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【対談・橋本広喜助手②】藤沢和厩舎はどんな点で競馬を変えたのか
2015.7.14
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橋本広喜調教助手・元騎手…以下[橋]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]前回は藤沢厩舎が日本競馬を変えた、という話で終わりました。具体的にお願いします。調教はどんな感じだったんですか?

[橋]それまでの調教といえば、前運動は30分ですから、4時くらいに厩舎に行く感じなわけですよ。そして、中間は1時間30分になります。いまは5時開場ですから、折り返しは6時半。上がりをやっても8時には仕事が終わっていました。同期たちはみんなそんな感じで研修しているのに、僕だけは3時間前から始まっていました。



[西]今で言えば2時に行くわけですか。

[橋]運動は30分でなく1時間でした。また、まず最初に厩舎に行くと、松田さんと一緒に全馬の脚を見て、触るんですよ。

[西]最初は意味がわからなかったんじゃないですか?

[橋]前かきはされるし、噛み付かれるし、もう大変でした(苦笑)。それよりも最初は「みんなは4時起きなのに、俺だけ2時起きなのか」と思いましたよ。午後も同期は1時に行って3時には戻ってきていたんですよ。

[西]当時はその時間帯に仕事している厩舎が多かったみたいですね。

[橋]寝わらを返したり、あとは厩舎の周囲を引き運動している厩舎が多かったですね。今は午後に運動している厩舎はほとんどありませんが、いまでも1時から3時は車両規制が行われているのは、その名残ですね。

[西]いまは3時から4時半とか5時というのがほとんどじゃないですかね。

[橋]それも藤沢厩舎が始めたんですよ。昼間は寝かす。その間は人も一切入って来させず、僕もそれに合わせて3時から5時くらいまで厩舎に行っていました。

[西]そこですよ。いまでは、そういった調教方法や調教時間も当たり前になっていますが、当時は藤沢厩舎しかやっていなかったんじゃないかと思うんです。

[橋]そうでしたね。同期が午後作業を終えて、みんなでファミコンしたり、くつろぎ始める頃に仕事に行くわけですよ。学校の先生にも最初「何をしているんだ」と聞かれたことがありました。

[西]そりゃ、当時ならば何をやっているんだとなりますよ。

[橋]時間もそうですが、縦列で常歩をするであるとか、前運動1時間、間2時間半、そして上がり運動30分ということも、最初は受け入れてもらえませんでしたよね。(下の写真を見ながら)この写真は思い出深いんです。



[西]どういうことなんですか?

[橋]先生が乗っているのはスイートシャリマーという馬で、僕がシンコウラブリイに乗っているんです。これが先生の1000勝パーティーの会場に飾られていました。僕の宝物です。

[西]先生、若い、若いですよ。

[橋]その時は、僕は所属ではなく、呼ばれた立場だったんですが、写真を見たときには嬉しかったですよ。100勝と300勝は僕だったんですが、そのときの写真も飾ってあって、僕自身としては思うところがありましたよ。

[西]調教についてですが、僕の勝手なイメージですと、直接Dコースに入って、半周、あるいは1周していたんじゃないですか?

[橋]Dコースでダク1周ですね。

[西]そこから1周と半分とか2周して上がってきて終わり。しかも、集団ではなく、パラパラとした感じで、スタンド前で待つ厩務員さんに渡すというのが当時の“当たり前”だったんじゃないかと思うんです。

[橋]1頭15分くらいで終わっていた感じでしょうか。

[西]藤沢厩舎はどうだったんですか?

[橋]5時乗りだと、4時10分にみんなで縦列となって運動に出ます。そこから1時間。当時は、岡部さん、大塚栄三郎さん、大江原哲さん、藤原先輩、あとは当時騎手だった坂本先生と蛯名先生、高市先生、そこにウチの先生と松田さんと僕が入って、10頭になりますよね。それで縦列で1時間運動して、5時10分に馬場に入ります。

[西]その10分は?

[橋]馬が捌けてからということなんです。10分に北で最初から馬場に入って、ダクを踏んでいきます。すると周囲から「邪魔だ」と言われるわけですよ。

[西]角馬場ではなく、馬場で縦列になってダクですからね。確かにあれは邪魔です(笑)。

[橋]ダクのときは「アブミは長く」と言われるわけです。それで1周して、4コーナーくらいになると常歩になるんですよ。その時点では「ハッキング」とか「普通キャンター」とか指示が出るんですが、キャンターに行くときはアブミを短くします。そのとき、先生と松田さんが速いのなんの。置いていかれてました(苦笑)。

[西]1周ダクを踏んで、そこからキャンターで1周半という感じですか。坂路はどうだったんですか?

[橋]当時は3ハロンでしたので、坂路下の角馬場でダクを踏んで2本とか登ってましたね。先程、当時は1頭15分が普通と言いましたが、20分だと長い方と言われていました。それをうちは40分かけていたんです。

[西]逆にいまは15分なんていう厩舎がないわけですよ。そういう意味では、藤沢先生は角馬場でなく、馬場でダクを踏んで、そのままキャンターへというスタイルであるのに対して、それ以前は角馬場でダクを踏んで、馬場に行ってキャンターをしていたわけですよね。すると、いまは角馬場でキャンターを乗るというスタイルになってきています。

[橋]いまは多いですよね。

[西]僕の感覚としては、戸田先生とか久保田先生とか、馬術出身の先生たちが増え始めたこととリンクする感覚があるんです。馬とのコンタクトなど、その目的はいくつかあるとされていて、僕自身は好きだったりするんですが、なぜ藤沢先生はそこにいかなかったのかなと思うんですよ。

[橋]オンとオフをハッキリさせています。北はオフ、南はオンとして、馬に教えていました。

[西]ということは、北が角馬場みたいな感覚だったんですかね。

[橋]そうです。そのなかでも北の外馬場じゃなくて、角馬場を縦列で、邪魔なんですけどね(苦笑)。

[西]邪魔ですね(笑)。

[橋]そこでスーパーハッキングをやりましたよ。先頭が松田さんで、最後が先生。その間に岡部さんや僕たちがいて、もの凄く遅いテンポのハッキングをするんです。

[西]難しそうですね。

[橋]ダクになってしまうんですよ。先生や松田さんはできるんですけど、本当に難しくて、みんな苦労していました。柔軟性を求めて、ストレッチの意味でやるということなんですが、そのテンポが本当にゆっくりで難しいんです。

[西]ということは、いまの主流とされる角馬場ハッキングを、かなり早い段階で導入していたということなんですね。

[橋]追い切りの翌日は、運動かハッキング。ただ、ハッキングと言ってもただのハッキングではなくて、角馬場だからこそ本当にゆっくりとしたリズムで、縦列からはみ出さないように、という調教をするんです。そこからはみ出したら、馬はそのような状況でも行ってしまいますからね。藤沢厩舎では、常に馬の後ろから外れたら行く、ということを教えていますので、そういう反応をします。

[西]なるほど。僕自身は、まずは藤沢先生の登場と、馬術部出身の先生たちが増えて、角馬場でハッキングをするのが多くなった時期という2つのことが、いまのスタイルを生んだと思っているんです。藤沢先生は、既にハッキングをやっていたということなんですが、大きい馬場よりも角馬場でやることの意味としては、技術が未熟であっても、そこをカバーできるということだとされていて、それだけ藤沢先生は技術を求めたということなのかもしれません。しかも、縦列を外れてゴーというような感覚を馬に教えるのは、藤沢イズムというか、そこに凄さがあると思うんです。いま、テン15-15で行って、3ハロンから併せて、内に入って、というような指示が飛び交っていますよ。

[橋]馬の後ろで我慢させろとか、縦列を外れたら行くことを教えろというような会話をスタンドや馬場で耳にすることは少ないですし、正直いまでも藤沢先生くらいしかいないと思います。ちなみに内に潜り込んで、というのも藤沢先生が最初なんですよ。

[西]あ、そうだったんですか。

[橋]ダートでも、チップでもそうですが、遠心力が働くと、外に飛んで行きます。そうすると、多くのケースでは後ろから来て外に併せていくので、目に当たってしまう可能性が高くなりますよね。

[西]それで内なんですね。

※次回に続く

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