【対談・上野翔騎手②】関東に残ったのは、「帰ることに納得できなかった」から
2015.9.23
上野翔騎手…以下
[上]西塚信人調教助手…以下
[西][西]昔、自分が西塚厩舎所属だった頃、いわゆる三場、ローカルが主戦場になっていたんだよ。少しでもチャンスがあるところで、という理由だったんだけど、芝1200の500万とかは、中京とかだと
「平場でもテンの速さが全く違う」と痛感したことがよくあった。関東圏で競馬をした時はハナに立てていた馬が、ついてさえいけない時があった。今でもそうだけど、とても500万とは思えない流れだったりして、このまま行ったら終い止まってしまうんじゃないかと思ってもそのまま勝ってしまう。特に短い距離では、本当に真っ向勝負という感じだよね。
[上]終い止まりませんからね。
[西]中山のダート1200なんかだと、いつもふた桁着順で実力的に厳しい馬でも、後ろから行って上手くごまかしてバテた馬を交わすというレースをしていると、時として8着までに来るということもあったりするんだけど、それがない。でも、同じローカルでも中京とは違って、北海道だと関東と関西の差が縮まる感じがする。数字上の話なんだけどね。
[上]どうなんですかね。関西馬が少ない福島を除くと、小回りのローカル競馬場は北海道と小倉しかなくなってしまっているので、もし差が縮まっているとしたら、そういうコース形態があるんじゃないですかね?
[西]それはあるだろうね。中京も以前とは全く違うからね。
[上]ダートで言えば1000だと力差が出てしまいますが、1700とかだと、コーナー4つを回るのでごまかしが利くんです。嫌らしい言い方ですけど、小細工がしやすいんですよね。
[西]田辺や大庭のセコ乗りが炸裂する舞台ね(笑)。話は変わるけど、上野は関東と関西の両方でしっかりと頑張ってきているわけで、両方をよく知っているわけですよ。それに対して僕自身は、西塚厩舎時代などはなるべく先輩スタッフの方々に行っていただくようにしていたので、北海道にも滞在したことがない。だから、そういう機会に関東と関西の違いを感じたことがなかったりする。ちなみに生まれも美浦だからね。
[上]じゃあ、もう生粋の守り神ですね。
[西]そうだよ、そう。美浦を死守していて、離れてはいけないんですよ。
[二人](爆笑)
[西]上野は東西だけではなく、韓国も知っているわけだけど、いわゆる東西の違いをどう感じているのかを聞いてみたいんだよ。いろいろあるとは思うんだけど、まずは施設以外の面での違いってあったりするの? 人間性とか。
[上]うーん。どうですかね。いまはどうかわかりませんが、僕が関西でお世話になっていた頃は、とにかく強気という感覚がありましたね。先程お話をしたように、レースはもちろん、調教もどちらかと言えばハードだと思います。
[西]そうなんだ。
[上]当時といまでは方法なども変わっているとは思いますし、違っているかもしれませんけど、当時は関東と比べて強気でしたよね。
[西]関東に来てから何か感じたことはある?
[上](横山)ノリさんや蛯名さん、あるいは内田さんや戸崎さんといったトップの方々が、毎日トレセンにいるということですよ。いまはわかりませんが、僕がいた当時の関西はトップの方々は水曜日と木曜日だけという感じでした。和田さんやいまは現役を退かれた渡辺(薫彦)さんなどは、土日も朝調教に乗ってから競馬に行っていたんですが、多くのトップの方々は水木だけ、というのが慣例みたいになっていました。
[西]関東はそうじゃないね。ノリさんなどは攻め馬がなくてもスタンドに来ているときがあって、
『ノリさん今日は乗んないんですか?』というと、
『おっ、今日は乗んない』という話をされることがあるからね。それでお願いして、乗ってもらうことがある。美浦も火曜はお休みという人はいますが、金曜日はいるもんね。そう言われれば確かに。
[上]そこの違いは感じましたね。
[西]あ、(柴田)善臣さんもいるね。よくわからないけど、風習だったりするのかな。それぞれ先輩たちの流れだったりするのかもしれない。
[上]そういう部分はあると思います。先輩がいるのに、後輩たちが出ていかないということにはなりませんからね。
[西]でも、そういう部分が受け継がれていくのは良いことだと思うけどね。
[上]僕自身はそう思います。あと、そういう方々を見ていて感じるのは、人と話をするのも仕事なんだということです。
[西]なるほどね。でも、やっぱり僕たちもそういう方々と攻め馬に乗ることはとても勉強になる。いろいろなことを教えていただいているけど、僕たちみたいな未熟者たちに対して、上から目線ではなく、丁寧にその技術や感覚を教えていただいている。これは僕自身が思うことなんだけど、実はそのように教えることも、トップジョッキーとしての仕事というか、使命だったりするんじゃないかな。もちろん乗ることだけじゃなくて、攻め馬を見ていて、いろいろ助言をしてくださることもそうで、何度となくそのひと言で救われたことがある。そうやって、いろいろなことが受け継がれていくわけで、関東にはそういう土壌があるよね。
[上]最初にそう感じましたね。
[西]そういう関東には、どういうタイミングで残ろうと思ったの? 最初は短期の予定だったわけだよね。離れられない女性が現れたとか。
[上]残念ながらそうでないですね。そうだったら良かったんですが。
[二人](笑)
[上]僕が初めて障害レースに乗ったのが27歳だったんです。
[西]それって、遅い方だよね。
[上]そうですね。そのときにお世話になった先輩だったり、調教師さんがいらっしゃったからこそ、乗ることができたわけです。そのように初めて障害に乗る騎手に、もし僕が調教師だったら任せることができたかと言われれば、できなかったと思います。それでも乗せていただけたんですよ。そうやって徐々に障害レースで乗れるようになってきたわけですが、
「乗れるようになったので、じゃあ関西に戻ります」では、人として違うんじゃないかと思ったんです。
[西]そうだったんだぁ。
[上]なんで帰らなかったんだよ、という方もいらっしゃいましたが、僕自身のなかでは帰ることが納得できなかったんですよね。
[西]そういう話を聞くと、上野は関東に来て良い環境に恵まれたのかもしれないと思う。
[上]それは本当にそう思います。本当にいろいろな方々にお世話になっていますし、本当に恵まれていると思います。
[西]そういう部分って、上手い、下手じゃないからね。ちなみに、下手だと言っているわけじゃないからね。
[上](笑)
[西]いや、本当だって。上野自身の人間性だよ。言い方に語弊があるかもしれないけど、かわいがられるか、そうじゃないかというところは上手い、下手じゃないから。
※次回に続く
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