【対談・橋本広喜助手③】“追い込みの橋本”はいかにして誕生したのか
2015.7.21
橋本広喜調教助手・元騎手…以下
[橋]西塚信人調教助手…以下
[西][西]藤沢厩舎の追い切りの話を続けましょう。追い切るメンバーはどうなるんでしょうか?
[橋]一番競馬が遠い馬を先頭に行かせるんです。例えば2週間後の馬を70-40で誘導させて、1週前の馬を68くらいで2番手に行かせて、そして今週競馬の馬を65で行かせるようなスタイルでした。
[西]それを馬なりで、ということですか。
[橋]よく藤沢先生は馬なりと言いますが、簡単に言えばステッキを使わないだけで、それぞれの馬のポジションでしっかりと負荷がかけられているんですよ。
[西]先頭が馬なり、というだけなんですね。
[橋]そうです。2番手の馬は68ですから2秒、3番手の馬は5秒負荷がかかっているということなんです。ゴール前では、2番手の馬は先頭を行っていた馬よりも少しだけ出させてもらいます。そうすることで、先頭を行っていた馬につついてもらう形になりますよね。そして今度は、さらにその週競馬を使う3番手の馬が2番手の馬より先に出ます。そうすることで、3番手の馬は2番手の馬につつかれる形になるんです。その週競馬を走る馬に優越感を持たせる形で、ゴールを迎えるわけですよ。
[西]それですよ、それ。馬を併せることで、馬の気持ちを乗せるというような追い切りは、そもそもとして騎乗者の技術が高くなければ無理なんですけど、凄いですよ。そこで例えばテンの入りが15-15より1秒速くなってしまったとしても、藤沢先生はそれほど問題視しないんじゃないかと思うんです。
[橋]極端な言い方をすれば、どの馬が主役なのか、ということがハッキリわかれば良いという考え方ですね。
[西]その週の併せ馬に込められている意図は、スタッフに話をするんですか?
[橋]追い切り前のミーティングで話をされます。
[西]そこでときには主役の馬を真ん中に入れる、といったように、様々なバージョンがあるんですか?
[橋]もちろんです。それぞれの馬の状況によって、変化しますよね。
[西]それですよ。その馬がそうだから、そうするわけですよね。何が言いたいかと言いますと、あくまで馬の都合というか、状況に合わせて、ということなんです。今でも、その部分が意外と軽視されがちだったりしませんか。
[橋]もっと繊細な部分で話をしますと、例えば先頭を行く馬が2番手の馬よりも前に出てしまったならば、意味がなくなってしまうんです。馬のメンタルを考えて、それに合わせて乗る。そのためにはノブが言ったように技術が必要なんですよね。
[西]あえてこう表現させていただきますが、そこまで深い調教をしている厩舎って決して多くないと思いませんか?
[橋]そこが藤沢先生のイズムであって、なかなか真似ができない部分なんだと思いますよ。
[西]そういうことですね。だからいまでもトップに君臨し続けているということなんでしょうね。
[橋]良いポイントに気がつきましたね。だからノブは早く調教師になった方が良いと思います。
[西]でも、そういう部分こそ、大切なんじゃないかと思うわけですよ。ちなみに、この馬はこういうところがあるから、こうした方が良いというようなことを言ったとき、藤沢先生はどんな反応なんですか?
[橋]こちらの考えていることを把握して、話をしてこられるんですよ。だから、もう言う必要がない感じなんですよね。質問でも当たり前のことを聞くなと言われました。だから、見て学ぶ、聞いて学ぶという感じで、とにかく必死でしたよ。
[西]騎手時代の話に移りましょう。そうやって頑張っていらっしゃった橋本さんと言えば、やはり
サイレントハピネスですよね。
[橋]僕がもっと上手だったら、もっと勝てていたはずだと思っています。馬には本当に申し訳なく思っています。それくらい素晴らしい馬でした。
[西]そんなことはないですよ。G2を2勝は立派じゃないですか。
[橋]メンタル面で繊細な馬でしたので、頑張ってくれました。ただ、G1は僕の経験不足もありましたし、思い切りの良さが欲しかったですね。
オークスはトライアルを勝った後にガクっと来てしまって、先生も泣く泣く止めたんです。それまでは先行抜け出しのレースができていたんですが、調教中に放馬した馬に衝突させてしまったんです。
[西]そんなことがあったんですね。
[橋]その影響が出てしまって、秋の初戦となった
クイーンSでは先行しながら直線で手応えがなくなってしまい、ふた桁着順。それならばと
ローズSでは出たところで無理せずに行こうと思っていたところ、1頭飛ばした馬がいて、ペースが向いてくれたんです。人気になっていた
プライムステージに岡部さんが乗っていて、得意のインを突いて先頭に立っていたんですが、届くと思いました。後ろで我慢していたので、弾けてくれたんです。
[西]ローズSは重賞2勝目でした。次が
エリザベス女王杯となったわけですが。
[橋]もの凄いスローペースになってしまいました。3コーナーからマクって行ってしまえば良かったんですが、それができなかったのは若気の至りなんです。下手くそでした。
[西]そうやって話を聞くと、本当に馬って難しいですね。ちょっとした出来事が、ときにはその馬の性格さえ変えてしまうんですからね。そうそう、あとは
エアジハードにも乗っていたんですよね。
[橋](笑)
[西]谷川岳S2着が最後になってましたよね。
[橋]あれでクビになってしまいました(笑)。そもそもは、(武)豊さんが乗った
スプリングSのときにゲートで立ち上がって、再審査になってしまったんです。それでクラシックを断念せざるを得ない状況になってしまっていたんですが、再審査に際してはレースで騎乗する騎手でなければならないという決まりがあって、なおかつ調教できる奴ということで、伊藤正徳先生と藤沢先生が話をして、
「ウチのヒロキは暇だから使って良い」というひと言で決まったんです。
[二人](爆笑)
[西]そんなに悪い馬だったんですか。
[橋]大きい馬で中が窮屈な感じなんですよね。最初のときに、挟まってしまって、あばら骨を2本骨折しました。立つは、回転するわ、最初はもう危なかったですよ。
[西]そんな感じだったんですね。
[橋]それで1ヶ月くらい練習して合格して、
NHKマイルCに出走したんです。そんな状況のなかでの調教だったのに、8着に来たんですよね。
[西]ちなみに縛ったんですか?
[橋]かなりやりました。こちらがゲート難になるんじゃないかと思うくらいやりましたよ。でも、(「エア」のオーナーである)吉原社長にはたくさん勝たせていただいていたので、何とかしたいという思いで頑張りました。合格した後に1回使って、秋になれば1000万下から出られるということで放牧に出たんです。
[西]結果的には、1000万下から連勝ですものね。
[橋]1000万、1600万、そして
富士Sと勝つことができました。G1を勝つ最後のチャンスだなぁと思っていたんですよね。
[西]そのとき、騎手としてステッキを置くことは考えたりしていたんですか。
[橋]もう体が悲鳴をあげていました。
[西]あれ、腎臓でしたか。
[橋]22歳から腎臓の病気になっていて、ずっと薬を飲んでいました。
[西]えっ、そんなに早く。
[橋]誰にも言えませんでしたけど、実はそうなんです。体重が増えたりもしましたし、1回倒れてしまったこともあったんです。腎臓なので、適度に水分を摂取しなければなりません。そうすると体重も増えます。でも、その一方で減量しなければいけない状況で、本当に苦しかった。
[西]そんなときだったんですね。
エアジハードに出会ったのは。
[橋]このチャンスを逃したらG1は取れないと思いましたよ。某週刊誌でG1を取っていないけど、取らせたい騎手みたいなアンケートがあって、1位か4位かどこかに入っていて、それを見てまた
『G1勝ちてぇ』と改めて思ったりしたんですよね。それまでG1の前日に夢をみてガッツポーズした瞬間に醒めるということもありました。
[西]やはりそういうものなんですね。
[橋]勝つ人はポンと勝つんです。思い出すのが、藤沢厩舎にいた
センショウダッシュです。
[西]はい、はい。覚えていますよ。
[橋]先行抜け出しでレースをしていたんですが、ある程度から終い止まってしまうようになっていったんです。それで最後まで馬を飽きさせないように、と後方から我慢していく競馬をして、東京の1600万下で追い込んで勝ったんです。
[西]確か穴でしたよね。
[橋]そこから
“追い込みの橋本”と形容されるようになったみたいなんですよね。でも、人気はありませんでしたが、自信はありました。先生からは、首を曲げてゲートを出して、後ろで我慢させて、直線では馬のいないところを追い込んで来て、1頭でも負かすことを教えて来いと言われていたんです。それも藤沢イズムなんですよ。目先の着順ではなくて、次につながる競馬、馬に勇気を出すことを教える、負けて後ろ向きになっている馬を
「俺は走れるんだ」という気持ちにさせるということなんですよ。
[西]それが難しいんですよね。
[橋]そうやって、
シンコウスピリッツなど様々なケースでいろいろ試行錯誤してやっていたんです。それらはすべて先生の指示なんですよ。僕が追い込むことを決めたわけではなく、脚の使いどころの指示があって、その通りに乗った結果なんです。
※次回に続く
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