リーディング上位の後藤さんがとにかくよく乗ってくださったんですよ。

そうすることで馬主さんにも喜んでもらえましたし、一生懸命乗ってくださるところが好きだったんですよね。

もちろん、騎手のみなさんは誰もが一生懸命乗っていらっしゃいますよ。ただ、当時は僕自身経験がありませんでしたので、手応えがなくなったときに無理をさせない意味など考えられませんでした。

いまはその意味を少なからず理解できるようになりましたが、そんな中でも常に積極的に、懸命に乗ってくる後藤さんは、僕にとっては心強かったんです。たとえ負けてしまったとしても、馬主さんが納得してくれるんですよね。

未勝利戦の地方交流レースであっても、チャンスがあれば行ってくださいました。飛行機を使って3時間以上かかる金沢にも乗りに行ってくださったりしたんですよ。

普段から僕みたいな経験の浅い人間に対しても、馬について気さくに話をしてくださいましたし、僕自身のなかでは“良い人”という印象しか残っていません。

ただ、ノリさんや蛯名さん、ヨシトミさん、あるいは藤田伸二さんなどは、いわゆる世間話をします。ところが後藤さんとは世間話をした記憶がなく、独特の雰囲気を感じさせられたという印象はあります。

ですが、僕にみせる後藤さんの姿は、後藤さんが持っている1000ある姿のほんの一部でしかないはずなんですよ。

ですから、このようなことになってしまった理由や、何があったかは僕などには思いも及びません。

でも、再起不能と言われながら、再び復帰されたほどの不屈の精神力を持っていらっしゃったのに、どうして、という思いは残ります。

いまはただただご冥福をお祈りするばかりです。

来週は編集部にリクエストして、2月で引退された調教師の方々についての話をさせていただきたいと思います。馬場造園課の方との対談は、その次からお送りさせていただきます。たびたびの予定変更となってしまいますが、ご了承ください。

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