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【対談・木藤助手③】太さんのアドバイスがなければ、桜花賞は勝てなかった
2016.4.27
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木藤隆行調教助手…以下[木]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]エルプスって、難しい癖がある馬だったんですか?

[木]性格は素直だったんですが、ゲートのなかで静止しているのができなかったんですよね。もう走る気満々で。自分自身、スタートが上手いと言われていたんですが、コンビを組んだなかで一番スタートが悪かったのが桜花賞でした。

[西]そうだったんですか。

[木]桜花賞は22頭立てでした。その7番枠で奇数だから先入れだったんです。なかなか入らない馬もいて、かなりの時間待たされてしまいました。

[西]そりゃ、その頭数ですからね。

[木]しかも、他の馬たちもガタガタし始めてしまうし、さらには後ろに行ったり、なるべく最後の方に入れようとして、ゲートの前でわざと1回回してみたりする馬もいて、『いい加減、早くしろ』と怒鳴ったことをよく覚えています。

[西]なるほど。

[木]スタートも、普通は係員の『よし、前出ろ』という声が掛かってから、1、2、3でだいたい開くんですよ。でも、あのときは1、2、3どころではなくて、半馬身くらい出負けしてしまいました。

[西]でも、そこから行ったわけです。

[木]どうも『誰も来るんじゃねぇぞ』と怒鳴りながら乗っていたみたいで、周囲の人たちから『お前はひどかった』と言われました。普通、出負けしたならば、そこから行っても挟まれてしまって当然ですよ。

[西]そりゃそうです。

[木]もし挟まれていたら、それで終わっていたはずです。前に2番手で失敗していましたし、行けたから勝つことができました。

[西]木藤さんのなかに、一生に一度と言ったら大袈裟ですけど、やっと掴んだチャンスという思いはあったんじゃないですか?

[木]もちろんです。当時の境勝太郎厩舎には良い馬がたくさんいました。でも、太さんがいて、東さんがいての3番手ですから、なかなかチャンスは回ってきませんでした。G1という器ではないということは自分自身でもわかっていました。そういうなかで、トップジョッキーからのオファーを蹴って、乗せてくれた。その思いに何とかして報いたい。それだけでした。

[西]その思いが気迫となったんでしょうね。

[木]振り返れば、函館3歳Sの後に、控えて負けたことが良かったんです。もし、あのレースで2番手から勝っていたとしたら、桜花賞では出負けしたところで控えていたはずですから。

[西]行かなければならないと腹を括れたことが良かったんですね。

[木]なかには『木藤はなんであんなにガムシャラに行くんだ』という人もいました。でも、行かないと駄目だったんです。

[西]速かったですか?

[木]これが不思議と速く感じないんですよ。速い馬っていうのは、速く感じなかったりするんです。

[西]そういう話を聞いたことがあります。

[木]エルプスは本質的には逃げ馬ではなかったのかもしれませんよね。逃げ馬というのは、行かせるとあとはもうスピード任せ、という感じでセーブするのが大変だったりするんですけど、エルプスはハナに立つと止めようとするんです。

[西]そうだったんですか。珍しいかも。

[木]ズブいと言えたかもしれません。ハナに立つと止めようとして、後続が来るとまた引き離すんですよ。ということは、道中で息を抜いているんです。利口なんでしょうね。だから最後まで我慢ができたんだと思うんです。

[西]なるほど。

[木]そういえば以前、サクラサエズリという馬にも乗せてもらっていたんです。僕自身が境勝太郎厩舎でG1を勝つとしたらこの馬しかいないと思いました。

[西]はい、はい。重賞も勝っていますよね。

[木]京成杯3歳Sです。あの年、牡馬で目立った馬がいなかったために、境先生が牡馬相手の朝日杯3歳Sに行くと言い出したんです。

[西]懐かしいです。

[木]堀井さんが乗っていたカムイフジという馬が1番人気で、サエズリが2番人気だったんです。そしたらカムイフジがゲート入りをごねてしまって、内心「よし、いける」と思いました。ただ、1頭気になっていた馬がいたんです。それがアイネスフウジンでした。

[西]あ、そうだ。

[木]ゲート裏で輪乗りをしていて、気になって仕方がなかったんです。(中野)栄ちゃんに『その馬は何?』って聞くと、アイネスフウジンという馬で、まだ未勝利を勝ったばかりなんだよ』と気がないふりをしていたんですよ。他にも良い馬がいたんですけど、不思議とあの馬しか気にならなかったんですよ。とにかく大きくて良い馬だったんですよね。

[西]その通りになっちゃいましたね。

[木]サエズリはかなりテンが速い馬で、実際あのレースもかなり速いペースだったんです。でも、それなのに4コーナーまで楽々と付いてきて、直線で栄ちゃんがニヤッとして『木藤、ごめんね』という言葉を残して、交わされてしまいました。いやぁ、怪物だと思ったね。

[西]昔、うちの親父がサクラホクトオーという馬が一緒に競馬をしていて、『凄い』と思ったと言っていたんですけど、木藤さんも乗っていらっしゃいましたよね。



[木]ラストランは僕でしたね。サクラチヨノオーの下で、切れました。晩年は脚元に問題があって、かばってしまっていたので、成績が振るいませんでしたけど、切れ味は良いものを持っていました。

[西]あ、境勝太郎先生だからチヨノオーも知っているんですね。良い馬だったんですか?

[木]チヨノオーは怖かったです。マルゼンスキー産駒で、悪かったんですよね。

[西]そんなに。

[木]半端じゃありませんでした。暴れたときは、自分が空を飛んでいるような感覚を覚えるくらい、跳ねたというか、暴れていましたよ。ただ、バネだけは本当に違っていました。本当に、紙一重の部分があって、だからダービーで一旦交わされたのに差し返すことができたんでしょうね。それに対してホクトオーはとにかく真面目で、1ハロンの切れ味は最高でした。

[西]マルゼンスキーの直仔に携わったことはないんですけど、そんなに凄かったんですか。

[木]そうかぁ。激しい産駒は多かったよね。サンデーサイレンスとは違ったけど、どちらかと言えば激しさの系統は一緒かなぁ。

[西]ディクタスもうるさかったって言いますよね。

[木]ディクタスも激しかったですけど、自分自身のなかではそれよりもガーサントと、アポッスルでした。

[西]ガーサントと言えば、エアグルーヴのお祖母さんに入っていましたよね。そんなに凄かったんですか。

[木]サンデーサイレンス産駒とはレベルが違いましたよ。半端じゃないんですから。いまの時代とは、レベルが違います。

[西]いまの時代は、確かに立ったりするけど、走るのは走ります。攻めができないというのは稀ですからね。

[木]当時は、ハートバミもなかったですし、シャンクもありませんでした。暴れようが、何しようが、とにかく馬にしがみ付いているしかなかった。それで落とされれば『馬鹿野郎!』ですから(笑)。

[西]ははは。

[木]そういう時代に、一番悪かったのはと聞けば、間違いなくガーサントという答えが返ってきますよ。新馬が入ってきて、その名前を聞いたら震え上がったくらい、凄かった。

[西]木藤さんのレベルで、そんなにですか。

[木]当時、白井だけで6人くらいラチに激突したりして、病院送りになっていますよ。そんな感じだから、牧場でも『早く入厩させてくれ』ということになったんですよね。当時はブレーキングなんかもやってなくてね。

[西]そこが技術職と言われる所以だったわけですよね。

[木]そういうことですよ。

[西]いまでは信じられないですけど、西塚厩舎ではまだありましたよ。

[木]馬は一度人間を落とすと、落とすまで暴れ続けますから、どちらが負けるか、それこそ勝負でした。いやぁ、朝が嫌で、嫌で。わかるでしょ?

[西]いやぁ、わかりますよ。

[木]担当している馬がそういうタイプだと、寝つきが悪いんですよ。特に休み明けの火曜日。前日の月曜日の夜は、お酒を飲んでいても、なかなか酔えないんですよ。

[西]そうですよね(笑)。

[木]モンタヴァルも悪かったですし、エンペリーもなかなかでした。でも、ガーサントと比べると子供でした(笑)。

[西]そんなに酷かったんですね(笑)。近年で言えば、ステイゴールドくらいですよ、うるさいと言われるのは。

[木]またいまの時代は、そういう馬は淘汰されて種馬にならなかったりしますよね。

[西]そうでした(笑)。

[木]また、道具もありますし、ブレーキングもしっかりとされるようになりましたからね。いまの人たちはわからないでしょうけど、僕たちの時代はダルマですからね。ダルマに襟あげで、それで運動させられたんです。利く訳がありませんって。

[西]あぶみがない状態で、乗り運動をさせられたわけですよね。

[木]それで落とされれば下手くそですからね。でも、不思議なのはいまの方が労災事故が多いということですよ。

[西]あ、そうですか。

[木]そうなんです。

[西]唐突ですが、なぜ騎手になったんですか? 北海道出身とかですか?

[木]東京です。父が周囲の競馬好きに『せがれを騎手にするべきだ』と言われ、2つの高校に合格しているにも関わらず、『俺はなりたくてもなれなかった。その騎手を受けるだけ受けてみろ』と。もちろん断りました。

[西]それがなぜ。

[木]学校の先生にも『やめさせてくれ』と言ったんですが、競馬を知らないから『木藤、お前は前へ倣えといえば、一番前だ。そんな小さい奴が馬に乗れるわけない。だから不合格になるから大丈夫だ』という調子なわけですよ。

[西]で、合格してしまったわけですね(笑)。そこから境勝太郎厩舎の所属となったわけですけど、厳しかったんですか。

[木]忘れもしませんよ。初日、玄関を開けて『今日からお世話になります、木藤隆行です。よろしくお願いします』と頭を下げたら、勝太郎先生に『馬鹿野郎。下乗りと出前持ちは裏から来るもんだ』と言われたんだよね。正直、えらいところにきてしまったなと思いましたよ。最初から裏口から『よろしくお願いします』と行く人間はいませんよね(笑)。

[西]ははは。凄い。いきなり裏から入っていったらむしろ失礼ですよね(笑)。

[木]厳しかったぁ。いま思い出しても辛かったですよ。あるとき、馬主さんが厩舎に来ていて、靴を磨いていたら、『お客さまにお茶を入れなさい』といわれて、お茶を出して帰ろうと思ったら、今度は自分の靴がないんですよ。先生に聞くと『そんな汚い靴を馬主の靴の横に並べておくな』と外に捨てられてしまっていたんです。作業をしている靴なので、汚れてしまっているのは当たり前なんですけど、それくらい厳しい環境でした。

[西]良いか悪いかは別にして、そういう時代だったということですよね。理不尽極まりないと思いますけど。

[木]いまの子では通用しないですよ。でも、境勝太郎厩舎だったから、弟子の久恒さんのエルプスに乗ることができました。騎手のなかにはG1すら乗ることができずに去って行く人間たちもいるなかで、勝たせてもらったのは師匠がいたからなんです。

[西]なるほど。

[木](小島)太さんで思い出すのは、エルプス桜花賞前、『木藤、お前に桜花賞を勝たせてやる』と言って、教えてもらったことがあったんです。それまでにも技術面など、いろいろ話を聞かせてもらっていたんですが、『G1は騙し合いだ』と言って、『桜花賞はハイペースになる。お前は4コーナー手前で何も動かさない。それじゃ駄目だ。肘を動かせ』と言われたんです。肘を動かすことで、後続は肘が動くことで手応えがなくなっていると思う、ということなんです。そうなれば、仕掛けるタイミングがひと呼吸遅くなりますよね。

[西]なるほど。

[木]ひと呼吸仕掛けが遅れると、それだけ有利になりますよ。それまで逃げ馬で実績を出してきていましたけど、“目から鱗”でした。エルプスを逃がせばうるさいというのはみんなが思っているなかで、4コーナー手前で手応えがないと見せられれば、それだけチャンスが生まれるわけですよ。



[西]凄い話ですね。

[木]しかも、飲んだ席の話でしたし、忘れてしまっていたのに、4コーナー手前でパッと頭に浮かんだんです。

[西]それでやったんですか。

[木]やりました。その分仕掛けが遅れましたし、22頭という多頭数だったこともあって、逃げ切れたんだと思います。あのひと言は大きかったですよ。もし聞いていなかったら、肘を動かしていなかったですからね。

[西]そういう意味では、良い馬を持っていかれてしまっていても、そういう言葉があって、それだからこそG1を勝つことができた。いまの時代にはない話ですね。

[木]そういうところが競馬の醍醐味だったりもするんですけどね。


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