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【対談・井垣調教助手①】今回のゲストは、なんと読者出身の調教助手です!
2016.12.7
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井垣祐太調教助手…以下[井]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]今回は、武市厩舎で調教助手をされている井垣祐太さんをゲストにお迎えしました。よろしくお願いします。

[井]こちらこそ、よろしくお願いいたします。

[西]これまでG1を勝った方、海外に行ってきた方などなど、いろいろな方々に来ていただき、酒を飲みながら競馬の話をしてきましたが、今回はなんと、トレセンに入る前から読者だったゲストとなります。西塚厩舎時代の『下克上日記』を含めるとこのコーナーも10年近くになりまして、牧場時代から読んでいて下さった方が今はトレセンで働いている、というケースも本当に多くなって。いつの間にか“先輩”になり、それだけ年齢を重ねていることを実感させられるんですよね。

[井]『下克上日記』時代から読んでいました。

[西]それは、それは。本当にありがとうございます。いまうちでは西塚厩舎時代からの先輩となる二口さん、兄貴の同級生の矢原さんという先輩2人がいてくださるので、いつまでも一番下という感覚なんですけど。たまには先輩感を出さなければいないんじゃないかと言われ、そのなかで井垣さんが「昔から読んでいて、このコーナーに出るのが夢でした」というお話をいただきまして、今回出演していただくこととなりました。

[井]僕と同じような人も、結構いると思いますよ。

[西]いや、実は小西厩舎にもそういう方がいると、田辺から聞いているんですよね。装蹄師さんから「ファンだという牧場のスタッフがいるんだぞ」と言われまして、女の子からと思ったら男の子だったという話もあるんですけど。また、JRAの獣医さんからも言われたことがあるんです。学生の“頃は”読んでました。だけど、いまは読んでませんということなんですけど(笑)。



[井]牧場で働いていた頃、このコーナーを読むためにサラブレモバイルに加入していましたからね。

[西]どこの牧場で働いていたんですか?

[井]高崎の境町トレーニングセンター(現・境共同トレーニングセンター)です。

[西]あっ、境町トレセンだったんだ。西塚厩舎時代、深野茂雄オーナーの馬を見るために、頻繁に行っていたんですよ。

[井]えっ、そうだったんですか。それは知りませんでした。

[西]出身はどちらなんですか?

[井]広島出身で、境町の前は北海道の三石の牧場で働いていたんです。そこで一緒に働いていた人が境町トレーニングセンターで育成牧場を開業することになって、お世話になったんです。僕が境町トレセンで働いていた頃に、元気(丸山騎手)がお父さんのところに帰省してきていたりしたんですよね。

[西]南関東の外厩制度は始まってた?

[井]始まっていました。僕自身は、JRAで厩務員になりたいと思っていたので、牧場のスタッフとして馬には乗せてもらっていましたが、パドックを引いたりする南関東のスタッフ認定を受けませんでした。

[西]元々、JRAに入ろうと思って牧場に行ったの?

[井]そうです。だから、トレセン内の情報にとても興味がありました。そのタイミングで、あれだけ赤裸々に厩舎内の様子が書かれていたので、もう夢中で読んでいましたよ。

[西]実際、読んで入ってきて、俺の話はどうだったの? “お前、全然違うじゃねぇか”とかさ(笑)。

[井]西塚さんと全く同じ経験をしたわけではありませんけど、いろいろなことに事情があるんだ、ということは本当にその通り実感させられていて。「あっ、西塚さんが言っていたことだ」と感じることもあります。

[西]ブッチャけさせていただきますけど、西塚厩舎時代には少しぐらい歩様や状態が悪くても、“使わなければならない事情”をお伝えさせていただきましたが、それはたくさん勝っている厩舎であっても、数こそ少ないでしょうが、ゼロではないはずですよ。

[井]助手という立場でしたけど、実質西塚さんが厩舎を動かしていると日記を読んでいて思っていました。だから、ウチの厩舎と尾関厩舎が近くて、最初に運動場で西塚さんを見かけた時に「うわっ。西塚さんがいる」と思いましたからね。

[西]うははは。

[井]いや、JRAに入って最初に競馬場で武豊さんをみたときにも「うわっ。武豊だ」と思いましたけど、西塚さんを初めて見たときにもそう思いました。

[西]本当かよ(笑)。でも、井垣さんが入ってきて、間もない頃に話をしたのはよく覚えています。結婚していて、お子さんがいらっしゃると聞いて、「大変かもしれないけど、頑張ってね」と生意気にも言っていたはずです。

[井]その会話はトピア(トレセンのショップ)です。レジに並んでいたときに話しかけてもらって、そのときの会話でした。

[西]トピアだったかぁ(笑)。JRAに入る前に、結婚して、お子さんがいらっしゃったということですけど、境町トレセンはそこで調教してそのまま南関東4場のレースに出走できるという、いわば最前線ですよね。

[井]その部分に魅力を感じて、北海道から動いたという部分はありました。

[西]それなりに速いところもやるわけですからね。

[井]やります。ただ、いま思うと、時計に関してはアバウトだったかもしれないと思います。

[西]でも、トラックもしっかりしているよね。

[井]幅員もありますし、トラックそのものはそれなりに大きいです。

[西]元々、境町トレセンは高崎競馬場専用だったのかな。

[井]たぶんそうだと思います。

[西]懐かしいなぁ。深野オーナーの馬をたくさんお預かりしていて、高崎以外にも、足利競馬場が廃止になった跡地で、取り壊されるまで勝手に育成牧場をやっていた方々がいらっしゃいまして、追い切りを見に行ったことがあるんですよ。

[井]そういう時代があったんですね。

[西]井垣さんとまさか境町トレセンの話題ができると思いませんでした。境町で思い出したんですが、最近尾関厩舎で働いて思うことは、“走る馬を能力通りに走らせる”スキルと、“馬を何とかして保たせる”スキルは全く別のモノということですよ。

[井]ああ、なるほど。

[西]JRAでは、もう“保たせる”という概念がなくなってきているんですよ。少し駄目になってきたら放牧というのが、ある程度預託馬がいる厩舎では当たり前になってきていて、厩舎で治療をしてどうのこうのということはなくなってきていますよね。極端な言い方をすれば、“やれる”、“進められる”馬しかいなくなっている状態なわけですよ。

[井]そういう感覚はありますよね。

[西]でも、境町トレセンとかだと、“保たせるために”というスキルが求められませんか? 追い切りの強さや内容など、僅かな匙加減だったりするんでしょうけど、そういう感覚ってありませんでしたか。

[井]ありましたよ。

[西]その当時の経験はもちろん井垣さんの引き出しになっているはずなんですけど、いま振り返ってどう感じますか。

[井]いま思うと僕自身未熟だったなぁと思います。社長さんの器が大きかったので、それでもやらせていただくことができましたけど、振り返ると甘かったなぁと思いますよね。特に時計の面とか、やはり甘かったと感じます。

[西]なるほどね。そこの差はあるのかぁ。境町トレセンとかだと、誰かが時計を計ってくれたりするの?

[井]ないですね。自分たちで計測する形です。

[西]地方というと、西塚厩舎では地方交流レースは全場行っていたなぁ。

[井]日記を読ませていただいても、そんな感じでしたよね。

[西]ブッチャけさせていただきますけど、JRAで8着に入れないのならば、地方交流で4着になっていた方が良いのは当たり前ですよ。例えば、名古屋の交流ならば10頭立てで、そのうち5頭がJRA所属馬ですから、5着に入る可能性は高いですよね。



[井]そうですよね。

[西]でもさ、井垣さんとか牧場で働いている人たちの多く、いやほとんど全員の方たちは、携わった馬でG1を勝つことを夢みて頑張っているわけですよ。そこで、JRAの助手が這いつくばって、何とか交流レースで5着という姿はどうでもいいと感じるんじゃないかとも思っていたんですよね。

[井]まず牧場で働いているときには、トレセンや厩舎のことはほとんど知りませんでしたので、G1とか交流レースというのとは別に、働いている姿が魅力的に感じましたし、うらやましくも感じました。もちろんG1に出たいとか、勝ちたいという思いもあるんですけど、それとは違う現実を教えてもらっていると思っていました。

[西]G1を勝つ厩舎やそこのスタッフの方々については、たくさん話が出ますけど、倒産寸前の厩舎の話はなかなか出ないでしょうね(笑)。

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