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【対談・井垣調教助手④(終)】大変だった時代があって、今がある
2016.12.28
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井垣祐太調教助手…以下[井]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]そういえば、境町トレセンだとダートコースしかなかったんじゃないの?

[井]そうです。ですからウッドチップでの追い切りはトレセンに入ってから経験しました。角馬場でじっくり時間をかけて乗る、ということもありませんでした。

[西]トレセンで言えば、“直D”というか、いきなり馬場に出て乗るという感じなんですね。

[井]それこそ、「一周400mあるコースを、角馬場というのかあ」というような感覚だったりしました(笑)。

[西]なるほどね(笑)。境町トレセン時代は1日何頭くらい乗ってた?

[井]うちの育成場では、その当時で6頭ですかね。午前中に6頭乗って、午後はブレーキングとかする感じでした。

[西]当時は、境町トレセンで2歳を馴致して、JRAへ、という流れがありましたよね。

[井]境町トレセンだと、美浦からはちょっと距離がありますよね。

[西]いまは北関東自動車道ができて、だいぶ交通の便は良くなったはずです。僕が行っていた頃は高速道路がつながっていなかったここともありましたが、お金もなかったので、一般道で行っていて、本当に遠かったぁ。足利まで深野さんを迎えに行ってから境町に向かっていたので、また遠いんですけど。一般道では美浦から3時間以上かかっていました。

[井]そんなにかかっていたんですね。いまならば半分くらいじゃないですかね。

[西]最近行ったことがないからわからないけど、そんなものなんじゃないかなぁ。いやぁ、遠かったぁ。あ、そう言えば、境町トレセンの前に風俗店があったよね。

[井]ありました。花びら大回転という名前だったと思います(笑)。

[西]これはぜひ書いて欲しいんですけど、ずっと気になっていたんですよ(笑)。

[井]僕もあそこは行ったことがないので、詳しいことはわかりませんが風俗店のようです。

[西]いやぁ、気になっていたので(笑)。話を戻すと、昔は一旦外環道まで出て、そこから関越道でという行き方もありましたけど、それでも境町トレセンがある伊勢崎までは2時間半くらいかかっていたはずです。

[井]僕がいた当時はまだ北関東道が開通していませんでしたので、うちの先生は2時間半の道のりを馬を見るために来ていたということになります。

[西]そう考えると、調教師は良い車に乗るべきですね(笑)。うちはカローラで、最後は動かなくなってしまったなぁ。お金を貯めてETCを装着すると、なんと割引があって、「こんなに安くなるんだぁ」と思いましたよ。100キロ圏内だと割引率が高いときには、1回100キロ、北に向かう場合で言えばいわきあたりで一旦降りて、また乗ってとかやっていました。

[井]それくらいにカツカツになってしまうということですよね。

[西]そうなんだよ。もう時効だからブッチャけちゃいますけど、当時僕自身、給料をフルでもらったことがありませんでした。

[井]入って間もない頃というのは、給料そのものがそれほど高くないですよね。

[西]それさえも支払えないくらい、余裕がなかったということですよ。

[井]自分で削るということですか。

[西]母親から「信人、今月はこれだけで勘弁して」と言われるわけですよ。もっと言っちゃいますけど、当時の攻め専の人たちも2人くらい給料が遅れていたこともありました。

[井]えっ?

[西]母親が謝りに行ってね。2、3日の遅れとはいえ、遅れは遅れですから。それでも組合に訴えたり、問題にするということはありませんでした。

[井]いまはそういう話、なくなりましたよね。

[西]預託可能頭数が馬房数の3倍から2.5倍まで減りましたから。いまの調教師さんは楽ですよ。

[井]わずか0.5倍でそこまで変わるんですか?

[西]変わりますよ、変わります。上の厩舎が馬で一杯になりますから、そこから溢れて下の厩舎に流れていってますよ。

[井]馬に困る厩舎がなくなっているということですよね。

[西]まさにその通り。実際、厩舎が経営できず、“勇退”という名の廃業が当時はたくさんありましたが、今はほとんど聞かないはずです。

[井]確かに、言われてみれば。

[西]そういうなかで、少ないチャンスを掴みながら、何かやっていました。チャンスというのは馬主さんから預託をしていただくことなんですけど、そういうチャンスはいまの方が多いはずです。言い方は悪いですが、馬ならば何でも預かりますという感覚でしたよ。

[井]上の厩舎にたくさん入るならば、それだけ下の厩舎には馬がいないとなりますから、それはそうなりますよね。

[西]極端な言い方すれば、他の厩舎では遠慮される馬たちが西塚厩舎に来る、みたいな感覚でしたよ。

[井]それで10勝くらいしたんですから、凄いですよ。まさに下克上完成です。

[西]12勝ですね。

[井]えっ、12勝ですか。それは本当に凄いと思います。いま同じトレセンで助手をしてみて、本当に凄いと感じます。うちが今年、いまのところ12勝なんです。

[西]“何だ、12勝”と、何十勝もしている厩舎の人たちからすると思うかもしれませんが、あの状況では決して簡単ではありませんでしたよ。次に潰れるのはあそこか、西塚厩舎か、とさえ言われていたんですからね。

[井]そうだったんですか。

[西]実際、メリット制のなかで、削られてしまった馬房を20に復活させましたからね。木藤さんに言われたんですけど、メリット制で削減された馬房を戻したのは、JRA史上西塚厩舎だけだったそうなんです。

[井]それは本当に凄いと思います。自分に置き換えたときに、できないはずですよ。

[西]いま思うことは、頑張れば何でもできるんだということですよ。もちろん僕1人の力じゃないんですよ。厩舎のスタッフ、馬主さん、そして騎手の人たちなど関わっていた人たちすべての人の協力があったからこそ。でも、その人たちが力を貸してくれたのは、なりふり構わず、必死に頑張っていたからだと思うんです。

[井]それは間違いありません。僕自身は、そういう西塚さんの姿を日記で読ませていただいて、興奮したりしていました。

[西]いまだから言っちゃいますけど、厩舎は20馬房で一棟ですよね。ということは18馬房だと、2馬房は空いています。そこに馬を入れるというのはルール違反なんですけど、やりました。極端な言い方をすれば、水曜日に入厩しておけば翌週の週末には競馬できますので、検疫の予定が合わない状況のときには入厩させてしまいました。

[井]怒られなかったんですか?

[西]調教師会の役員さんに呼び出されて、「西塚君、いい加減にしないと駄目だよ」と怒られましたよ(笑)。

[井](笑)

[西]いまは、夏のローカル開催のときなどに、出張地の馬房を上手く使って、多く入厩させることが問題になって、ルールが厳しくなりましたよね。

[井]オーバーするということは厩務員さんたちが担当する馬たちが増えてしまうということですからね。

[西]うちはそういう馬たちは全部僕がやりました。メリット制のポイントのなかに、馬房の回転率というのがあって、一番の和田厩舎の後に西塚厩舎という感じになっていたんですよね(笑)。その部分の偏差値というかポイントが高くなって、馬房が戻ったんですよ。

[井]よくスクランブル態勢と仰っていましたが、本当にスクランブルだったんですね(笑)。

[西]何か僕の話ばかりしてしまった感じで本当にすいません。でも、何だかいままでにない感じでとても楽しかったですよ。

[井]いや、こちらこそ日記のなかの西塚さんに会えた気がして楽しかったです。日記を読んで牧場で頑張っていた頃を思い出しました。先生に推薦していただいてトレセンに入ることができたんですよね。だからこそ、先生のために頑張りたいんです。明日からまた頑張ります。

[西]頑張ろうよ。本当に今日はありがとうございました。

[井]ありがとうございました。



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