自分たちの仕事を振り返ることでしか、技術向上はないと思います
2016.8.17
2歳戦が始まってしばらく経ちましたね。僕自身も尾関厩舎所属になって、早い時期の2歳馬にたくさん携わらせていただき、だいぶいろいろな経験をさせてもらってきました。
そういうなかで思うことがあって、今回から2回に分けてお話をさせていただきたいと思います。今回はゲートについてです。
競走馬になるためには、ゲート試験に合格しなければなりません。
ご存知の方も多いと思いますが、最近では入厩前の育成牧場の段階で、程度の差はありますが、ほとんどの馬がゲートというものの存在を知った状態で入厩してきています。
そして、馬たちはいろいろな育成牧場からやってくるのですが、それぞれの育成牧場の癖というか、アプローチの方法で特色があるものなんです。
もちろん馬にもよりますし、それぞれの特色があっていいんです。そんな中で、僕自身の経験で言うと、道営競馬から入厩してくる馬はゲートに関しては問題ない馬が多いと感じます。
道営の内容については接点がなかなかないため、どのような内容で行われているのかわからない部分が多いのですが、ゲートに関しては本当にかなりの確率でしっかりと調教がされています。
逆に、道営から『これはヤバイですので、お願いします』というコメントとともに入厩してくる馬というのは、即“縛り”というレベルで、馴致過程の問題ではなく、馬自身何か問題を抱えている感じなんです。
恐らく、どれくらいやったならば、どうなるというノウハウを持っているんだと思うんですよ。
以前、僕が初めて怖いと感じて調教を出来ずに引き上げてきた馬の話をさせていただきましたが、その馬はその後一旦放牧に出て、再調整されて戻ってきました。
そこでは、地方競馬で騎手をされていた方が携わってくださったんです。すると、まだ完全ではありませんが、格段に良くなって戻ってきてくれたんです。
良化してくれたことには、様々な要因があるのでしょうが、やはり競馬場という最前線で馬に携わった、しかも騎手としてレースを経験している方に携わっていただいたという部分は決して小さくないと思うんです。そこには“経験”が活かされているはずなんです。
ゲートについて話を戻しますと、他の育成牧場の特色が劣ると言っているわけではないので、そこは間違わないでください。
しっかりと調教がされて、出るところまで終わっていますというところもありますし、ゲートの中での駐立まで、前後開いた状態で通しただけといろいろありますが、馬の事情もありますし、それぞれでいいんですよ。
これは高木さんとの対談でも話題になりましたが、入厩してきてまずは騎乗者の扶助によって、発進と停止、そしてゲート裏で人に引かれて輪乗りができるかどうか、というのがひとつの判断基準となってきます。
基本的には、それができて初めてゲートを進めていくことができるんです。でも、ある育成牧場の馬は、角馬場のハッキングで停止ができないのに、ゲートだけは天才的な発馬をみせるんです。
これは僕だけではなく、他の厩舎の助手もみな同じように感じていることなんですよね。“過ぎたるは及ばざるがごとし”という諺がありますが、やり過ぎてしまうことはやはり良くないということなんです。
やり過ぎてしまって、ゲートに対して嫌悪感を示したり、あるいは発進や停止ができないのに、ゲートだけは天才的に早く出ることができたとしても、競馬を経験していく上でゲートに対して嫌悪感を示すようになったとき、それを修正するのは本当に難しくなってしまうんです。
トレセンに設置してある試験を行うゲートでは、出て開け閉めをする専用の枠や、自動で開けられるものの、競馬場のように“ガシャン”と音がならないようになっている枠、そして競馬場と同じようにゲートが開く時に大きな音がするようになっている枠と分かれていて、段階を踏んで調教していくことができるようになっています。
もちろん、しっかりと段階を踏んで調教されてきて、何の問題もなくゲート試験に合格している馬たちもたくさんいます。ただ、中には「出来ている」と言われても、トレセンに来て調教を始めたり、試験を受けると、対応できなくなってしまう馬もいるんです。
そういう馬と接していて、ひとつ強く思うことは、十把一絡げというわけにはいかないということなんです。10頭居れば10頭、個性も違えば体力にも差があるということなんですよね。
ゲートのなかで駐立できていれば入厩させて大丈夫だ、というように線引きをされない方が良いと個人的には思います。あくまで、それぞれの馬の特徴と状態を見極めながら進めてもらいたいと思っています。
先程、発進と停止ができないのに天才的な発進をみせる馬がいるというお話をしましたが、そういう馬たちがいる一方で、同じ育成牧場から来た馬のなかには、縛ったりしなければならないような馬もいるということなんです。
こういうお話をさせていただくと、ご批判をいただくかもしれません。でも、これは僕自身がこれまでにも何度もお話をさせていただいてきたことなのですが、まずは自分たちの仕事を振り返ることでしか、自分たちの技術向上はないと思うんです。
この世界は1頭の馬を、生産牧場から育成牧場、そこから厩舎に入って、そしてレースで走るというバトンの受け渡しのなかで、行われているのはお分かりだと思います。そして、結果に対してバトンを渡す側が渡した相手のせいにしては進歩がないと思うんですよ。
僕たちで言えば、レースに向けて騎手の人たちにバトンを渡します。たとえば、そこで出遅れてしまったとします。その出遅れを騎手のせいにするのは簡単ですが、それでは何の進歩もありません。
本当に自分たちの調教は完璧だったのか、もっと言えばその出遅れは調教で防げたのではないかということを考えて、対応していくことでしか、技術の向上だったり、発展はないと思うんです。
育成牧場と厩舎の関係で言えば、例えばゲート調教がトレセンではスムーズに進めることができないとなったとき、バトンを引き継いだ我々もいろいろな対処法を考えます。そして、育成牧場側もなぜそうなってしまったのか、調教の過程を振り返りながら、そこからの対応を考えることも必要だと思うんです。
生意気に聞こえるかもしれませんが、僕自身はそのことだけは経験してきて確信するところなんです。
長くなってしまいましたが、未知数の部分が多い2歳と接するとき、今回お話させていただいたようなことを感じるんですよ。
次回は蹄の話をさせていただきたいと思います。
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